17話 桑の下にて
緩やかな峠をくだり亀山の盆地の入り口に差し掛かった頃、ポツッポツッと雨が降りだしてきた。
笠など用意しているはずもなく、山を過ぎれば田んぼだらけで雨宿りする場所も無い。
どうするか?と久に問い掛けたが彼女は俺に任すと言う。
それならば……
俺は先を進んだ。
ポツポツポツポツと小降りの雨がやや強まり、ムッとした湿気が俺らを包む。
汗はかくが雨がすぐに汗を流し、どちらかと言うと寒さすら感じた。
昨晩鴨川で身を清めたのに、まさか亀山の入り口で更に身を清められるとは……
「恵みの雨かな……」
俺は空を見上げそう呟いた。
しばらく歩むと雨足は徐々に強まり出した。
「恵みの雨言うても降りすぎや!あっこ行こ!」
俺は道から少し離れてぽつんと立つ一本の大きな桑の木に駆け出した。
「ちょっと!待ってよ!急に走らんとってよ!!」
久が後ろでそう騒ぎながら小走りで俺に付いてくる。
俺は桑の木の下にたどり着いた。
大きな巨木で葉もたくさん生え、充分雨を凌げる。
遅れて久も頭を抱えながら駆け寄ってきた。
「もう!!」
久がそう言うと握り拳を作り俺の二の腕を一発トンッと打った。
「ふふふ、雨強まりだしたからしゃあないやん、ふふふふふふ」
俺は雨の降る亀山盆地を見つめてそう言い笑った。
「もーう、びっしゃんこやん!」
久はそう言うと衣類の袖を払い、首に掛けた小袋から朱色の紐を取り出し、それを口にくわえ手で長い髪を器用に絞り頭の上に結ぶと口にくわえていた紐で束ねられた髪を結び出した。
「……ええな」
俺は髪型が変わると同時に雰囲気も変わった久を見てそう呟いた
「何がよ……阿呆ちゃう……」
久は照れてうつむく。
「いつもとちゃう雰囲気やから、そやけど……」
「何よ……」
「似合ってんで、髪型」
「阿呆ちゃう?阿呆や……」
久は照れながら地面を見詰めしゃがみこんだ。
俺も続いてしゃがみ込み桑の幹に凭れ掛けた。
お天道さま、早よしてや?と空を見るが雨は強さを増している。
兄貴や村の奴等は喜んどるんやろなぁ……
この雨を……
雨は止む気配がない。
今は未の刻(14時)ぐらいやろか。
ただ俺の保津村までは後一里(4キロ)程度やろう。
「あと一里ぐらいで着くで」
桑の木に凭れ座り込む俺は隣に座る久にそう告げた。
「ふーん、あともうちょっとやん」
「そうやな……そやけど……止みそうにないなぁ」
雨は止む所か更に勢いを増していた。
都で笠でも買うべきやったか。
「しばらく待つか…………干物食う?」
俺は小袋からアユの干物を二枚取り出した。
彼女はうんと頷き一枚を受け取った。
俺らはそれに噛み付く。
さっき休憩した時に食ったばっかやけど何故かすんなりと食える。
「あんな?兵ってな?」
久が口を開く。
「しょっちゅう呼ばれてたん?」
アユを噛みながら俺を見てそう言った。
「……しょっちゅうって程でもないけど……年に一度か……二度ぐらいかなぁ……侍が数人村に来よってな、村の長のじいさんに兵要るから用意せえって告げよるねん。
ほんでその後に長が村中にそん事伝えてな、五日ぐらいかなぁ……早朝村の広場集められて槍の訓練ささすねん。訓練終わった後は長とか村のじいさん連中が、まずは死なんよう死なんように言うて、そん為に鍛練に勤しめ言うてなぁ……」
雨が打ち付ける眼前の地面を見詰め俺は呟くようにそう言った。
「へぇ……いくつが初めてなん?」
久がぼそりと呟き俺を見る。
「十……六の頃やったかなぁ……」
初めて戦に駆り出された時はちょうど今みたいな雨の日やった。
早朝広場に集められ安っぽい重い鎧を着せられ、雨ん中を亀山の御城へ向かわされた。
兵達は顔見知りのもんばっかで、兄貴もその頃はまだ兵に呼ばれとった。
戦に呼ばれてるという感じがせず妙な安心感を抱いとった俺は知り合いに鎧重いな、臭いな、と笑いながら話していて武士か足軽大将のおっさんに『気ぃ引きしめぇ!!』と怒鳴り散らされたのをよう覚えとる。
五年前、まだ女も知らん十六の時やった。
その時の敵方は織田兵で明智、と言う名しか知らん。
亀山の御城の内藤の殿様を守るようにと命じられ、俺のような経験の無い若いガキは御城の中の本丸辺りに連れてかれた。
そのせいか、ただひたすらぼうっと御城の前で槍を持ち立たされ続けた。
敵は全く攻めてこんままに武士っぽい怖そうなおっさん数人がやってきて、お前らはもう城から出ろ!と怒鳴られた。
御城の門を出るなりおっさんに必要ないからもう帰れ!帰れ!と怒鳴られた。
そん時は俺ら若者が役立たず過ぎて懲罰のつもりで帰されたんかなと思ったが……
あとで聞くと内藤の殿様がすぐに明智に降伏したらしかった。
「……色々あったからなあ……」
「へぇー」
久はそう答えながらアユを口に運んでいる。
「明智の殿様の護衛で淡海(琵琶湖)まで行ったりな……何日もかけて篠山まで行って城作りの手伝いでごっつい重たい石運ばされたりな、今の亀山の御城も俺が作ったんやで?」
俺が得意気にそう言うと久が吹き出した。
「あはははは!あんたが御城作ったん?一人で作ったって聞こえんで?あはははは!」
「そう言う意味ちゃうよ」
「あははははは!」
久はツボに入ったのかしばらく笑っていた。
雨はまだ降っている。
時刻はまだ未の刻なんかどうかは雨のせいでよう分からん。
遠くにはうっすらと村が見えるか見えないか程度。
あと一刻待ったら例え雨が降ろうがここを発つか。
故郷はすぐ目の前や。
久はまだ楽しそうに笑っていた……