6話 焼け跡の中の灰
暗闇の中、足早に歩き、そうして俺は夕暮れまでいた大きな寺跡へとやってきた。
本能寺門前にはたくさんの提灯が掲げられている。
そしてその門前に簡素な台が設けられていて、たくさんの男の首が置かれていた。
夜とは言えその異様な光景のせいでたくさんの人が押し寄せている。
兵士達十人程が槍を持ち門の左右に立っている。
そしてそのたくさんの首が置かれた台の横には文字の書かれた板が掲げられていた。
……天敵織田信長此処に死する、天下此れ再び帝の元に戻りて、大安のままに治まれる……
子供の頃に聞いた事があった。
大きな戦があった後、手柄を得る為に近隣の村を襲い村人の首を狩り手柄と偽り、主人に献上するんやと言う。
この無数の首達は一体なんなのか。
俺が昼までいた時はこんな事……
そう思いながら首を見つめていると一つだけ見た事のある首があった。
美しい顔をした真っ白な顔の少年の首を……
今朝、目を真っ赤にし、俺を睨み付け槍を構えていたあの少年
そして死んだあと、その衣装を脱がせて奪い取ったあの美少年が首だけになり、まるで物のように今ここに簡素に置かれている。
「お前の事は忘れん。たしか……ぼうまる、とか言う名やったな」
俺は少年の頬をさすった。
俺の衣装のせいか生首の少年を触った俺の元に槍を持った兵が歩み寄ってきたが何も言わず目を逸らす。
俺は兵から目を逸らし生首の少年の頬をさすった後……
その美しい彼の唇に口付けをした……
今回は供養の意味合いもあり、そして己が彼に近付きたいと言う心の底の素直な行動なのである。
兵達や野次馬の人々はじっと俺を見ていた。
これでええんか?仏様……
生首の美少年と接吻した後、俺は暗い空を見上げそう問い掛けた。
本能寺へ来い……そう言われてきたけれど……悲しい気持ちになるだけやった。
これ……だけちゃうよな……
「織田信長様に会ってくるわ、お前の上様か?」
俺は生首の少年にそう告げると門をくぐり焼け崩れ落ちた本能寺の敷地へと入っていった……
本能寺の中はまだ焦げ臭く、未だに煙があちこちから立ち上っていた。
辺りには松明が掲げられ、数人の者達が突っ立ち何かの話をしている。
門をくぐった正面のやや左側は今朝俺らが織田信長の骨探しの為にずっと瓦礫を除き、掘り起こす作業をさせられた場所や。
俺は再び本能寺本堂の跡地へとやってきた。
本堂跡地は焼けた黒い瓦礫だらけで焦げ臭く悲惨な臭いを発している。
俺がこの事件を起こしたなど未だに実感が湧かない。
確か信長様が最後まで居たと言われる所がこの辺で、そして人型の灰を見つけたのがこの辺り。
設けられた松明の灯りを頼りに俺は昼間見つけた例の灰を探していた。
探すのに苦労するかと思ったが案外すんなりとその灰を見つけられた。
たぶん雨でも降ったり強い風でも吹くとすぐにでも崩れ落ちそうな人型のその灰は今朝と変わらずそのままの形で残っていた。
ちょうど前のめりに屈する座した人の姿のその灰。
俺はその灰の前に座ると頭を地につけた。
「お呼びしましたか?織田信長様」
そう呟きそっと顔をあげる。
「それがしは丹波国保津村より参りました葛原光丞にござりまする。先程本能寺へと戻るようにと耳にし、こちらへと馳せ参じました」
自分の知る武士口調で名を名乗りじっと人型の灰を見つめる。
「それがしは明智の一兵にござりますが……織田信長様の事などはよく分からず……ただ流れのままにその……」
『ぼうまる……』
……え?
一瞬耳元でそう囁かれたように思い俺は辺りを見渡した。
何もなくただ周囲は真っ暗で、焼け落ちた寺跡と人型の灰と並べられた数十本の松明があるだけである。
恐ろしかったし気味も悪かった。
妙なもののけにとり憑かれるんちゃうかと言う不安もあった
が、織田信長様が目の前におられるのではないかと言う錯覚のせいで俺は本能寺の焼け跡から離れられずにいた。
骨までをも焼き付くしたあの炎に包まれながらもまだ人の姿を残しているこの灰の前から俺は立ち去られなかった。
「…………」
じーっと人型の灰を見つめる。
遠くの松明の火がゆらゆらと揺れる。
たまに緩やかな風が吹く。
その度に目の前の人型の灰は徐々に形を崩してゆく。
そやけど…………
本能寺に呼ばれた割りには何もない。
ただ刻々と時が過ぎゆく。
辺りは暗くシーンとしとる。
本能寺の織田信長を襲いに来た明智軍の足軽である俺は……
今その織田信長であろう人の形を残した灰を前にし、ずっと対面して座っているのである。
しかも信長様の家臣の少年の衣装を身にまとって……
「信長様、そろそろ失礼……致します」
かなりの時が過ぎた。
槍をもった兵どもが何度も俺の様子を見に傍まで来ていた。
さすがに俺もこれ以上ここにはおられんと思った。
祇園社で聞いた声はなんの意味やったんかも知らんが俺はとりあえずここを立ち去ろうと思った。
信長様とかもののけの怖さとかよりも、兵どもの不審がる視線が何よりも痛かったのである。
なんにせよ今日ここで織田信長様が死んだんや。
豪華な衣装をまとった一見武士に見える俺ではあるが、さすがに延々焼け跡の中でずっと座っていれば不審がられるのは仕方ない。
「では……」
失礼します……俺がそう言おうとした瞬間に、風も吹いていないのにその人型の灰はサラサラと崩れだした。
え?と驚く間もなくその灰は崩れ落ち、中から一つだけ小さな白い塊が現れた。
俺は恐る恐るその小さな白い塊を手にした。
それは白く固い骨のような塊。
俺は本能寺を後にし、京の宿屋を探していた。
正直言うと金はあまりなかった。
足軽として出兵するならと幾らかの金と干物だけは用意していたが京の宿に泊まれる程の金があるのかは分からない。
もう一番安い宿でもええわ。
そう思ってたがどこも高く俺の払える宿はなかった。
昼間、見栄を張る為に、髪を洗う為だけに宿に入ったのが地味に響く。
「くそ……」
「お兄さん、何しとるのん?」
夜中、鴨川の土手に座り、さっき拾った本能寺の白い石のような塊を手にして、ぼーっと真っ暗な川から響く流れの音を耳にしていると、なんか知らんが若い女が声を掛けてきた。
顔は近くの橋に吊り下げられた松明の灯りで少しだけ確認出来る程度。
「いや、宿ないから」
俺がそう言うと女は俺の隣に座り、ふーん、と呟いた。
「姉さんは何しとんの?」
都の娼婦やろうか?よう分からんが俺は隣に座る娘にそう問いかけた。
「逃げてきてん……遠くから」
女は川を見つめポツリとそう呟いた。
「え……?」
一瞬驚き俺は女の横顔をじーっと見つめた。
松明の灯りにうっすらと照らされた女はじっと鴨川を見詰めている……