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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第三章 小栗栖
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42話 与右衛門の思惑

 与右衛門(よえもん)に続き部屋を出ると与右衛門は後ろを振り返る事なく館の玄関へと向かって行った。


 俺も彼の後ろに続き、玄関へと向かった。

 玄関では知らせを聞き付けていたのか帰宅の時より多い館の使用人の男女六人が並んでいた。


「二郎!こちらでしばしお待ち致されよ!」


 玄関に着くや否や与右衛門が俺にそう告げると彼は再び廊下の奥へと進んでいった。


 玄関で待たされる形となった俺を使用人全員がじっと見詰めてくる。

 若干気まずさを感じた俺は息を吐いて視線を玄関の外に向けた。

 すると、


「こちら、どうぞお持ちくださいまし」


 と、玄関で並んで立っていた使用人のお姉さんが俺に布に包まれた何かを手渡してきた。


「あ、おおきに……」


 それが何なのか分からんままに受け取ると、その柔らかな手触りで中身がすぐに分かった。


 握り飯や。


「ありがとうございます、わざわざ」


 感覚で中の物を悟った俺はお姉さんに礼を告げて頭を下げた。


 が……ふと欲が湧いた。


 首から下げている紐の付いた空の竹の水筒。

 もう空やし水入れてもらえんかな。


「ほんまに申し訳ないんやけどお水もいただけへんかな」


 お姉さんにそう言い、首から紐を外し水筒を差し出した。


 お姉さんは一瞬あたふたとしたが、


「すぐに」


 そう告げると屋敷の奥へと小走りに去っていった。


 足軽の俺が偉そうに屋敷の使用人をコキ使ってええんかと罪悪感は湧いたが俺はここの当主に、とある事を任されている身やから、まぁええやろと軽く思った。


 やがてお姉さんが玄関に戻り俺に水筒を差し出した。

 少し重みの感じるそれには明らかに水が入っとる。

 俺は布で水筒を覆い蓋をして首から下げると、


「何度もおおきに」


 若いお姉さんにそう告げた。


「お兄さん、又お戻りしはられますん?」


 俺の両肩に手を置き、じっと見詰められそう言われる。

 ドキリとするが俺は冷静に答えた。


「……どうなるか分からへん、どんな戦になるんか分からん。死ぬやもしれんし生きて戻るやもしれん。さすがにそれは分からんわ」


 微笑みそう言うとお姉さんはじっと俺を見詰めながら一歩下がり、玄関の列の中に戻った。

 彼女が何を訴えたいんか詳細は分からんが、良い気持ちがしたんは彼女がなぜか俺に好意を持っていてくれているからやろう。

 それだけは感じた。



 とっとっとっと、と廊下から足音がする。

 見ると与右衛門が黒い重厚な槍を持ち、玄関へと戻ってきた。

 後ろには音羽の姿もある。


葛原(かつはら)二郎光丞(こうすけ)殿、貴殿の腕を見込み、先祖代々我が飯田家に伝わる名槍(めいそう)貴殿に御貸し致す」


 そう言うと与右衛門は俺にその黒く重々しい槍を差し出してきた。

 それを受け取るとずしりと重々しい感覚を得た。


 今までの安っぽい槍とは全く異なる重々しく何らかの力が宿るものを……


「この槍、我ら飯田家がかつて遥か遠き相模(さがみ)の地より足利の尊氏(たかうじ)公と御供なさられた折りに、蛮人を打ち破り、無事に公が入洛(にゅうらく)なさられた時に使われた物である」


 与右衛門がそう言うが……

 何を言っているのかよう分からん。


「貴殿に申し上げ(そうろう)、貴殿のお待ち致す森へと我らが明智日向守光秀を追い込む故、貴殿の手により討ち取りてくれぬであろうか!」


 そう言い与右衛門が頭を下げる。

 俺は黒い槍を持ちぼーっとしてしまった。

 後ろの美少女の音羽も頭を下げている……


「森で待つのはええが、なぜに俺が明智光秀を討つと?そやったらあんたらが隙を突いて討つ事も可能やろうが」

「…………」


 与右衛門は黙り込む。


「俺は言われた通り森の中で待つが、あんたは俺に任せっきりに見えるで」

「貴殿にお任せ申し上げたい」

「だからなんで俺任せやねん!」


 俺はほんの少し怒気を含ませそう言った。


「……正直に申し上げる……我ら飯田家が直接襲えるかどうか勝算がないからや」


 俺は黙って与右衛門を見詰めた。


「勝算のない事をし、仮に失敗するとなると我が家は滅ぼされかねん……力が無い故にな。そうなるより……名も知れておらん貴殿に討ってもらいたい」

「…………名も知らん俺が明智を討って飯田家の名が上がるんか?」


 俺はうつむく与右衛門にそう言った。


「成功の(あかつき)には……こちらの音羽を貴殿の元へとお差し上げ致す。いずれ飯田家の跡を継いで下さる事もお願い致しとう申し上げます」


「……え……」


 言葉が出ん。

 俺はこの美少女を嫁に迎え、この館の主となる……と?


「葛原殿、お頼み申し上げる」

「……協力はすると……言うてるやん……ただ……音羽さん貰えるとかここの家継ぐとか急過ぎて……」

「お頼み申す」


 何を言われてんのかすぐに理解に苦しんだが……

 要するに明智光秀を襲うのは失敗する可能性があるから、囚われの身の俺に任せて成功すれば音羽さんを俺に差し出し、俺を婿養子にして飯田家の人間にし、明智光秀討伐の手柄を飯田家にしたいと言う事やろう。


「音羽さん、叔父様はそない言うとるけど今日会ったばかりの俺と結ばれたいと思うか?」

光丞(こうすけ)様であれば、わたくしで良ければ……」

 音羽は照れてうつむいとる。


 彼女もまんざらではない雰囲気を出しとって、少し嬉しくも感じてしまう自分が情けない。


 しかし俺は自我を保ちこう言った。


「与右衛門さんすまん、俺は亀山で待っとる人がおるんや。そやから急にここの家継げ言われても無理や」


 俺がそう言うと与右衛門は黙り込んだ。

 音羽も黙って俺を見詰める。

「…………」

 しばらくの沈黙の後、音羽が俯き静かに泣き出してしまった。


 ……いらん事言うたかな……

 少女の涙に胸が痛み出す。


「それはこちらの一方的な申し付けにより、お失礼致しました。しかし光丞(こうすけ)殿」


 そう言い与右衛門がじっと俺を見る。


「貴殿は我が飯田家の囚われの者である事、重々ご承知の程を」

「…………」


 与右衛門の目は鋭い。

 俺が何か妙な事を言えばすぐに刀を抜き、斬ってきそうな殺気すらも感じる。


「よう分かっとります。この槍を預けて下さった事も音羽さんを俺のような者に差し上げると言ってくださった言葉の深さもよう分かっとります」

「…………」

「そやけど俺は葛原家を捨てる事は出来ひん。待ってくれとる者を捨てる事は出来ひん。俺はただ森の中で待ちます。そして……この衣服の少年ぼうまるを、そして織田信長公を殺した逆賊を討ちます。それは……あんたらの為やない!俺の為でもない!誰の為でもない!ただ俺は!!」

「…………」


 俺は……


 あれ?


「……えっと……」


 言葉が出んようになった。

 格好つけてなんか言おうと思ったがなんも言葉が浮かばん。


 与右衛門も音羽も玄関で並んだ使用人らも俺の次に発する言葉を待っとるが……


 なんの言葉も浮かばずにいる。


「…………」

「えーっと……」


 気まずい雰囲気が広がる。

 息巻いて何か言おうとしたのに最後の最後で何も言葉が出えへんなんて格好悪いにも程がある。


 音羽なんて泣き止んでぼーっとしとる始末やし。


「与右衛門様!みなの者集まっとります!すぐにも発てる準備整いました!」


 玄関の外から男がやってきてそう言った。


「分かった!御苦労様!すぐに出る!」


 与右衛門がそう告げると男は去って行った。


「……二郎、とにもかくにもお頼み申す」


 与右衛門が静かにそう言うと屋敷の外へと向かった。


光丞(こうすけ)様、どうぞご無事で」


 音羽が俺の側に来てそう言う。


「徳二はもう大丈夫なん?」


 俺は音羽にそう尋ねた。


「まだでおす。お肩とお腕の傷塞ぎましたんやけども、まだお足の方は途中で」

「それはえらいこっちゃ、はように戻って治したって」

「はい、二郎さんもほんまにお気をつけなさらはってな?」


 音羽が俺の事を光丞でなく二郎と呼び名を変えてそう言ってきた。


「おおきに、ほんならな。変な事言われてすまんかったな?俺の嫁にとか……」

「いいえ、二郎さん男前やもん。格好よろしおすえ」


 音羽さんにじっと見詰められそう言われる。


「……おおきに……音羽さんもごっついべっぴんさんやで、ほんならな!」


 俺はそう言うと屋敷の外に出て行った。

 使用人達は俺に頭を下げて出送っている。

 俺は重い黒い槍を手にして門の方に向かって行った。

 門の先には与右衛門が歩いている。

 その更に先には複数の松明(たいまつ)を持った集団の姿があった。


 俺は槍の感触を確かめる為にぐるんぐるんぐるんと槍を三度回した後に脇に槍を携えて一歩一歩集団の元へと歩んでいった。


 俺の心の内より徐々に闘志が燃え上がる。


 ただそれは山崎の戦で抱いたような殺意の感情では無かった。



 与右衛門より少し遅れて集団の元に着くと、集団の前で指示を送っていた与右衛門が俺を集団の前に連れてこう言った。


「皆の者!頼もしい助っ人や!亀山の葛原二郎光丞!通称、(しょく)今趙雲(いまちょううん)や!」


 ……何を言ってくれとんねん……

 しかも集団はクスリとも笑いも起きん。


「この者の腕は確かや、そやからその名槍を預けたんやぞ二郎」


 与右衛門が静かに俺にそう言う。


「趙雲は涯角槍(がいかくそう)と言う名槍を操っとったと寺で習った事がある。その槍こそが涯角槍(がいかくそう)やと思うて扱こうてくれ」

「分かりました」


 集団の視線を感じ、やや緊張しながらも俺は重い槍を見詰めそう言った。


 やがて与右衛門は十五人程の集団に対し、指示を出し始めた。


 そして……


「二郎、お前には二人付ける。案内はその二人が行う故、指図の通りに動いてくだされ」


 ……二人?

 たったの二人しか付かんのか。


「二郎、また再び館で会おうぞ。次は共に盃を交わしてな」

「……是非に」

「では参るぞおお!」


 与右衛門が団体にそう声を掛けると周囲はおおお!と掛け声を上げてやがて、ざっざっざっと森の中へと去っていった。


「ほんなら行くで、付いてきい」


 松明(たいまつ)を持った男が俺に声を掛け、先ほどの団体とは別の方の森へと歩んでいった。

 俺は黒い槍を持ち、無言のままに男の後ろに続いた。

 俺の後ろにもう一人の男が付いてくる。


 ほんまに三人だけで森の中で待機するようや……


 大丈夫なんやろうか。


 どうなるか分からんが何とかなるやろ。

 何とかしたるわ。


 俺はそう呟き暗い畦道(あぜみち)を歩いていった……

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