5話 京のみやこ
侍どもはさすがに俺の身なりを見てじっと見てはいたが、誰一人として声を掛けてくる者はなかった。
おそらく身なりが立派過ぎて目上の者やと思い、無礼な振る舞いは出来ないと思ったんやろう。
そう思うとあの少年は一体何者やったんやろうかと思え恐ろしくもなる。
そんな事を考えて、今から丹波へ帰るか、京で休むか考えていると白髪混じりの老婆が声をかけてきた。
「お侍さんなんやえらい騒ぎですなぁ、なんかあられましたん?」
「織田の……信長様って知っとるやろ?あの方がお亡くなりになられてん、明智の殿様の指示でな」
俺がそう言うと老婆はへぇーへぇーと目を丸くして驚くだけやった。
「お侍さんも、えろう大変でなさりはられますなぁ?こちらお供えなんでどうぞどうぞ……」
何を言っているのか、老婆は俺に頭を下げると小銭を俺に捧げてきた。
え?……そんなつもりで答えたんではないのになんで?
「良い……気持ちだけで良い……婆さんがとっときなさい……」
足軽の俺は偉そうな、つたない武士口調でそう言うと足早にその場を去った。
湯を浴びたかった。
体は汗まみれで髪も乱れたままやった。
……お侍さん。
そう呼ばれたのが実は心地よく思い、見た目をも出来うるならば高貴な者に近付けたかった。
宿はないか、そこで湯を浴び身を整えたい。
俺は京の街中をぶらついた。
すれ違うとき街の者達のほぼ全員が頭を軽く下げてきていた
なんなんやろ。
この優越感と、そして違和感……
心地良いようですこぶるこそばく心地の悪いこの感覚……
ある宿屋に入り、湯を浴びたあと軽い浴衣を着て二階の軒先で涼みながら眼下の通りを見つめた。
人々は普通に行き交い少女達が毬突きをしてキャッキャッと声をあげて遊んでいる。
先程、織田信長と言う上のお方が亡くなった祭のような出来事があったと言うのに、宿の二階から見る通りの人々はまるで何事もなかったかのように過ごしている。
そして、その織田信長が死んだと言う事件に荷担していた一足軽の俺は、とある武家の少年の衣装を奪いそれを着てぼーっと京の都の町並みの少女達の遊びを見詰めている……
宿で仮眠を取って一休みしたのち、軽い浴衣から豪華な衣装に着替えた。
着物に穴などは空いてはいないが首の襟元に若干だが血が付いている。
すまない……
俺は手を合わせそう呟いたあと襟元の血を手でぬぐい、ちゅうちゅうとそれをすすった。
供養の意味と言うよりも自分が高貴な者に近づきたかったと言う心理の表れである。
お侍さんやー!!
京の都をぶらついていると子供達がよう、そないな風に声を掛けてくる。
ほんまは足軽なのにそれは言えずニコニコと微笑んで返してやる事しか出来ひん。
一人だけ侍と声をかけてきた少年に
「なんで侍って思ったん?」
って尋ねたら少年は……
「ごっついええおべべ着てはるからー!」
と言う事らしかった。
「はぁ……」
やる事がなくなった。
本能寺前で大将のおっさんに解散と言われてからどれ程が経つのか。
武士の着物を身にまとい京中をずっとうろついてはいたが子供達に声を掛けられる以外はほぼ何もなく、すれ違う人々からは頭をペコペコと下げられるだけやった。
無視するじいさんとかも数人は居たが。
「……ふぅぅぅぅ……」
俺は今、鴨川の土手に座りぼーっと川の流れを見つめている。
河原は草が繁り蝶が舞い、川にはフナや鮎がいてそれを狙う白鷺が川面を見詰めていた。
帰るか……いまは夕暮れ、辺りは薄暗くなってゆく。
川の流れと人々の声が何となく聞こえる。
村で足軽として呼ばれ、死なずに無事生き残った事を喜ぶべきなんやろか。
しかし色々と複雑な出来事があった。
……とりあえず仏様にお祈りしてくか。
俺は土手から立ち上がり祇園社(八坂神社)へとお詣りに向かっていった。
祇園社あたりの色街(風俗街)を歩くも女達は俺に頭を下げるだけで声を掛けてくる者は誰ひとりとして居なかった。
声を掛けようとするも俺の服と脇差しを見ると声を詰まらせ頭を下げていた。
武士とはここまで生きづらい身分やったんやろか。
それとも普段見いひんような豪華な着物が刺激的過ぎてみんな驚いてるんやろか。
その真意はよう分からん。
夕暮れも過ぎた祇園社は提灯で明るく照らされていて、それが物凄い優雅で豪華やった。
村での祭の時の神社も提灯で照らされて綺麗やったけど、この社はそれどころちゃうかった。
広いし大きいし何より人が多くて驚いた。
もう日が暮れてるのにこんなに人がおるなんて……
祇園社の本堂で手を合わせ俺はこれからの事を祈った。
『仏様どうぞ無事故郷まで帰れますよう、どうか無事に帰れますよう』
頭を下げ去ろうとした時、ふとどこからか声が聞こえた。
本能寺へ来られい……おみゃあ……来い……
え?一瞬辺りを見渡すが誰もおらん。
『来やぁて……待っとるでよ……』
呆気に取られた俺はもう一度辺りを見渡した。
辺りには猫二匹がうずくまって座っているだけであった。
祇園の社から先程の本能寺まで、俺は足早に向かった。
よう意味も分からん変な声を聞いたせいで……
夜も更け辺りが暗くなるとさすがの京の都と言えど人通りは途絶えほぼ俺ひとりがツカツカと歩いているだけであった。
明かりはたまに民家の軒先に置かれている提灯がある程度で月も出ていなく提灯がなければほぼ真っ暗である。
あの声はなんやったのか。
そやけどちゃんと聞こえた。
猫の鳴き声でもなかった。
俺は……明智側のもんやのに。
あれは誰の声……まさか、この服のあの少年の?
それとも……織田の殿様?
ゾッとするものの俺の足は止まらなかった。
まさかまた訪れるとは。
あの本能寺へと…………