147話 小寺
時は夕暮れの酉一ツ(18時)、俺とお香は三畳の部屋で膳に向かい夕飯をとっていた。
食事は炊いた稗と何かしらの山菜のお浸しが少々と器に何の具材も入っていない吸い物だけやった。
「お香、いっつもこんな飯やったんか?」
俺は膳の飯を見詰めそう言った。
「そうだよ」
「こんな少ない飯、毎日食うてたんか」
「うん、仏様にお仕えする身だからね」
仏を批判する訳ちゃうけど質素過ぎる。どんな生活強いられとんねん。もちろん他の御寺ではもっと食えるやろうけど。
尾張から京まで来る時に幾度も御寺に宿泊させてもらった時は沢山飯を食わせてもらったから全ての御寺がそうではないと言うのは分かるが……
「……体弱めるで……もっと飯食わんと」
「仕方ねぇべ、仏様の御教えなんだから」
「どんな教えやねん、阿呆らしい」
「はぁ!?何が阿呆らしいだ馬鹿!」
そう言うとお香が俺の背中を思いっきり叩いた。
痛い……息が詰まる……
「仏様の事馬鹿にすんでねえ!」
「くぅっ!お、お前……そ、それはやめろ……ほんまに痛いねん……」
「おめえが仏様の事を変に言うからだべ?」
「わ、悪かった……お前ほんまに力強いから背中叩くのやめえ……俺死んでまうわ」
「……ふふふふ、二郎なら大丈夫だべ、お前さん逞しい体躯してるもん」
「どうやろな」
俺はそう言い稗を口に運んだ。亀山の実家でもあんまり稗なんて食わんかったが……あんまりうまくないのう……
南蛮寺で味の濃い飯ばっかり食ってたせいやろうか。舌が肥えたんか分からんが……正直に言うとまずい。
そやけど飯を食えるだけまだマシか。しかし飯の量がほんまに少ないな。
「なんでこの御寺に住むようになったん?」
俺はお香にそう尋ねた後に山菜のお浸しを口にした。味付けが殆んど無い。蒸した草をそのまま食ってるみたいや。
「あちらこちらの御寺に御世話させて下さいませって御頼みしたんだよ。断られ続けたけんどここは御許しくだされて」
「そうか」
「私さ、本願寺とか清水の御寺にも御願いしたんだよ?」
「断られたんか」
「そう、女だからってね」
「あぁ…………延暦寺には行かんかったん?」
「行ってない。延暦寺はちょっと……私みたいな未熟な尼には無理だべ、それに多分比叡山に女は入られないんでないのかな」
「そうなんか……」
「だけど良かったよこの御寺に居させてもらえて、皆に太刀捌き教えられたりしてさ、そのお陰で織田の御殿様にも御会いさせていただいたし、それは曾祖父の名のお陰かもしんないけんどね」
「そうか、そんで仏門は抜けられそうなんか?あの住職激怒しとったけど」
「分かんね、でも何となく納得して下さってたし大丈夫だよ。どうせここ出るんだしさ」
「あぁ、それと……武蔵の国の実家に帰ったとして、お前のおふくろさんは大丈夫なんか?」
「何が大丈夫?」
「仏門抜けて男連れて帰ってきて大丈夫なんか?勘当されたんやろ?」
「大丈夫だよ、母にお前さん紹介してえもん」
「ふっ、そうか、実家はおふくろさん一人しかおらんの?」
「弟と妹がいる」
「そうなん?腹違いの姉さんが居るとしか聞いとらんかったからちょっと驚いたわ」
「だけんどもだいぶ年離れてるよ、その二人も腹違いだべ。父が違う」
「なんか複雑な家やなぁ……」
「貧しいからねぇ、前も言ったけんどさ、母は百姓の娘だしね、一人で子供養っていくなんて無理なのさ」
「あぁ……」
「私だけだよ、私の家で曾祖父の塚原卜伝の血を継いでるのはね」
「お前の実家ではって事?」
「そうだよ」
「お前……苗字はあんの?」
「あるよ、塚原だよ」
「そうなん?そやけどお前のおふくろさんは塚原家に嫁げなかったんやろ?」
「そうだけんど父から特別に塚原を名乗っても良いって言われたんだ」
「……塚原香か、初めて会った時から言えよ、ふふ」
「勘当されたからね、もうお香としか名乗ってなかったんだ」
「そうか……」
俺はそう呟き稗を口にした。味が淡白過ぎてあんまりうまいと思わん……
その後に何の具も入っとらん吸い物を口にしたが味付けが薄すぎて、まるで白湯を飲んでいるように感じた。
「ほんまに質素な飯やな、飯を食えるだけ有り難いけど度を越えた質素さちゃうか」
「仕方ねえべ、仏様の御教えなんだから」
「ここだけちゃうんか?他の御寺はここまで質素ちゃうかったやん」
「仕方ねえの、有り難くいただいて?」
「ふっ……」
俺は苦笑いを浮かべ、あまり味のしない食事を有り難くいただいていった……
翌日七月六日早朝、目を覚ますとザァーと雨の音が聞こえた。
今日は雨のようや。どないしよう、傘を持ってない。
この御寺の傘借りて京のどこかの店で傘と着替えの衣を買うか。しかし雨の中、小栗栖に向かうんはちょっと嫌やなぁ……
そやけどこの御寺にとどまり続けるのもちょっと抵抗あるし仕方ないか。
俺はそう思いながら隣のお香を見詰めた。彼女はまだすやすやと眠っていた……
時は辰三ツ(8時)頃、既に朝食をとり終えた俺とお香は住職の居る部屋にいた。朝食は麦と山菜のお浸しと瓜の入った吸い物やった。
「御住職様、私は今日こちらを発ちます。御仏の道を抜けます事御許し致して下さいますか」
お香が向かいに座る住職にそう言い頭を下げた。一応俺も頭を下げた。住職はじっとお香を見詰め何も言わずにいたが、
「……丹波の亀山に嫁ぐんか」
お香にそう言った。俺とお香は頭を上げた。
「はい、そのつもりでおります」
「そうか……お前はよう仏様に尽くしてくれたなぁ……遥か遠くから来てなぁ」
「ありがとうございます」
「お香……一向に帰ってこんから心配しとったんやぞ!」
「申し訳ございませんでした」
「……葛原さん」
「はい」
「お香……お、お、お香の事御頼み致します、うぅ、ううぅ、うぅぅ……」
住職が泣き出してもうた。
「はい、承知致しました」
「ううぅ……うぅ……うぅぅ」
めっちゃ泣いとる。どうしようかな……
しかし何かを伝えんと住職にもお香にさえも失礼にあたる。
「私が申し出た事で御座います。私の命に代えてでもお香を守り続けます。心にそう決めております」
「ううぅ……ううぅぅ!」
そう言うと住職が号泣しだした。
俺とお香は号泣する住職の前でしばらく無言のままでいた。
感情の起伏が激しい人っぽいが、根はほんまに良い人なんやろう。それは心底感じる。
住職を見詰めるお香の瞳からも涙が少し零れていた……
時は巳一ツ(10時)、金貨の入った箱を背負った俺とお香はこの小寺の玄関先に居た。見送りに若い坊さん三人が居るが住職の姿はなかった。住職には既に挨拶をしとるからやろう。
外からは雨の降る音がずっと聞こえとる。
「一つ御願いしたい事があるんですが、傘を二つ貸していただけませんでしょうか」
俺は坊さん達にそう告げた。
「はい、承知しました」
一人の若い坊さんがそう言うと廊下を駆けていった。
しばらく俺とお香と二人の坊さんで他愛もない話をしとると傘を二本手にした坊さんが駆けてやってきた。
「どうぞ」
そう言い傘を俺とお香に差し出す。
「すんません、ありがとうございます。京のどっかで傘買ったら返しに来ますんで」
俺は傘を受け取りそう言った。お香も傘を受け取る。
「構いません、差し上げます」
「あ、ええんですか?」
「はい、構いません」
「すんません、色々と御世話になった身やのに」
「お香さんの旦那さんになられるお方やったら構いません」
そう言い坊さんが微笑んだ。
「どうもありがとうございます」
「ありがとうございます、御世話になりました」
俺とお香はそう言うと頭を下げた。
「お香さん亀山でもお元気で、又たまにはこちらへお顔お見せにやって来て下さいね」
別の坊さんがお香にそう言う。
「はい、分かりました」
お香が再び頭を下げる。
さて、そろそろ行くか……俺は玄関の戸を開けると傘を開き、そして壁に立て掛けた重い飯田の槍を手にすると右肩に担いだ。
「どうも御世話になりました。御住職にも感謝しております」
俺はそう言うと坊さん三人に頭を下げ、小寺の外に出ていった。お香も坊さん達に一言告げると傘を広げ俺の後に続いてきた。
雨はそこそこ強く降っていて小寺の門へと続く道は若干ぬかるんでいる。
「ええ人やったな、あの住職」
「ふふ、そうだよ。私の事を救って下さったのもあのお方なんだから」
「そうか、よし、そんなら小栗栖に行くか。そやけどちょっと京で買い物したいねん」
俺はそう言い小寺の門をくぐった。
「買い物?」
「衣とか……あとは……魚の干物か何か買うか、ちょっと腹減った。御寺の飯の量が少なくてな、ふふ」
「ふふふ、分かった」
俺は右肩に凡そ四貫(約15㎏)はある飯田の槍を担ぎ、左手で傘を持ち、お香と並んで京の街を歩いていった…………




