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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第一章 本能寺
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20話 徴兵

 その晩、祖父母も呼び居間にて一家勢揃いで晩餐(ばんさん)をとった。


 こんな事は正月でも無い限り滅多になかった。

 俺が無事に戦から帰還した事と久を連れてきた事の祝いのつもりらしかった。


 アユやイワナの焼き魚と味噌汁、大根の漬け物、大盛りの赤飯が振る舞われる。

 みんながやがやと楽しんでいたが久はまだ少し小さくなっていた。

 それでも大盛りの赤飯は完食しとったが……



 飯を食い終え、俺は囲炉裏の前で兄貴と話をしていた。

 久はおかんとお円さんと共に食事の後片付けをしている。


「ええおなごやん、お前には勿体無いな」


 兄貴が冗談でそう言う。


「うるさいわ、兄貴にもお円さんは勿体無いわ」


「阿呆」と兄貴が微笑む。


「紀伊から来たんやと?そう言うとったけどほんまか」


 兄貴がそう聞く。


「あぁ、勝浦言う所で漁師の娘として生まれた言うてたな。鯨とか獲っとったらしい」

「ほーう、紀州言うたらカツオやな。お前も紀州のカツオ釣ったんやな」


 兄貴はそう言うと、あははと笑いだした。


「何言うとんねん……」


 しょうもな……


「まぁそれはええわ。それよりお前槍の訓練今のうちにしとけ。俺もしよう思うとる」


 兄貴が急に真剣な顔をし、俺を見てそう言った。


「明日ぐらいからしとけよ?」

「この前も戦呼ばれるまでずっとしとったし……休みたい」


 俺がそう答えると、


「阿呆、舐めた事言うとったらあかん。お前も嫁さんおるんやから生き抜かなあかん」


 嫁さん……か……

 結納もまだしてないから実感が湧かんな。


「戦には絶対に呼ばれよるぞ……確信しとるんや」


 兄貴が静かにそう告げた。


「分かっとる。それに関しては十分に分かっとる」


 俺は囲炉裏を見つめそう言った。


「多分俺も呼ばれるわ。雰囲気がな……ただ事じゃないのを感じんねん」


 兄貴が声を落とし静かにそう言った。

 確かにそれは俺も感じるわ。

 何かの胸騒ぎを……


 ただ帰ってきてすぐに戦へ連れていかれると言う話はあんまりされたくなかった。


「どうぞ」


 お円さんが兄貴と俺に温かいお茶を差し出した。

 そして兄貴ではなく俺の隣にそっと腰を降ろす。


「いただきます」


 俺はお円さんにそう言うとお茶を口に運ぶ。

 熱いほうじ茶である。


「二郎さん京で大変やったんやってねぇ」


 隣に座るお円さんがほうじ茶を飲む俺にそう言った。


「久になんか聞いたん?」

「色々と、ふふふふ」


 お円さんはふふと笑う。


 あいつ変な事言うてへんやろな……


 ちなみにお円さんは二十一歳で俺と同い年である。

 京の烏丸(からすま)から、ここ亀山に嫁いできた。

 どういういきさつで三つ上の兄貴と知り合い、ここに嫁いで来たんかはよう知らん。

 清楚で物静かな大人しい女性や。


「子供らほっとって大丈夫なん?もう寝とるん?」


 俺がそう尋ねると、


「お久さんがうちらのお部屋行かはられて面倒見てくれてはんねん」

「久が?」


 あいつ……大丈夫やろな……


「ええおなごさんやねぇ、うちも助かります」


 お円さんが落ち着いた口調でそう言う。

 俺は囲炉裏を見つめながら熱いほうじ茶を口に運んだ。


 少し安心感が心に広がる…………






 翌日、まだ日が昇りかけた早朝、俺は庭で兄貴と槍の訓練をしていた。

 兄貴が突いてくる木の棒を俺が持つ棒でぱんぱんと払う練習、それを延々とやっていた。

 ぱっと素早く突いてくる棒、それを一瞬で棒で払う。


 兄貴に隙は無く集中せえへんと体をすぐに突かれる。

 しかも手加減せえへんから払い損ねるとそこそこ痛い。


 ただ、そう言う練習は初めて足軽として呼ばれた時から定期的にしてきとったから今の俺はほぼその素早い突きを払う事が出来ていた。

 棒を払うだけでなく払った後、逆に兄貴の喉元に棒を突き返す動作も体に染み込んでいた。


 今朝も基礎練習として、延々と兄貴の突く棒を払う練習を繰り返し続けた。

 地味でおもんない練習やけど充実感はあった。

 今ん所、百七十八回連続で失敗無しに棒を払い続けている。

 パンッと兄貴の棒を思いきり払うと兄貴が構えを解いた。


「よっしゃ!もうええか!充分体に染みたやろ!」


 兄貴がそう言うと棒を家の壁に立て掛けた。

 俺も棒を立て掛ける。


「朝飯食った後はお前の突きの鍛練やんぞ、朝飯まで小屋で休んどけ」


 そう言い兄貴は縁側から家の中に入っていった。


「はぁぁ……」


 水でも飲むか。

 俺は庭にある桶を手にし、家の外に出ていった。

 少しだけ歩くと保津川(ほずがわ)がある。

 河原を歩き、川辺に近づくとまず川の水で桶を丁寧に洗った。

 そして桶に清涼な保津川の水を汲み口に運んだ。


 あぁ……

 命を吹き返すかのような錯覚に陥る。

 俺はもう一度桶に水を汲むと水に満ちた桶を抱えて久の待つ小屋へと戻っていった。



 小屋に戻ると久は俺らの布団を丁寧に畳んで部屋の脇に積んでいた。


「お帰り」


 久がそう言う。


「あぁ、朝っぱらから兄貴にしごかれたわ」


 俺はそう言うと水の入った桶を小屋の畳の上に置いた。


「お水?」


 久が桶を見てそう言う。


「保津川の水や。喉渇いたから飲もう思うて。お前も飲めや」

「ほんなら少しだけ頂くわ」


 久がそう言い部屋にある柄杓(ひしゃく)で桶の水をすくい口に運んだ。


「……あぁ、おいし……」


 彼女は短くそう言った。


「俺はこの水飲んで育ってきたんや」


 そう言うと俺は桶を持ちがぶがぶと保津川の水を飲みだした。


「あんま飲んだら朝御飯食べられへんようなるよ?」


 久がそう言う。


「大丈夫や、水やもん」


 俺はこの川の水の側で生まれ、この川の水を生活基盤として大きく育ってきたんや。

 そやから出来うるんやったら久にももっとこの水を飲んで欲しかった。

 俺はまたがぶがふと水を飲み出す。

 その様子を見てた久はふふっと微笑むと「頂戴?」と声を掛けてきた。

 俺が桶を置くと久は柄杓で水をすくい口に運んでいた。





 今は昼過ぎ……


 実家での生活は平和そのものやった。

 最初は固かった久も、子供達と接する事が切っ掛けとなり徐々に実家の雰囲気にも馴れてきてくれていた。

 積極的におかんの家事の手伝いもするようになり、お円さんと縁側で仲良く談笑したりもしとった。


 俺は……

 田んぼや畑の手入れをしている。

 畑で水菜の種と、泉州(大阪府南部)の行商人からおとんが買い取った南蛮渡来の獅子唐(ししとう)と言う高価な野菜の種を植えていた。

 何でもその実を食えば百人力の力が付くんやと。

 更に収穫した実を行商人に売れば高値で買い取ってくれるんやと言う事をおとんが言うてた。

 ほんまかどうかは知らんが俺は種を植え終えると畑に保津川の水を撒いていた。


「二郎!」


 兄貴の声がする。

 見ると兄貴は畑のずっと奥から俺を呼んでいた。


 なんや……もう稽古はええよ……


 俺は水を撒くのを止めると兄貴の元へと歩んでいった。

 兄貴は突っ立ちじっと俺を見詰めている。


「どないした?」


 俺は兄貴の元へたどり着くとそう聞いた。


「来たわ、長からのもんが」


 来たんか、こんな昼間に……

 村長からの伝達の者が来た言う事は招集や、足軽としての招集命令や。


「はぁ……またか」




 とりあえず家に戻り、長からの書面を見る。


 ――――明智日向守(ひゅうがのかみ)公よりの御命令――――


 きたる六月五日晡時(ほじ)(17時)以下の者、野々神の広場へと参られますよう

 葛原与一郎晴豊(はるとよ) 二郎光丞(こうすけ)


「……五日?!今日やんけ!!」


 俺は書面を見て絶句した。


 ……頭ん中が真っ白になる……

 晡時は(さる)の七つ……もうすぐ言う事や。

 しかも、兄貴の名も書かれとる。


「もうすぐやん」


 俺は側の兄貴にそう言った。


「…………やるしかあれへん」


 兄貴は俺を見ずにそう言う。


「……呼ばれるやろう思っとったけど……唐突やわ……帰宅してから、たった一日だけやて……」

「死ぬなよお前?久待っとる事忘れんな、分かっとんな?」


 兄貴が真剣な目で俺を見る。


「あぁ……分かっとる」


 俺はそう答えた。


「大丈夫や!お前は俺が鍛えたから誰にも負けへん!」

「あぁ、兄貴も死なんよう」


 俺も兄貴に声を掛ける。


「大丈夫や!そやけどな……もし、俺になんかあったらな、あいつらの事頼むわ」


 ……弱気になっとんな……妻子おって背負うもんが多いのと、戦呼ばれるん久々やからやろか……


「何言うとんの!!阿呆みたいな事言うなや!!」

「気負いはするんや……」


 俺が激昂するも兄貴はそう呟いた。

 確かにそれは誰でもそう感じるかもわからんが……


「……とりあえずあいつらの顔見てくるわ。お前も久に顔見せてこい」


 そう告げると兄貴は居間を出ていった。

 一応居間にはおとんとおかんもいるが心配そうにしながら無言でいる。


「……部屋戻るわな?」


 俺は両親にそう告げると久のいる裏の小屋へと向かった。



「久」


 小屋に戻ると久は小屋の壁を雑巾で磨いていた。


「お帰り」


 久がそう言う。


「あぁ……疲れた……」


 俺は部屋の真ん中で仰向けになって寝転んだ。

 そして小屋の天井を見詰める。


「また稽古してたん?」


 久が壁を拭きながら俺にそう問う。


「……いや……ちゃうよ」

「…………」


 久は黙る


「…………呼ばれたんや」


 俺は天井を見詰めたままにそう呟いた。

 久の手は止まっている。


「……分かっとった事やけどな……思ったより早かったな。今回は兄貴も呼ばれてる」

「…………」


 久は俺の元に近寄り俺の手を握り締めた。


「今日や、申の刻……もうすぐに出なあかん」

「…………」


 久は何も言わず俺の手を強く握り締める。


「……大丈夫や……大丈夫、絶対死なん絶対に」


 俺は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


「……あんたにはな、観音様と祇園の神様とな、織田信長様と立派な服くれたあの少年が御味方しとるから大丈夫や、大丈夫や!」


 ……ふっ、そうであってほしい……


 久は涙をこぼしだし俺の手を強く握り締める。

 俺は身を起こし久を抱き締めた。

 彼女は嗚咽を漏らし泣き出している。


 ……明智日向守(ひゅうがのかみ)光秀……

 もし、兄貴か俺がこの世から消え失せ、久や俺らの家族に不幸を与えたら…………

 死してもお前を怨み続けんぞ…………


「大丈夫や、俺には取って置きの御守りがあるんやからな」


 俺は部屋の隅に大切に置いていた麻の小袋を手にした。


「織田信長様の御守りやぞ?こんなん持っとる奴この世に俺しかおらん」


 俺が明るくそう言うと久は涙ながらにふふふと微笑んだ。


「あの……ぐすっ……立派な衣装も……ぐすっ……着て行き?」


 あの衣装か……

 もう洗濯されとるやろうけど乾いてるかな……

 それにあれ着ると戦で目立つんちゃうか?

 そやけど……鎧着るし大丈夫かもな。


「分かった、着て行くわ」

「そしたらあんた生きて帰れるねん」


 確信したように久がそう言う


「ふふ」


 俺は微笑むだけやった。




 一通りの身支度は済ませた。

 あの本能寺の武将の少年の着物はまだ干されてて半乾きやったが無理に着ている。

 もちろんあの龍涎香(りゅうぜんこう)の入った小袋も首からぶら下げとる。


 今は玄関前。


「行くか」


 兄貴が俺にそう言い戸を開けた。

 今日は晴れていて戸を開けると日の光が差し込んでくる。

 玄関には一家全員がいて久もお円さんも泣いていた。

 それに釣られたのか甥の与介が泣き、姪の沙弥までも泣きじゃくっている。

 兄貴はさっさと外に出ていこうとした。


 その時……俺はこれが兄貴の最期の姿に感じた……


 一瞬やけどなぜかそう感じた瞬間………


「待って!!待ってくれ兄貴!!」


 無意識にそう叫んでいた。


 一瞬時が止まる……


 みんなが黙り込み沈黙の時が作られる……


「おかん!ノミと金槌(かなづち)持ってきて!あと小袋も!」


 俺はおかんにそう叫んだ。


「……なんでぇな……」


 おかんが困惑する。


「誰でもええ!ノミと金槌と首から下げられる小袋持ってきてくれ!」


 …………誰もなんも言わんし動かん。


 唯一、久が辺りをキョロキョロとしていた。


「ええわ!俺が持ってくる!兄貴ちょっと待っとって!」


 俺は家にあがりドタドタと奥の物置部屋に向かった。

 そして薄暗いその部屋に入るとノミと金槌を手に取った。

 ここじゃ暗いな……庭行かなあかん。

 俺はすぐに部屋を出ると縁側に向かい、そしてそこから庭に降り首から下げている小袋を取り出した。

 小袋は久がキツく巻いた手ぬぐいに包み込まれている。

 俺はそれを丁寧にほどき、小袋の中から白い龍涎香(りゅうぜんこう)を取り出した。

 そしてノミを龍涎香(りゅうぜんこう)に当てると金槌でノミを打ち出した。


 カンカンカンカンカン!と音が響く……


「二郎!何しとるの!」


 側におかんが来てそう言うが俺は何も言わず龍涎香をノミで打った。


 固い……固いが徐々にヒビが入ってゆく……


「おかん!頼む小袋ないか?!首から掛けられる紐の付いた巾着!」


 俺は龍涎香を打ちながら必死にそう告げた。


「うち持ってきます」


 お円さんがそう言い部屋へと向かった。


「何?その石……」


 おかんがそう言う。


龍涎香(りゅうぜんこう)や!詳しい事は後で久に聞いて!」


 龍涎香(りゅうぜんこう)にノミを打ち続け亀裂が走り、お円さんが小袋を持って戻ってきたと同時に龍涎香(りゅうぜんこう)の三分の一程が欠けた。

 どうぞとお円さんに小袋を手渡されると俺は欠けた龍涎香(りゅうぜんこう)を小袋の中に入れてぎゅっと紐で封じた。


「何しとんねんお前」


 おとんも来てそう言う。


「もう終わったわ」


 俺は立ち上がり小袋を持って玄関へと向かった。

 兄貴は玄関の戸の所でぼーっとしながら待っていた。


「兄貴、御守りや。これずーっと首に下げて身に付けとってくれ」


 俺は信長様の龍涎香(りゅうぜんこう)の欠片の入った小袋を兄貴に手渡した。

 兄貴は無言でそれを受け取る。


「御守りや。頼む」

「……あぁ、首に下げとったらええんか?」


 兄貴はそう言うとその紐のついた小袋を首から下げ着物の中にしまった。


「……ほっ……」


 俺の中に安堵が漂う。


「ほんならもうええな?行くぞ」


 兄貴が再度そう言うと戸の外に出た。

 俺も戸の外に出る。

 一家も全員家の外に出てくる。

 兄貴は見送りに出てきた子供二人に声を掛けていた。

 俺も久に声を掛ける。


「じゃあな、いつ帰ってくるかは分からんが無事に帰るからな」


 久はうん、うんと涙ながらに頷く。


「泣くなよお前、今生(こんじょう)のお別れちゃうぞ」


 俺がそう言うと久は又涙を浮かべながら微笑む。


「大丈夫や、分かるやろ?」


 久は頷く。

 しばらくしてから兄貴と俺は実家を離れ村の広場へと向かい歩き出した……




「お前……なんやその格好……」


 冷静さを取り戻したのか兄貴がようやく俺の姿に気付いた。

 武士の衣装である。


「本能寺の武士の、とある少年の衣装や」

「…………」


 兄貴は言葉を失い茫然としていた。


 俺は構わずどんどん広場へと足を進めた…………

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