16話 丹波の国へ
休憩を終え、再び亀山へと向かう。
久はすでに泣き止んではいたが、ろくに口も開かずにいた。
大丈夫かいな、こんな重たい雰囲気の中で故郷に帰るとか……
とは言えそういう切っ掛けを作り出したのは俺やから若干心が痛むし重い。
まさかそこまで深刻な事情があるとは思いもせんかったし、まさか彼女が紀州の上様の嫁やったなんて想像すらもせんかった事であり……
「足疲れ無いか?」
俺は並んで歩く久にそう尋ねた。
久は小さく「うん」と答え頷くが表情は暗い。
「……すまんな、妙な事聞いて」
俺は前方を向きながらぽつりとそう言った。
「別に……」
彼女も小さくぽつりとそう答える。
しばらく沈黙が続く。
すぐ前方には山が見える。
「この山越えたらすぐ亀山やねん」
俺が前の山を見てそう言うと、
「知っとる」
久がそう言った。
「え?知っとんの?来た事あんの?」
少し驚きそう尋ねると久は、
「地図で見た事ある。京周辺の地理は大体知っとる。うち……京来る前、堺にもおって……」
「堺……」
「京の事調べとったからこの辺の事は大体知っとる」
彼女はそう答えるが表情はまだ暗い。
覇気が無い。
堺か、遠すぎて行った事もなく、何があるんかもよう知らんが京ぐらい賑わっとる事は村のおっさんが言うとった。
堺での事を聞こうかと思ったが……
心沈んだままの彼女に過去の事あれこれ尋ねるのも気が引けて俺は何も聞かなかった…………
しばらくの間沈黙が続き、ただひたすら歩み続け、やがて山城国と丹波国との境にある大枝山に辿り着いた。
二日前の真夜中ここを通り京の都へと向かっていったんや。
行きは大勢の兵隊の中におり、帰りは若い女と二人でとは考えもせんかったがこれは現実である。
「ここ越えたら亀山や」
申し訳程度に舗装されとる山道に入り、俺は何気にそう言った。
久はなんも言わん。
俺は……このままの雰囲気で故郷に帰りたくなかったし、彼女に嫌な気分のままで俺の故郷亀山へ訪れて欲しくなかった。
そういう気持ちが強く出て思わず口を開いた。
「さっきの昔の話は……びっくりしたけど、もう昔の事やしええやん。変な事聞いてすまんかった」
「……ちゃうねん」
彼女が静かに呟く。
「うち……あんたに嫁ぐん?」
え?
はっとなって久の顔を見る。
彼女もちらりと俺を見る。
「な、なんや急に、そのつもりで連れてっとるのに……」
「うち子供産めへんよ?」
真剣な眼差しでそう言われる。
俺は思わず立ち止まった。
お互い黙り見詰め合う。
「ほんなら、なんで付いて行きたい言うたんや」
長い沈黙の後、俺はそう尋ねた。
「……寂しかったから……それにあんたやから」
「…………」
複雑な想いになんな。
あんたやから言うて二日前会ったばかりやろ。
そやけど、それは俺にも当てはまる事や。
よう知らん女を故郷に連れて帰りよるなんて俺も偉そうな事言えへん。
こいつはええ奴やし村にもおらんええ女やと言うのは確信していたから心開いて連れてきたんや。
「ええよ。兄貴に子おるし俺は次男やから無理に子作らんでも構わへんねん」
「ええの?」
まっすぐに俺を見詰めてそう言う彼女の声は心の底から絞り出されたものに感じた。
「当たり前やろ、ほな行くで」
少し照れながらも久の目を見詰めそう告げた。
「うん」と久が頷く。
そして再び並んで山道を歩きだした。
「その代わり農家の田舎生活やからな、贅沢なんか出来ひんで」
俺がわざと明るくそう言うと久は、
「うちも田舎生まれやから何とでもなるわ」
ニコッと微笑みそう言った。
緩やかな舗装された山道、あと僅かで亀山に着く。
不安はあるが今はほっとした安堵の気持ちの方が強かった。
行商のおっさん一人とすれ違ったぐらいでほぼ誰もおらん道をずっと進む。
「ほんでな?うちな……」
彼女も安堵感が広がったのか又ベラベラと他愛もない話をしだした。
俺は適当に相槌を打っていた。
亀山に着いた後の事はあんまり考えんようにしながら。
今は彼女の気持ちを和らげたと言う安堵感に浸っていたかったからやった。