44話 森長隆
ザッザッザッと人と馬の足音が響く。
俺は真っ暗闇の竹藪の中で男二人に向けて槍を構えていた。
ほんの僅かに男二人の表情がうかがえる。
俺に槍を突き付けられた男二人は硬直し何も言わずにいた。
こいつらは仲間ちゃう、敵や。
信用したらあかん、信用すれば殺される。
こいつらは俺の命など猪や犬や猫ぐらいにしか思うとらん。
そんな奴らの事など信用したらあかん。
「待て……待て……落ち着け……」
男の一人、俺をここまで引率してきた男が小声でそう呟く。
「…………」
俺は無言のままに槍を構えて男を見つめた。
「今は仲間内で争うとる場合ちゃう……槍下ろしぃや……」
男が静かにそう言う。
「……何抜かしとる……俺が死ぬとか言いくさりよってからに……」
俺も出来る範囲の小声でそう答えた。
「それは言い過ぎた……あんたに手柄取ってもらいたかったからそない言うたんや……明智光秀の首を取ってもらいたいからや」
「…………」
「そうまで言わなんだら、あんた動かんやろう思うてとっさに言うたまでの事や……あんた成功の暁には当主から御褒美あるんやろう?それはほんまの事や……当主は嘘偽りは言わんお方や……」
男が必死に俺にそう言う。
「ふんっ!」
俺は不満げに鼻の息を吐き槍をそっと下ろした。
すると、さっと男が俺に近寄り顔を近付けてきた。
「……ワシらが周囲のもんの注意払っとくさかい、隙が出来た思うたら明智光秀襲うてくれ……」
男は真剣な声でそう言った。
辺りは暗く男の目はうっすらとしか見えんが恐らくその瞳も真剣なんやろう。
「……承知した……そやけどあんたら死ぬやろ……」
「ワシらはええ……あんたは明智襲ったらすぐに逃げてもろても構わん」
「なんでや?」
「屋敷戻って……もしや敵方が追ってきよったらあの村守ってくれんやろうか……」
……あの村……飯田家が治めるあの小栗栖言う集落の事か……
「俺一人でやれるか分からんが……そやけどあんたらはどないするんや……」
「ワシらの事はええ……もう時間あらへん……頼むぞ」
そう言うと男は俺から離れた。
「お前しくじったら地獄の果てまでも取り憑いて恨んだんぞ……」
もう一人の男が小声でそう呟くと側を離れていった。
『何をする気や、こいつら』
そない思うてると男の一人が松明に火を灯しだした。
火が点くと同時に男二人が明智光秀隊であろう集団へと向かい竹藪の中を駆け出していった。
……あぁ……こいつら死ぬつもりか……
なにゆえに?
飯田家の為に?それとも土地を守るが為に?
それとも……嫁や子を守る為にか?
「阿呆どもめ!」
俺は重厚な槍の柄を強く握ると……
明智光秀がおる集団へと駆け出した。
明智光秀隊の前に現れた男二人は、わぁわぁと声を上げ集団を威嚇しとった。
光秀を護衛しとる男らが刀を抜き怒鳴り返している。
そんな中、俺は突然竹藪から飛び出し、中心にいる馬に乗った男に向けて槍を構えた。
そして……
「御覚悟!!」
そう怒鳴り馬上の男を見た。
この男の顔は一度だけ御所で見た事がある。
甲冑に身を包んだ初老の男。
紛れもなく明智光秀である。
「無礼者!!」
そう言い周りの連中が俺に向け刀や槍を構えた。
……二郎……すまぬ……
しばし……御体お借りいたす……
頭の中でそう言う声が聞こえた。
ほんまに何となくやけど……
「逆賊!!惟任日向守光秀!!上様が仇!今こそ晴らしてくれようぞぉ!!我こそは美濃金山の森長隆なりぃぃ!!」
全くの無意識やった……
俺は心の底から、自分でも意味のよう分からん声を叫ぶと馬上の男の脇腹に重々しい槍を突き刺していた……
槍はいとも簡単に男の腹部を貫いた。
男が苦痛の表情を浮かべながらも俺をじっと見つめる。
「坊丸か……」
そう呟いた瞬間、男を乗せた馬が走り出した。
俺は茫然と走る馬を見つめていた。
すると……
「逃げえ!!」
俺より先にこの隊の元に突っ込んだ男の内の一人が俺にそう叫んだ。
俺が刺した男、明智光秀は馬を走らせ遠くに逃げて行ってしまった。
それに続いて馬に乗った共の者達もその後を追っている。
ここに残るのは松明を持った徒歩の兵だけ。
俺の意識は戻っていた。先程の無意識の状態ではなかった。
「逃げるかぁ!」
そう叫ぶと俺は槍をぶるんと振り回し槍を構えた。
「丹波から来た葛原二郎光丞じゃ!どっからでもかかって来いや!!」
男二人に刀を構えていた明智方の連中が俺の方を向く。
人数は四人やけど多分……
勝てる……
なぜなら暗闇と言う事もあるのか突然の襲撃やったからなのか敵兵は動揺していて隙だらけやったから。
明かりは地面に捨てられた松明だけ。
俺はずっとずっと暗闇の中にいたから闇に目が慣れとる。
俺は相手が向かってくる前に、相手の脇を刺し、足を刺し、腹を刺し……
最終的に全員の喉を刺して全ての息の音を止めた……
遠くでは明かりが見えた。
何をしとるんかは分からんかったが俺が刺した明智光秀が馬から降りて、男達六、七人がそれを取り囲んどった。
「退くぞ!」
俺の仲間と言えるんか分からんが共にここまで来た男の一人が俺にそう言うと竹藪の中を駆け出していった。
俺もそれに続く。
もう一人の男も俺らに続く。
俺ら三人はただ小栗栖と言う竹藪の中を駆けていった……
竹藪から出た後も更に走り続け、あの藪からかなり離れた場でようやく俺らは立ち止まった。
辺りは暗いが月明かりがほんのわずかに照っていて先程の竹藪ほどの真っ暗闇と言う程でもない場所や。
畦道で辺りは葦が広がっとる湿地やろうか。
「はぁ……はぁ……はぁ……もう大丈夫や……」
俺を竹藪まで先導した男がそう言う。
確かに追っ手が来そうな気配は無かった。
「ふぅぅぅ……」
俺は安堵を込めて息を吐いた。
槍をギュッと握りしめながら。
「あんた……やっぱり織田のお人やったんやな、武士のお方やったんか」
誘導した男がそう言う。
ちなみに逃げろと叫んでここまで連れてきたのもこの男である。
「……ちゃう、俺はほんまに農家のもんや」
「その服装、それに先程の言葉と雰囲気は武家のもんや、ワシにはよう分かる。隠しなさらんでもよろしいで」
……自分でも分からんのや……
なんであんな言葉……
やはりあの少年に取り憑かれとるんやろうか俺は……
「どう思ってもろうても構わんが俺は丹波から来た二郎言う男やで」
「…………そうか」
男がそう呟く。
「兄さんえろうおおきにな、ワシらの事助けてくださりなさって」
もう一人の男、俺に食い付いてきていた男がそう言う。
「ええわ……どうせ……あいつら殺らんと俺が殺されとったし」
「おおきにな、あんたの腕大したもんやわ」
男がそう言うが俺は何も言わず手に持つ槍を見つめた。
……俺は今日何人の人を殺めたんやろうか……
俺はこれから何人の人を殺めなあかんのやろうか……
そして……
明智光秀を討った俺はこれからどうなるんやろうか……
久……俺はこれからどうなっていくんやろうか……
俺はただ亀山の地で静かに暮らしたいだけやのに…………