31話 御所
大将の男に言われた通り正門と言われる場所にたどり着いた。
俺は門の脇に立ち警護をした。
辺りはこの屋敷の塀を囲むように何百人と並んでいる。
俺は門前を警護しながら隣の者に声を掛けた。
まだ二十前後の俺とあまり年の変わらない男である。
「もし、ここは何の御屋敷なんやろうか?」
「御所や」
若い男は俺を見てそう言った。
「御所……」
この広い敷地と重々しい雰囲気。
帝の御屋敷か…………
「あんさん何も知りよらんかったんか」
俺が尋ねた隣の男がそう言いよる。
「京の事は疎くてなぁ」
「どっから来たんやあんた」
「丹波や、丹波亀山」
「えろう田舎から」
そう言うと男がケタケタと笑う
なんやこいつ……腹立つな。
「あんたはどこからなんや」
「高槻や」
高槻……あぁ……
「あんたも八幡から連れて来られたんか?」
男がそう尋ねてくる。
「……いや俺は安土言う所まで行ってそっから坂本に寄って、ほんでここまで来たんや」
「そうなん?ここは八幡の軍が集まっとるはずやで?」
八幡って確か京から西の方の地やったな……
「いや……俺は部隊が分からんよってここ行くように大将に言われたんや」
俺は先程の事を言った。
「そうなん、ここは斎藤利三様の軍が上様(明智光秀)の警護しとるんやけどええんか?」
斎藤利三……どなたさんや……
「分からんが侍か大将にここ行け言われたしええわ!なるようになるやろ!」
俺が声をあげると、
「そこ、私語慎みなさい、ええな」
大人しそうなおっさんが俺らに注意をしてきた。
一応身なりは立派やから侍のようや。
俺も男も黙り込んだ。
御所の正門を警護しながらも隣の高槻の男は俺に小声で話し掛けていた。
「名は?」
「二郎」
「わしは徳二、名をうかがうと、あんたも次男さんか?」
男、徳二がそう尋ねる。
「そうや、あんたもか?」
俺は槍を持ち御所の警護をしながら小声でそう尋ねた。
「そうや、安土から来なすったってほんまか……」
小声で徳二がそう尋ねてくる。
「ほんまや、俺はここまで明智様を守りながら来た」
「あちらで戦は無かったんか?」
「なんもなかった、ある思うとったけどなんもなかった」
「そうか、休憩あったら飯食いながら話でもしようや」
徳二が小声でそう呟く。
「ええよ」
なんの断りもあらへんし俺はそう答えた。
「いつ休憩ありよるんかも分からんけどな」
そう言うと徳二はくくく、と笑いだすも必死に笑みをかみ殺している。
何を笑い出してるんかよう分からんが笑みをかみ殺すその仕草がとても滑稽に見えて俺もくくくと笑みをかみ殺してしまった。
なぜか周りの兵どもも俺らに釣られてくくくと笑みを堪えている。
その笑いの連鎖は辺り一体の兵達にも伝染していき皆がくくくと笑いだした。
そして誰か一人が堪えきれなくなり笑い声をあげるとその瞬間に兵達が声をあげて笑いだした。
帝のおるこの御所の正門で、である。
当然俺も堪えきれず笑いだした。
伝染の発生源である徳二も声をあげて笑っている。
静まれ!静まれ!と注意をしにきた侍どもですら俺らに釣られて笑っている始末であった。
こいつ面白いな。
俺は隣で笑う徳二をちらりと見やり、そう思った……
休憩の時に徳二ともっと会話してみたかった。
そやけど無情にも休憩の時など来んかった。
俺らはただずーっと門の側に突っ立っていた。
時が進むにつれ誰一人も小声で喋らんようになった。
そんな時ずぅっと遠くの門から数人の侍か公家なんか分からん連中がこちらに向けて歩み寄っていた。
『あぁ、そろそろ明智光秀が出てくるんやな……』
そう思うと俺はほっとした。
ずぅっと門の前で警護をして突っ立っとったから、明智光秀が御所より去るならようやく動けるんちゃうかと言う事に安堵感を抱く。
しばらくののち、側の正門が開かれると十数人の護衛に囲まれた明智光秀が姿を現した。
『……あれ?若い?』
一瞬、明智光秀の顔がまともに見えた。
その顔は若く見えたがよう見るとやはり初老の男やった。
ただ鎧や兜のせいなんか神々しいとまでは言わんが重厚な近寄りがたい雰囲気を相変わらず放っていた。
「これより貴様ら斎藤軍は京の護衛をいたすゆえに今より殿様を護衛しなはるように!」
俺らに対し足軽大将の男がそう喚いている。
斎藤?あれ?
俺は斎藤軍とか言う所に属したままでええんやろか……
斎藤軍ではない俺やけどそのまま斎藤利三と言う殿様の軍に帯同した俺は京の都の一角に設けられた陣の中におった。
安土や坂本の時のように幕が張られとる訳ではなく野原に釜や鍋を設け食事を配っとるだけやった。
「お前うちの隊ちゃうのにここおるんやろ?」
徳二が俺の側で野菜を煮た汁を口にしてそう言うと笑った。
「ほんまや!お前どこのもんやねん!」
徳二の知り合いなんか知らん男が俺を見ながら汁をすすっとる。
「俺もよう分からん、自分の部隊分からんかったらここ来てもうた」
俺がそう言うと二人が笑っとる。
「俺らは高槻のもんや、多分摂津方面に行かされると思うで」
徳二がそう言う。
「お前亀山やろ?なんで安土まで行っとったん?」
もう一人の名も知らん若い男がそう言う。
「俺は元々丹波から播州に戦に呼ばれとったんやけどな、途中で京に行くようなって……」
「おーう、そうかぁ」
「……本能寺で信長様襲った後に丹波帰ったんやけどまた兵に呼ばれてな、俺が次男や言う事で安土連れてかれたんや」
「その安土で戦あらへんかったんか」
徳二の知り合いか知らんが男がそう問い掛けてくる。
まだ若いな。16、7ぐらいに見える目のぱっちりした口をだらしなく、ずっと開けとる奴や。
「ないわ、ないままに明智の殿様と共に京まで来よったんや」
「そうか、俺らはなぁ……」
徳二がここに来るまでのいきさつを話し出した。
高槻で兵に呼ばれて斎藤利三の護衛をしながらずっと京や近江坂本の警護をしとっただけやと言う。
特に弾む会話などもない。
俺が淡海の上を船で走った事とか織田信長様の安土の御城を見た事で徳二ともう一人のが盛り上がった程度やった。
一番盛り上がったんは安土の陣屋で米と魚の切り身と漬け物と、味噌を器に入れて湯をかける飯の話やった……
日も暮れた斎藤軍陣営……
「のう、二郎」
ゴザも敷かれん地べたに寝転んどると側で寝とる徳二が声を掛けてきた。
「あぁ……」
若干眠たくなったものの徳二の声に答える。
「お前丹波で待っとる奴おるん?親とか嫁とか……」
「……ふっ、何言うとんの?眠たいのに」
俺は目をつむったままにそう言った。
「ええやん、聞かせえや」
徳二がそう言う。
声には張りがあり眠気は宿ってない。
「まだ結納は交わしとらんがな、おるよ……紀伊の国から来た言う奴がな」
俺は寝そべったままに目を開きそう言った。
「紀伊?魚がぎょうさん(たくさん)獲れるとこやな」
「そうらしいな、俺も行った事あらへんけど……いつかそいつと行ってみたいな。お前もおるんか?待っとる人」
俺は暗闇のずっと奥を見詰めてそう呟いた。
「おる、おるが……母さんがな」
母さん?
「嫁ちゃうんか」
「嫁はまだおらん、母と妹だけが残っとる」
徳二が小さくそう呟いた。
「お前いくつや?」
俺は思わず身を起こし徳二を見てそう尋ねた。
「十五」
「十五かぁ」
まぁまだ嫁なんておらんわな。
「ほんで、どないしたら無事に帰れるんやろか」
徳二が俺を見詰めそう尋ねてきた。
俺は戦で死なんようずっと訓練してきた。
兄貴からも、自発的にも、そして伊賀のお結さんからも積極的に声を掛けて槍の訓練をしてきた。
全ては死なんが為に。
今、十五のこいつになんて言えばええんやろ。
何を伝えればええんやろ。
適切な言葉が思い浮かばん。
あぁ、昨日のお結さんはこんな気持ちやったんやろうか。
死にたくないから槍を教えてくれと俺に言われたお結さんはこんな風に思ってたんやろうか……
「母さんか……」
俺は徳二を見詰めた。
「高槻で待っとる……それだけや、妹もやけど」
十五の男の妹なんてたかが知れた年齢言うのは分かる。
母親や幼い妹の事が気掛かりで悲しませたくないから死なんにはどうすればええんかと俺に聞いとるんやろう。
「……引け」
俺はふとそう告げた。
「……引く?」
徳二がそう呟く。
「俺の師匠のお言葉や!危のうなったらとにかく引け!とにかく引け!」
お結さん、これでええんやんな?若干意味合いはちゃうけど似たようなもんやんな?
俺はお結さんの顔を思い浮かべそう思った。
「伊賀の教えやぞ、とにかく危のうなったらその場から引け!最悪の場合逃げたったらええねん!死ぬ必要なんかあらへん、逃げたらええねん、それだけや!」
「引く…………」
徳二はただそう呟いた……
しばらくしてから徳二は眠りについたようや。
俺はぼーっと満天の星空を眺めていた。
今、呑気に寝転がって休んでいる俺らではあるが……
俺たちには着々と迫ってきていた。
死を運び込んでくる大きな塊が……
その塊は……
遥か備州から俺らの元へ迅速に着々と……近寄ってきていた…………
俺はそっと目を閉ざした。
どうしようもあらへん。
俺の出来る事はただ待つだけや。
駒のように動くだけの歩兵やから…………