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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第九章 近江国甲賀
159/166

159話 何処かへ

 忍びどもであろう連中に襲われてから恐らく一刻(2時間)は経ったやろうか、時はいぬ二ツ(19時半)頃、一旦落ち着いた俺らは全ての窓を開け放った。

 今宵はこちらで休めと言われて直ぐに眠れる筈もなく、俺は藁のムシロの上で両手を頭の後ろに組み仰向けに寝転んで天井を見詰めぼーっとしていた。側のお香はムシロの上に座り込み黙ったままじっとしとる。


「…………ふぅ」


 と、一息吐くと俺はそろそろ休もうかとお香に声を掛けようとチラリとお香に視線を向けた。

 その時、トントントンと広間の戸の向こうから複数の足音が聞こえてきた。

 俺もお香も無言のままに閉ざされた戸を見るとカタカタと小さな音と共に引き戸がそっと開かれた。

 見ると開かれた戸には先程の女二人がいた。彼女達は俺らの姿を見るとペコリと頭を下げて、


「失礼致します。お湯の御用意が整いましたんで、どうぞ湯浴みの方、なされてくださいまし」


 と、言ってきた。


「湯浴み?」


 お香が座ったままに女にそう言う。すると女二人が広間に入ってきた。

 俺は一応身を起こした。槍は再び壁に立て掛けとるが、さすがに今は位置を確認する必要はないやろう。襲われそうな気配はないからや。


「はい、御体お清めなさってくださいまし」


 女らは俺らより少し離れた場に丁寧に座るとお香と、そして身を起こした俺にそう言った。


「ふふ、随分とお気楽な事言うじゃあないのさ、私らさっき大変な目に合ったってのに、そんな呑気に湯なんて浴びてられない……」


 お香がそこまで言うと女がお香の言葉を遮った。


「そのように仰せられております故に」

「……誰から、さっきの連中?」


 お香がそう聞く。


「多くは語れません、今宵はお湯でもお浴びなさって、ごゆっくりと御休みくださいまし」


 そう言うと女二人が床に手を付いて頭を下げてきた。


「…………」


 どうやら朝まではほんまに何もないようや。ここは素直に言う事を聞くべきか。


「分かった、湯いただくわ。お香汗流すで」


 俺は女にそう言った後にお香の横顔を見てそう言った。

 お香はチラリと俺を見るが明らかに不満げな表情を浮かべとる。無理もないか、あんな目に合わされて命の危険と恐怖を感じさせられたんやから。


「ほんなら俺が先入ってくるわ、その前に……あんたらは何もんや」


 俺は立ち上がりながら女二人にそう尋ねた。


「こちらの者です」

「ふんっ、さっきの出来事知らん訳ないやろ。俺らに探り入れて連中に報告しとったやろ、ただの旅籠の者とは思えんけどなぁ」

「ただの旅籠の者です」


 女はじっと俺の目を見詰めてそう言うとる。嘘偽りは無さそうな気はするが……


「だったら何でさっきの連中に私らの事告げ口したのさ、どう考えてもただの旅籠の者なんて思えねぇよ?何者?忍び?」


 俺の代わりにお香がそう言った。


「同じさとの身ですのでその様にしました。それ以上は申せません」


 そう言うと女二人は再び頭を下げてきた。お香は何も言わずに、じっと女らを見とる。

 もっと色々と聞きたい所やけど先程の連中には依然として見張られとるのは確実やからここは大人しくしとくか。どうせ色々と聞いた所で何も答えんやろうし。


「まぁええ、湯浴びてくるわ」

「二郎……これを」


 お香が脇に置いていた正宗を掴むと俺に差し出してきた。


「ふっ、ええわ、大丈夫や、お前が持っとけ」

「だけど……」


 朝までは何もないと言う確信はある。そやないと連中があんなにあっさりと引き下がらんはず。


「では御案内致します」


 女の一人がそう言うと立ち上がった。俺は女に付いていき広間を出ていった……




 時は三ツ(22時)頃、窓を開けているとは言え室内はかなり薄暗い。

 俺らは湯浴びを済ませた後、寝巻きに着替えてムシロに横たわっていた。


「朝……どうなっちまうんだろうね……」


 隣のお香が呟くようにそう言った。


「ふっ、さぁな」

「迎えに来るっつってたからどっかに連れてくのかね、あいつら」

「知らんのう」

「なんか酷い事されねぇかね、銭取られたり身ぐるみ剥がされちまったりさぁ」

「どうやろな」

「なんさ、呑気だね、適当に相槌打って」

「あれやこれや考えてもしゃあないやんけ、ある程度は成り行きに任せんと」

「成り行きっつったって、私らただの旅人だべ?唐突に襲われて鉄砲構えられて脅されて、理不尽だよあんなの」

「ふっ、なんか理由があるんやろ、まぁ俺の身なりのせいやろうけど」

「本能寺で信長様にお仕えしてた侍の方から頂戴した御服だった?」

「あぁ、そや、ぼうまる言う少年やったわ、後で聞いたら森長隆様って言う方やったそうやけど」

「その御方と勘違いされちまったの?」

「知らん、それはまだ分からん」

「……はぁ……どうなっちまうのかな」


 お香が心配そうに呟く。気持ちは分からんでもない。そやけど連中にちゃんと事情を話せば手荒な真似はせんやろう、でも迂闊な事を口走ったり誤解を招くような事をすれば……


「なるべくあらがわんようにな、あいつら只者やあれへん雰囲気やったし」

「分かってんべ、余程の事が無い限りはね」

「あぁ、取りあえず今はゆるりと休むで、明日に備えてな」


 そう言うと俺は目を閉ざした。


「はぁ……分かった、おやすみ」


 溜め息混じりにお香がそう呟いた後、俺は直ぐに眠りに就いていった…………




 翌日十三日の朝はよう晴れとった。窓から朝陽が差し込む中で朝食をとり終えた後に、女から例の森長隆様の葵色の羽織りとすず色の袴に着替えるように言われ、それに着替えてしばらく広間で待機しとった。

 お香も黒頭巾に黒装束に黒い袴姿と言う旅立った時と変わらん出で立ちをしとる。

 腰には正宗を携えて、到底おなごのするような出で立ちには見えんから連中が警戒せんか若干の不安はあったものの俺は何も言わんかった。

 どうせ昨日も同じ姿をしとったし今更着てる衣を変えた所で何もならん。

 それから半刻(1時間)程した辰三ツ(8時)頃、お香と特に会話をする事もなくぼーっと座っとるとカタッと音がして広間の戸が開かれた。

 そちらを見ると薄藍色の衣に濃紺の袴を履き、腰に刀を携えた男が二人、姿を現した。

 二人とも顔を灰色の布で覆っとる。

 その男二人が足早に俺らの元に歩み寄ってきた。さすがに警戒をした俺はさっと立ち上がると壁に立て掛けた槍をチラリと見た。お香も立ち上がり腰に携えた刀の鞘に手を掛けようとする。


「座られい」


 手前まで来た男はピタリと立ち止まると俺らにそう言った。殺気こそ感じんがピリピリとした緊張感を発しとる。


「……何をするつもりや」


 俺は男の一人をじっと見詰めてそう言った。男もじっと俺を見詰め返す。


「大人しく致せ」

「…………」

「座られい」

「…………」


 しょうがない、俺はそっと腰を下ろした。お香も渋々腰を下ろしとる。


「女、刀を外せ」

「なしてだ」

「外せ、刀持つ事許さぬ」

「嫌だ」


 お香が男に反抗しとる。


「お香……」


 俺は素直に従えとお香に目で訴えた。


「なして刀持っちゃあいけねぇんだ」

「外せ……」


 一瞬男から僅かながら殺気を感じ取った。これ以上杭うと危険かもしれん。


「お香、今は置いとけ」

「…………私の刀だ、奪ったらただじゃあおかねぇよ…………」


 そう言うとお香は腰に携えた正宗を外し、床にそっと置いた。


「大人しゅうせえ」


 男は座る俺の元に来るとそう言いながらふところから黒い手拭いを取り出した。

 何をすんねん、そう思ってると俺の目元をそれで覆い、巻き付けてきた。目隠しや。恐らくお香も同じ事をされとるやろう。


「おい、俺だけに用事あるんやったらその女には何もすんな」


 目隠しされた俺は座ったままにそう言った。が、男は何も言わず今度は俺の胴に綱か何かを巻いとる。


「おい、聞いとるんか」


 少し怒気を含ませて俺がそう言うと、


「立て、要らぬ事申すな」


 と、静かな口調で言われた。


「ふんっ!」


 悪態ついたろうかと思ったが、我慢をし何も言わず立ち上がった。すると腰に巻かれた綱か何かを引っ張られる感覚がした。


「歩け、付いてこい」

「…………」


 どこ行くねん、そない思ったが俺は何も言わず男に引っ張られながら何処いずこかへとゆっくり歩を進めていった……




 目隠しをしたまましばらく歩かされ、どっかの建物に入らされ、どっかの部屋の硬い木の床に座らされてしばらく待つように言われた俺は何も言わずじっと座っていた。

 目隠しをしたままやからどんな場か分からんが右側に人の気配がする。それも慣れた気配やから恐らくお香やろう。


「お香、おるか?」

「いるよ」

「なんもされてへんか?」

「されてねぇよ、だけんど目隠しされて縛られてる」

「俺もや」

「刀や荷物奪われちゃいないかねぇ」


 俺はふっと吹き出した。荷物より身の心配せえよ。お前が一番呑気やんけ。

 そない言おうかと思った時、急に後ろに人の気配を感じた。


「ええか……大人しゅうせえ……暴れれば命無いと思え……」


 後方の男が冷たい口調でそう言うと俺の目隠しを外しだした。ぱっと視界が開けると同時にこの場の状況を確認出来た。

 十畳程はある広間の中央に俺とお香は座らされとって、部屋の左右と後方には茶色の麻布で覆面をした男達七、八人程が俺らからやや距離を空けて座っていた。

 目隠しをしとった時にこいつらの気配など全く感じんかったから突然姿を確認した俺はやや動揺してしもうた。

 チラリと右隣に座るお香を見ると彼女もやや顔を強張らせている。

 部屋の前方は一段やや高くなっていて濃い緑色の座布団が一つ敷かれとったがそこには誰も座ってはいなかった。

 俺の目隠しを外した男は俺の胴に巻き付けた太い帯のようなもんを解いとる。お香も体に巻き付けられた帯を解かれとった。

 一応体を解放された俺とお香は何も言葉を発する事なく、じっと座ったままでいた。広間には窓は無いが俺らの後方の戸は開け放たれていて蝉の鳴き声が外からよう聞こえてきていた。

 それにしても周囲におる連中からの視線が気になって落ち着かん。外から入る微かな風が若干冷や汗をかいた俺を嘲笑うかのように包み込んでは通り抜けていく。

 と、外からトットットッと廊下を歩く足音が聞こえてきた。足音は徐々に近付いてくる。するとこの部屋におった男どもが一斉に頭を下げだした。頭を下げてないのは俺とお香だけや。

 ここのお偉いさんが来るんやろう、そやけど俺らが頭を下げる義理などはない。せめてもの抵抗とばかりに俺もお香も頭を下げんとおった。

 ちらほらと周囲から怒気を含ませた視線らしきものを感じ取りはしたがかたくなに頭を下げずにおると足音はやがて後方にやってきて、そしてこの広間へと入ってきた。

 誰か来たか、そない思っていると俺らの脇を一人の男が通っていった。

 その男は武士のような格好をした中年の者で奥に敷かれた座布団の上にドシリと座り込んだ。すると頭を下げていた周囲の連中が一斉に頭を上げだした。


「…………」


 シンと広間が静まり返る。男は何も言わず俺をじっと見詰めとる。俺も何も言わず男をじっと見た。

 男からは殺気も怒気も何も感じんが、俺の様子をただうかがっとる。俺の出方を見ているのではなく俺が何者なのかと顔立ち、出で立ち、雰囲気や発する気配等の細かいものを見ているように感じた。

 心の内以外全てを見られとるようで妙な居心地の悪さを感じる。


 なんなんや……甲賀の忍びと言う連中は……


 人と言うより獣の嗅覚に近いもんを備え持っているようにも思えた。

 一朝一夕で得たものではないな、幼少より……いや、もしかすれば生まれたその日から学んでいった感覚なんかも分からん。それは俺の想像の域でしか推測出来ん事やが…………


「まず」


 突然男が口を開いた。あれこれと考え込んでいた俺はハッとなり男を見詰め直した。


「拙者の名は貴殿には名乗れぬ」

「…………」

「ここが何処いずこかと言う事も、甲賀以外は言えぬ」


 何を言うとるんやろ、俺はそない思いながら男の言葉を黙って聞き続けた。


「言えぬ故に貴殿を闇に葬る事など容易たやすい、それはお分かり下され」


 唐突に『殺す』と言う意味合いの事を言われて一瞬ムッとしたが俺はまだ黙ったままでいた。


「言えぬ故に貴殿を解き放つ事も容易い、それもご理解頂きたい」

「…………」

「貴殿に再び幾つか問い掛け致す、お答え下され」

「…………はい」


 俺は渋々とそう返事をした。


「貴殿は丹波国亀山より参られた葛原二郎と申されるか?」

「……はい、左様です」

「農家の出の者であるのは間違い御座らぬか?」

「はい」

「親兄弟の名、歳、全て答えて頂きたい」

「……ん?」


 なんで家族の名前と歳を聞くねん……関係ないやろ。

 と思ったが俺は、


「祖父、太次郎(たじろう)六十五歳、祖母、たえ五十九歳、父、太佐(たすけ) 四十二歳、母、(とき)四十歳、兄、与一郎二十四歳、義姉(ぎし)円二十一歳、甥、与介五歳、姪、沙弥(さや)二歳、以上」


 と素直に家族の名前と歳を答えた。男はただじーっと俺の目のみを見詰め続けて俺の答えを聞いとる。


「……その御衣服は本能寺にて奪い取られた物である事は誠かな?」

「はい」

「どなたの御召し物であられるかお分かりか」

「ぼうまると呼ばれとった武士の少年でした」


 俺がぼうまると答えると一瞬やけど男の発する雰囲気が変わった気がした。ほんの少しやけど。


「…………その御方を討ったのは貴殿か」

「いや、違います。既に事切れていた少年から奪い取った衣です」

「左様か……」


 何か男の雰囲気が先程とは変わっとるな。若干の動揺すらも感じる。


「では……ゴホンッ!」


 男は一度咳払いをすると再び落ち着きを取り戻し俺を見詰め直した。


「甲賀へはたまたま通っただけと申されたそうだが誠かな?」

「はい、このおなごの故郷武蔵国へ向けて旅をしとる途中にたまたま通りがかったまでの事で」

「要らぬ事までは申されるな、聞かれた事のみお答え下されよ」

「はい……」


 答えとるやんけ、なんやねんこいつ。ついそない思ってしまったが俺はそんな感情を面には表さんように意識をした。が男は、


「ふっ」 


 と鼻先で笑いよった。心の内すらも見られとるんちゃうかとすら思ってしまう。


「では葛原殿」

「はい……」

「貴殿の御言葉に嘘無き事は承知致した。して貴殿に御頼みしたい事が御座る」

「はい…………」

「貴殿に御逢いして致きたい御方がらせられる」

「…………」

「その御方に御逢いなされて下され、貴殿の事、その御方にお任せ致す所存である」

「……はい」


 会わせたい奴がおる?そいつに俺らの事を任せる?意味はよう分からんが今は成り行きに任せるしかない。


「お連れせよ」

「はっ!」


 男が短くそう言うとこの広間に居る覆面の男達の一人が返事をし、素早く立ち上がった。そして足早に俺の前へ来ると、


「付いて参れ」


 じっと俺を見ながらそう言った。

 俺は返事もせずにそっと立ち上がった。隣のお香も無言で立ち上がる。


「では」


 覆面の男が指示を出しとる男にそう告げて軽く頭を下げると俺らの脇をすり抜けて広間の出口へと歩いていった。

 今度は目隠しはせんのか、そない思いながら俺も一応男に軽く頭を下げると覆面男に続いて広間の出口へと向かっていった。お香も俺の後に続く。

 広間を出て庭に面した廊下をしばらく進むと前を歩く男がある部屋の前で立ち止まった。その部屋は障子戸の出入り口やけど戸は全て開かれとる。

 男は立ち止まるとその場に手を付いて座り、中に対して頭を下げた。

 男に続いて部屋の出入り口にたどり着いた俺は中の様子を窺った。

 中は床張りの間で先程おった間と対して広さは変わらんかったが障子窓が部屋の四方に備え付けてあり明るさは大分違っていた。

 そしてその広間には二人の人物がおる。一人は白頭巾をした中年の女、もう一人はまだ幼さの残る少年やった。

 二人は広間の奥に座り、何やら話でもしていたようやが俺らが来るとこちらを向いた。


 …………ん?


 こちらを向いた女と目が合った時、妙な気がした。妙な気持ちが湧いて出てきた。

 それは俺が真夜中に小栗栖で明智光秀を討つ時に抱いた感情に似とる。

 森長隆なりと叫んだ時の、自分が自分でないような気持ちが胸の奥底から微かに湧いてきた。


「は……」


 母……上……


 一瞬そう口走り掛けた俺は口を閉ざした。

 そやけど俺の意識はここに在らずの状況になり掛けており、ただ呆然と立ち尽くし、その女を見詰めたままでいた…………

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