29話 結
「…………」
俺はパッと目を覚ました。
足軽専用に設けられた仮設の宿泊小屋の中。
ぐぅぅ、ぐぅぅ、とあちらこちらからイビキの音が響き渡る。
仮設小屋の中はまだ真っ暗で目が闇に慣れるまでは全く何も見えへんかった。
徐々に目が慣れてくると小屋内のおおよその輪郭だけは認識出来る。
俺は寝床に置いていた槍を掴むとゴザから身を起こし、わらじを履いて小屋の出口へと向かっていった。
外に出るも辺りは真っ暗で松明すらも灯っていなかった。
ただ空には星々が広がり、うっすらではあるが山の頂上にそびえる雄大な安土の御城の輪郭が何となく確認出来た。
『厠(便所)でも行って用足すか……お結さん……さすがにまだ来とらんやろ……』
厠で用を足した後、俺は陣営の南端、お結さんと待ち合わせの場所へと歩んでいった。
あの人とは日の出頃が待ち合わせや。
まだ日の昇らん時刻やし、さすがにおらんやろう。
とりあえずあの場へ行き槍の修練でもするか……
陣の南端に行き、ふぅっと息をつき心を落ち着かせ俺は目を閉じた。
鍛練は怠ったらあかん……常に日々続けなあかん……
これより槍の技を練る……これより昇らるるお日様、観音様、どうぞ我に御加護の程よろしゅう御頼みもうします……
俺は心の中でそう御祈りし終えるとパッと目を開き、脇に携えていた槍を振り回し構え、これから修練をしようと思った時……
陣の隅、白い幕の側に置かれた木の株の椅子に腰掛ける人影をふと確認した。
「……あれ?」
あちらはじっとこちらを見ているようや。
「うそやろ……まさか……」
俺は槍の構えを解き脇に携えるとその人物の方に近付いていった。
「……お結さん?」
俺は切り株に座る人物にやや近づくと声を掛けた。
「眠たいわ」
彼女の声が耳に入る。
「あ、すまん、気付かんとおったわ」
「あんたが呼んだんやろ?もう……」
「すまん、まさかこんな早ようにおるとは思わんかった」
俺はそう言いながら彼女の前に来た。
「おはようさん、精が出るねぇあんた」
彼女は切り株に座ったままに俺にそう言った。
「おはよう……えらい早よう呼びだして申し訳ない」
「ほんまや、眠たいわぁうち」
彼女はそう言うとあくびをしている。
「お日さん昇ってからでええのに」
俺がそう言うと彼女は立ち上がった。
「言うてる場合やあれへんよ?あんたもう出るんやで?」
彼女がそう言った。
「……え?」
「今日出るんやで?ここ、惟任光秀様すぐに安土発つんやと」
……確か昨日もその話耳にしたな。
俺は光秀の護衛の兵として呼ばれたんやろか。
「……昨日ちらりとそう言う話は聞いたんやけども、戦ではないんか?」
「うちもそこまで知らんけど、仲良い子がそない言うてた」
仲良い子?
「どちらさんが?」
「御城にうかがっとる子」
御城にうかがう……侍から直接話聞いた奉公の娘かなんかやろか……
「そうか、まぁどちらにしろいずれ戦なるんやし是非槍の鍛練……」
そう言っている途中で彼女は俺の持つ槍の柄を握った。
「え?」
何する気や?と気が抜けた俺に対しお結さんは唐突に槍の下部分をぱんっと蹴飛ばした。
強い衝動がすると同時に槍がくるりと回転し俺の手から離れ一瞬で彼女に槍を奪われた。
「…………」
な、何なんや……
簡単に槍を奪われた……
「ちゃんと持っとき?」
彼女はくるりと槍を一回転させた後、槍を俺に差し出した。
「は、はい……」
俺はぽかーんとしたままに槍を受け取った。
「ほんま丹波の男はだらしないなぁ」
彼女は笑みを浮かべながらそう言った。
「……あんた……何者なん?」
俺は茫然としながら彼女にそう尋ねた。
「伊賀の女や」
「伊賀……」
もう陽は昇っていた。
俺は少し汗をかいていた。
体に若干の疲労も感じている。
伊賀のお結さんは俺に付きっきりで居てくれた。
「ここな?もうちょっと脇締め!腰も落とし過ぎ!隙だらけや!」
徹底して槍の構えを教えてもらっとった。
「突きも甘い!腰入ってへん!守るだけ?!あんた!」
彼女の指導は厳しかった。
兄貴よりも厳しいが教えに重みがあった。
教えがすんなりと体に馴染むように感じる。
「突いてみ!!あんたが思える一番強い突き見せえ!!」
バッと槍を突く。
「あほお!!全然なってへんやろ!!腰入れえ!!」
「はい!」
まだ辺りには人はおらん。
日の出過ぎたと言えどまだまだ早朝で他の連中は寝とるんやろう。
そんな早朝俺はずっと槍の特訓を受けている。
それは全て死なん為だけに……
お結さんは木の枝を手に持ち構えている。
俺は槍を構えていた。
「あんな、例えばこう突くやん、どう捌く?」
彼女が俺の顔に向けゆっくりと枝を突き付けてきた。
俺は槍で枝を払った。
「あんた払い方が雑、払うのはうまいけど雑やねん、もっと素早く簡単に払い?余計な力入り過ぎやねん、死ぬよ?」
「はい……」
「簡単に払いのけ?うちらんとこでは小川の如く言うてな、ふふふふ……」
「小川…………」
「小さな川のように力いれんと水流のように軽く払って…………」
そう言うと彼女は瞬時に俺の側に来て……
「……討つ……」
刃は持っていないが俺の首もとに手を添えている。
「…………」
言葉が出ない。
この人、別格やぞ。
何度俺は殺されてんねん……
あれからどれ程鍛練したやろうか。
殆ど槍の構えと突きを重点的に習ったがかなり疲労を感じる。
それなのに彼女は疲労も何も感じていないかのように出会った時と変わらないままでおった。
そろそろ陣の中でぽつぽつと人の姿が確認出来る。
「ほんならうちそろそろ仕事行くわ」
お結さんがそう言う。
「ほんまに、ほんまにありがとうございました!」
俺は深々と頭を下げた。
「多分お昼までに光秀様出て行かはると思うから……あんたともこれが最後かもしらんね」
「ほんまに色々とお世話になって!」
俺はまた頭を下げた。
「うちも楽しかったよ、こんなに体動かしたん久々や」
そう言うと彼女は俺に近付いてきた。
「色々教えたんやからな、お礼してよ」
「……お礼……」
俺が口ごもっていると……
お結さんは何も言わず口付けをしてきた。
そして口付けをすると同時にぎゅっと俺を抱きしめてきた。
「……男前、死んだらあかんよ?」
彼女が俺をじっと見つめそう言う。
「……伊賀の槍教わったから大丈夫や」
俺が微笑むと彼女も満面の笑みを浮かべた。
「それに、昼にまたお結さんとこの飯貰いにいくからな」
「ほな、待ってるわ!」
そう言うと彼女は俺から離れて去ってゆく。
「……ほんまに!ありがとうございました!」
俺が声をあげると彼女はちらりとこちらを向いて微笑んだあと、すぐにまた遠ざかっていった……
……安土城が見えた……
俺は……遥か上の御城に向け石段をのぼっていた……
俺の武士の衣服のせいで周りの者は頭を下げている……
ただ……どれほどのぼっても、のぼっても御城までたどり着けずにいた……
御城はきらめき輝いているが俺はそこまで全くたどり着けない……
やがて御城は大きく輝くと共に炎に包み込まれ……
…………カンカンカンカンカン!!
何か金物を叩くような音が響く。
俺は瞬時に目が覚めた。
カンカンカンカンカン!!
「これより出立の準備いたせ!!早急の事なればすぐに身支度致せえ!!」
侍が小屋の入り口で鐘を叩きながら騒いどる。
……あぁ……いよいよか……
俺は身を起こすと鎧をまとい兜を身に付けた。
そして竹の水筒と槍を手にし、ゴザから立ち上がり小屋の外に向かった。
他の連中もぞろぞろと外に出る。
外に出ると多くの足軽どもが小屋から出てきていた。
陣の前の方で何やら侍が大声で騒いどる。
騒いどるが何を言うてんのかさっぱり聞こえんでいた。
多分今から兵に呼ばれるんやろう。
分かってたけどほんま急やな。
お結さんに稽古つけてもらった後、少しの仮眠のつもりで寝とったんやけど昼飯前に呼ばれたようやな。
飯も食いたかったんやけど……
お結さんに最後何か告げたかったんやけどな……
「前進めえええ!!前進めえええ!!」
侍なんか足軽大将なんか知らんが怖そうなおっさんが歩いて怒鳴りながらこちらに来た。
ぞろぞろと足軽達が北の陣営の出口へと進み出す。
俺も同時に進み出す。
……どこ行くんやろ……明智の殿様に従って坂本行くんやろか。
確か昨日そう聞いた。
また船に乗るんかな……それか歩いて行くんやろか。
「……二郎!!」
俺の名……
「二郎!!」
ちらりと声のする方を見ると……
「……あ!」
お結さんや!
「二郎!!!生き抜きよ!!」
お結さんが飯小屋から出て大声で俺に声を送っとる。
「あんたに教わったんやで?!死ぬ訳ないやん!!」
俺も大声で返事をした。
彼女は笑みを浮かべている。
「……天下無双の今趙雲が戦で死ぬ訳ないやろ!!」
俺がそう大声で応えるとお結さんは満面の笑みを浮かべていた。
「騒ぐな!!」
おっさんが俺の元にやってきて怒鳴ってくる。
俺は口を閉ざしお結さんを見詰めた。
彼女もじっと、じーっと俺を見詰めていた…………
天正十年六月八日正午前……
本能寺を襲ってから六日が経つ。
俺は明智光秀様の護衛と言う形で安土から坂本へと向かっていた。
兵の数は……具体的には分からん。
分からんがそこそこはいる。
前も後ろも足軽だらけや。
何人いるんかは分からんが俺の真ん前に侍どもに囲まれて護衛されとるお方がおった。
そのお方は馬に乗り立派な鎧を身にまとっとる。
多分やけどこのお方が明智日向守光秀様なんやろう。
後ろ姿やし甲冑着こんどるからよう分からんが……
俺の親父より年上のジジイやん。
ただ……何となく近寄りがたい気品と言うのか品格と言うのか、そう言うもんは感じた。
ごっつい人なんやろうなと言う雰囲気も何となく感じるが、俺はこの男の為に命を落としたくはない。
明智光秀であろう男は馬に乗りただ前を向いて馬の歩みに揺れている。
周囲にも馬に乗る侍がいる。
護衛のされ方が重々しい。
厳重な警戒……と言う感じに見える。
そんな男の背中を足軽の俺はじっと見詰めた。
……明智光秀……
お前の為に俺は死なんぞ……
死ぬんならお前一人で潔く死んだらいい。
俺は……絶対生き残る……絶対……
槍を持ち行進する足軽軍の中にいる俺は明智光秀の背中をずっと見詰め強くそう思った。




