144話 イエスの清め
時は巳三ツ(午前10時)を少し過ぎた頃、襖が開かれて久が頭を下げ部屋に入ってきた。
「ミサ終わったで」
久が俺の向かいに座りそう言う。ミサって南蛮の神に御祈りする儀式の事なんかな。
「俺らもそろそろ出ようと思うんやけどな?一つだけ頼みたい事があんねん」
「何?」
「お香、正宗貸して?」
「なして?」
「ええから貸して?」
俺がそう言うとお香は脇に置いていた鞘に収められた正宗を手渡してきた。
「何すんの?」
お香がそう聞いてくる。
「久、この刀……清めてくれんかな。南蛮の神の元で」
俺はそう言い正宗を久に差し出した。久はじっと正宗を見詰めとる。
「ちょっと曰く付きのある妖刀でな。お清めしてもらいたいんや」
「二郎そんな事しなくていいべ、桑名の川で清めたしさ」
「それはまだ信用出来んわ。念の為にや」
俺がそう言うと久が、
「分かった。ほんならちょっと待ってて?」
そう言うと立ち上がり正宗を持たず部屋を出ていった。
「一応や、一応」
俺は正宗を手にし、隣に座るお香にそう言った。お香はじっと正宗を見詰めている。
しばらくして久が部屋に戻ってきた。
「ええよ二郎、事情話したらパードゥリ様がその刀のお清めしてくらはるって」
「あぁ、そうか、すまんの」
「そんでその刀、お香さんのなんやろ?お香さんもご一緒に来ておくれやす」
「……私もよろしいのですか?」
「構いませんよ、ただ仏様にお仕えする身のお方やからゼズス様に御祈り捧げるのだけはお止めください、との事で」
「……御承知致しました」
「そんなら二郎、付いてきて?」
「あぁ、分かった」
「二郎待って?」
そう言うとお香が頭に黒頭巾をかぶった。仏に仕える証である坊主頭を隠す為やろうか。
「ふっ、わざわざええのに」
俺は黒頭巾をかぶるお香を見詰め微笑んだ。
「礼儀だよ」
「ふふ」
俺とお香は立ち上がり、部屋を出て久の後に付いていった。
しばらく廊下を歩くと昨日の大広間に到着した。広間の奥の祭壇前には白い衣を身に纏った南蛮人が二人とロレンソと言う初老の日本人がいる。
ただ昨日のように大勢の南蛮人の姿はない。広間にいるのは俺らを除いて三人だけやった。
俺らは広間の奥へと向かっていった。お香は若干緊張しとるようや。
「お連れ致しました」
久がそう言い三人に頭を下げとる。俺もお香も彼らに頭を下げた。
「では、まず主への御祈りを」
ロレンソがそう言う。祭壇に置かれているゼズスと言う神の絵と女の木像に向けて久は手を胸の前で握りしめ祈りを捧げとる。俺は手を合わせて御祈りしたがお香は言われた通り御祈りせずにいた。
「あの……この刀を清めていただきたいのですが」
御祈りした後に俺は正宗を差し出した。たぶん盲目であろうロレンソは視線の合わない眼差しでいるがロレンソの左隣に立つ南蛮人二人はじっと正宗を見詰めとる。
「Me siento mal de esta espada(この剣から邪悪なものを感じる)」
「Una espada que se ha llevado la vida de muchas personas.(多くの人の命を奪ってきた剣だろう)」
「Limpia inmediatamente esta espada bajo el conocimiento de Jesús(すぐにイエスの御力の元においてこの剣を清めましょう)」
南蛮人二人がなんか言っている。そして……
「Por favor pasa la espada. Por favor ponlo delante de Jesús Retire la espada de la vaina.(剣を渡してください。イエスの元に置いてください。鞘から剣を抜いてイエスの元に置いてください)」
南蛮人が俺を見詰めそう言った。
「葛原さん、その刀を主ゼズスの御前に置いてくださいませ。鞘から刀を抜いてくだされ」
ロレンソが俺にそう言った。
「はい」
俺は鞘から正宗を抜くとゼズスと言う南蛮の神の絵の前に正宗と鞘を置いた。お香はじっと正宗を見詰めとる。
「Toma un tiempo Dile a Jesús que ore a Jesús y espere en la habitación(しばらく時間が掛かります。イエスに御祈りを捧げてお部屋でお待ちくださるように、と伝えてください)」
「Limpiaré esta espada con el poder de Jesús.(イエスの御力でこの刀を必ず清めます)」
南蛮人二人がロレンソに何か語り掛けとる。
「主に再び御祈りを捧げた後にしばしお部屋でお待ちいただけますかな?」
「あ、はい。承知致しました」
俺はそう返事をし、ロレンソと南蛮人二人に頭を下げた。お香も久も頭を下げている……が、
「二郎、あの槍も清めてもらえば?」
お香が俺の衣の袖を掴みそう言ってきた。飯田の槍か。あれは別に何とも無いんやけどなぁ……
そやけど折角やし清めてもらうか。何十人もの命を奪ってきた槍やし、音羽に返した後に飯田家が呪われるのも嫌やしな……
「あの、ロレンソさん。もう一つ私が持つ槍も清めてもらえませんか?」
「槍ですか?承知しました。Él quiere que limpies el ataúd que posee bajo Jesús(イエスの元において彼が所持している槍を清めて欲しいそうです)」
ロレンソが南蛮人二人にそう言っている。
「No importa ¿Pero llevará más tiempo?(構いません。しかし更に時間が掛かりますよ?)」
「構いませんがもうしばらくお待ちくださる事になりますよ」
ロレンソが俺にそう言った。
「あ、承知しました。では持ってきます」
俺はそう言うと駆け足で広間の出口へ向かい玄関口の壁に立て掛けてある飯田の重い槍を取りに行った……
時は午三ツ(12時)辺りやと思う。俺とお香と、そして久は寝泊まりした部屋におった。正宗と飯田の槍のお清めを待つ為やった。
久はこの御寺の女中やからほんまは食事の準備をせなあかんのやけど今日は特別に俺らの部屋に居ててもいいと言われとった。
「そんで二郎、この後ここ出て何するん?なんや小栗栖言う所行くみたいな事言うてはったけど」
久がそう聞いてきた。
「あの槍は借り物やねん。そやから小栗栖の御屋敷に返しに行かなあかんねん。その前にお香が御世話になっとった御寺にも伺おうかなとは思うとる」
「へぇ、そうなん」
「それで小栗栖行ってから亀山帰って家族に顔合わせて事情説明してから……武蔵の国に向けて出発やな、ふふふ」
「そう、大変やね」
「そんで……さっきの広間の台の上に置かれとった絵がゼズス言う神様やろ?」
「そうやで」
「隣にあった女の木像はなんなん?」
「神の母上様や」
「…………」
「マリア様や。ゼズス様の母上様や」
「あぁ……」
「ごっつい尊い御方なんやで?」
「そうなん……」
久……完全に南蛮の宗教の信者になってしもうとるな……
「そ、そんでこの御寺に来た時に庭で黒い南蛮人見たんやけどあれは何者なん?他の南蛮人と全然違うかったけど」
「南蛮の人ちゃうで?ムサンビーケ(モザンビーク)言う御国から来られたんやと。南蛮ってエスパーニャとかポルトガルとかイタリアの事やで二郎」
「そうなん……」
よう分からん。
「黒い方達は……ポルトガルより南の地の御国の方々でパードゥリ(神父)様らにお仕えしとる御方やねん」
「あぁ、家臣みたいなもんか」
「そんなもんや」
「お久さん、実は二郎も大名様にお仕えなさられるかもしれないんですよ?」
お香が微笑みながら久にそう言った。
「……そうなん?二郎」
「ま、まだ分からへん……一年かその先かの話でな。羽柴秀吉様が馬廻りとして召し抱えてくださるとおっしゃられてな」
「ええ!?ほんまに!?」
久が驚いとる。
「ちょっと色々とあって、俺の槍の腕をお褒めしてくだされて」
「ごっついやん二郎……うち驚いた」
「ま、まだ分からん。すぐにって訳ちゃうし。それと御褒美もいただいてん」
俺はそう言うと立ち上がり部屋の隅に置いていた風呂敷に包まれた箱を手にした。そして元の場に座ると風呂敷をほどいていった。
お香と久がじっとその様子を見詰めとる。
風呂敷をほどくと羽柴家の家紋が記された木箱が姿を現した。俺はその蓋を開けた。
「……うわ……何これ……金の大判ちゃうの……」
久がじっと箱の中を見詰めそう呟く。
「羽柴秀吉様からいただいたんや。俺もまだ枚数数えてへんねん」
俺はそう言うと箱の中の大きな金貨を手にした。金貨は黄金色に輝きズシリとした重みを感じる。
「一、二、三、四……」
俺は金貨の枚数を数えていった。
「十五……十五枚か」
十枚(約130万円)ぐらいかなと思っていた金貨の枚数は全部で十五枚(約200万円)入っていた。
「……あんた凄いねんね……二郎」
「その代わり……大勢の人の命殺めてきたわ。あちらこちらでな」
「なんで?」
「色んな経緯はあるんやけど…………俺が明智光秀を討った事が発端なんや」
「……え?」
久がじっと俺を見詰める。
「小栗栖言う場でな、真夜中に明智光秀を襲った……そんで討った」
「…………」
「しょうがなかった。捕虜として捕らえられて、そうするように命令されてな」
「……ほんまに?」
「ほんまや、仕方の無い事やったんや……」
あの時、無性に心に沸き立つものを感じたな。絶対に明智光秀を討ったると言う高ぶる気持ちを……
今着ている服の持ち主ぼうまること森長隆様の御意志を感じたんやろうか。織田信長様の敵討ちの意思を強く抱いた覚えがある。
「それでお殿様からこんなに御褒美貰えたん?」
「それが理由って訳ちゃうけど原点は明智光秀を討った事やな」
「…………」
久は絶句をしとる。すると襖が開かれ侍女が廊下で手を付き頭を下げてきた。そして顔を上げると、
「お食事、御用意させていただきます」
そう言うと若いお姉さん三人が膳を持ち部屋に入ってきた。
「すんませんねぇ、お千さんお玉さんお鶴さん」
久がお姉さん方にそう言うとる。お姉さん方は微笑み俺ら三人の前に膳を置いていった。
「それと刀と槍のお清め、終わりまして御座います。お食事お召し上がられる前にお持ちいただきたいとの事にてどうぞ先にゼズス様の元へいらっしゃられてくださいませ」
廊下に座る侍女が俺にそう言ってきた。
「はい、承知しました。すぐに参ります」
俺が立ち上がるとお香も久も立ち上がった。俺らはあの広間へと向かっていった。
広間の祭壇前にはまだロレンソと白い南蛮の衣を着た南蛮人がいた。
「主の元においてお清め致しました」
ロレンソが俺らにそう告げると胸の前で手を握りしめた。
「ありがとうございました。無理を言い申し訳御座いませんでした。大変感謝致します」
俺はそう言い三人に頭を深く下げた。
「Que esta diciendo?(彼はなんと言っているのですか?)」
「Gracias.Lamento decir que es imposible. Gracias(ありがとうございます。無理を言い申し訳ない。ありがとう、と)」
「Oh si, gracias a Jesús primero(そうですか、ではまずイエスに御感謝してください)」
「葛原さん、まずは我らにではなく主ゼズス様に御感謝致してくださいませ」
ロレンソが俺にそう言う。
「は、はい」
俺はゼズスの絵を見詰めた後に手を合わせて目を閉ざした。久も胸の前で手を握りしめて祈りを捧げとる。黒頭巾をかぶったお香は軽く頭を下げる程度やった。
『ゼズス様どうもありがとうございました』
御祈りし終えた後に南蛮人が正宗を鞘に収めて俺に差し出してきた。
「ありがとうございます」
俺はそう言うと正宗を受け取りお香に手渡した。お香も軽く礼をすると袴の帯に正宗を携えた。
そして南蛮人が飯田の槍を手にするが……
「¡Qué bolsa tan pesada!(なんて重たい槍なんだ!)」
大柄な南蛮人が飯田の槍を持つと南蛮語でなんか言うとる。ちょっとよろけてるけど大丈夫か?
「あ、大丈夫ですか?」
俺は南蛮人に近寄り飯田の槍を受け取った。
「¿Lleva una bolsa tan pesada?(彼はこんなに重たい槍を持ち歩いているのか)」
南蛮語で何かを言うと俺を見詰め笑みを浮かべた。俺は右肩に飯田の槍を担いだ。
「では失礼致します。昼食をいただいた後にこの御寺をおいとまさせていただきます。大変良くしていただき誠にありがとうございました」
俺はロレンソと南蛮人二人にそう言うと深く頭を下げた。お香も久も頭を下げている。
「分かりました。Muchas gracias Sal de esta iglesia después del almuerzo.(大変ありがとうございました。昼食後にこの教会を去ります)」
ロレンソが南蛮人二人にそう言った。
「Ruego que tengas la bendición de Dios. Te deseo una vida feliz(あなた方に神の御加護がある事をお祈りいたします。幸のある人生をお祈りいたします)」
「Te ves valiente. Jesús siempre te está cuidando. Por favor vive una vida feliz(あなたは勇ましそうだ。イエスはあなた達の事をいつも見守っています。どうぞ幸福な人生をお送りください)」
南蛮人二人が俺らに何かを言うとる。
「葛原さん、香さん、御二人に主の御加護が御座いますよう、どうぞお幸せにお過ごしくださいませ」
ロレンソはそう言うと俺らに対して優しく微笑んだ。盲目やと思っていたのにその時だけは俺をじっと見詰めている気がした……
今は部屋に戻り俺とお香、久で昼食をとっていた。昼前にはここを出ようと思ったんやけど正宗と槍のお清めの為に若干予定が狂った。
昼食はエスパーニャと言う国の魚料理と吸い物やった。
山菜と煮た魚と二枚貝が散りばめられた料理で久が言うには魚は鯛らしかった。
ほんまは鱈って言う魚を使うらしいが日本では食材が手に入りにくいらしい。
そして吸い物は鮎と雉の肉を煮込んだものやそうや。これも本場エスパーニャとは食材が違うらしい。日本で手に入る食材で代用しとるらしい。
吸い物には鮎と雉の肉がたっぷりと入っとる。俺は箸を手にし鮎と雉の吸い物を口に運んだ。
うまいな……
更に吸い物に入っとる雉肉を箸で摘まみ口に入れた。
「うまいわ、南蛮の飯ってうまいんばっかやな」
俺は左隣に座る久にそう言った。
「そうやろ、そやけどその分お料理作るの手間隙掛かるねんで。ここぎょうさん人居るから毎日大変」
「南蛮の方に一から教わったんですか?」
久の左に座るお香が久にそう聞いた。俺は鯛の煮物を口に運んだ。
やっぱりうまいわ。口にした事のない味付けがめっちゃうまい。
「ううん、ここの女中さんに教わりました。パードゥリさん達日本語話せる人少ししかおらへんので、しかも下手くそで何言うてるか分からん時ありますんや、ふふふ」
久はそう言い笑うとお香もふふっと笑った。俺も少し微笑みながら雉の肉を口に入れた。
「……で、二郎、戦行ったやん。どんな感じやったん?」
久が俺にそう尋ねてきた。
「あぁ……山崎って言う所でな、とんでもない大戦したわ。しかも軍の一番前の方でな」
「…………」
「死にかけたでほんまに。そやから途中で走って森ん中に逃げた」
「そん時に明智様殺したん?」
「ちゃうよ、その後やな。ほんまに色んな事あったわ。尾張とか美濃まで行ったんやで俺」
「えらい遠い所まで」
「もっと遠い武蔵の国にも行かなあかんしな、ふふふ」
「すまないね二郎」
お香が申し訳なさそうにそう言う。
「かまへんかまへん、お前と結納を納めるんや。俺がお前に嫁になってくれって申し出た事や。気にせんでもええよ?たかが半月か一月やろ?一年二年やったらちょっと考えるけどその程度やったら全然大丈夫や」
「ふふ……」
「それより首の傷はもう大丈夫なんか?」
「もう大丈夫だよ」
「そうか、良かった」
俺はそう言うとエスパーニャの魚料理を口に運んでいった……
未三ツ(14時)ぐらいやろうか。俺とお香は南蛮寺の玄関口にいた。
俺は右肩に飯田の槍を担ぎ左手に秀吉様よりいただいた風呂敷に包まれた大きな木箱を手にしていた。お香は黒頭巾をかぶり黒い衣と黒い袴を身につけ帯に清められたであろう正宗を携えている。
俺らの見送りは久とそして女中二人だけで南蛮人の姿はなかった。
「久、無事で良かったわ。色々と世話になったな。達者に暮らしてくれ」
「二郎……」
「お久さんどうぞご達者で」
お香もそう言い頭を下げた。
「ありがとうございます。二郎……また会おうな?」
「そうやな、いつかまた」
「二郎……」
久が少し涙ぐんどる。久との別れは寂しいがしょうが無い。いつまでもここに居る訳にはいかん。
「よしっ!ほんならもう行くわ!元気でおれよ?久」
「うん、あんたも元気でな?お香さんも」
「ありがとうございます」
お香が頭を下げている中、俺はそのまま南蛮寺の玄関の外に出ていった。お香も俺の後に付いてくる。
庭ではほうきを持ったあの黒い異人がいた。枯れ葉を集めて掃除をしていたが、俺に気付くとちらりとこちらを見てきた。
俺は軽く彼に会釈をした。お香も軽く彼に頭を下げた。
黒い異人は俺らを見た後に少し微笑み手を振ってきた。
俺らも微笑むとそのまま南蛮寺の門へと向かい、そしてこの御寺を去っていった…………