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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第八章 京
141/166

141話 ミサ

「コチラヘ、ドウゾ」


 黒い異人がたどたどしい言葉で俺らを、とある部屋へと案内した。部屋へ入るように促している。


「失礼します」


 俺は黒い異人に頭を下げた。お香も頭を下げる。

 先程、俺と会話をしていた南蛮人と思われる黒い衣を着た男二人はどこかへと行ってしまっていた。

 俺達は案内された室内へと入った。

 六畳ぐらいやろうか、ややこじんまりとした畳張りの部屋やけど縁側の障子の戸は開かれていて手入れされた庭がよく見える。

 黒い異人は軽く頭を下げて、(ふすま)を閉めてトットットッと足音を立てて去っていった。


「はぁぁ……南蛮人なんか見たん初めてやわ」


 部屋の真ん中に座ると俺はお香に微笑み掛けた。座布団などは無かった。


「私もだよ、たまげた。なからでかくてさ」


 お香も微笑みそう言うと俺の左隣に腰を下ろし正座をした。俺はあぐらをかいていた。

 お香は帯に携えた正宗を手にし、畳の上に置いている。しかし俺はさすがに飯田の重たい槍を御寺内には持ち込まず玄関口の壁に立て掛けて御寺の中に入っていった。今は武具は何も持ってない。

 そやから若干の不安感はあった。大きな南蛮人達に集団で襲われれば殺される可能性もあるから……

 しかし、多分そんな事は無いと言う雰囲気は感じていた。あいつらから俺らに対する殺気を一切感じんかったからや。


「ほんまに……こんな所に久おるんかな……」


 俺は室内を見渡しながらそう呟いた。室内は普通の和室で特に変わった所は無かった。

 庭も大きな松の木が数本植えられとるだけやった。と、その時……


「失礼します」


 部屋の襖が開かれて中年の日本人の男が入ってきた。

 ただその左右に真っ黒な衣を着た先程とは別人の南蛮人二人が中年の男に寄り添って歩いとる。


「は、はい」


 俺はそう言い座ったままに日本人の男と南蛮人二人に対して頭を下げた。

 そして頭を上げると男と南蛮人の顔を見詰めた。

 男は……六十前後ぐらいやろうか。はっきりとした事は分からんがそれぐらいに見える。

 そして南蛮人は黒い髪で鼻が高く、もみ上げと頬から顎にかけての髭が繋がっとった。二人共である。

 男と南蛮人二人が俺の向かいに座ると男は畳に手を付き深く頭を下げてきた。

 日本人の男の左右に座る南蛮人は軽く頭を下げる程度やった。

 そやけど俺もお香も深く頭を下げた。


「わたくし、こちらゼズスの御堂に御勤めさせて頂いておりますロレンソ了斎(りょうさい)と申します」


 そう言うと男が頭を下げてきた。


「葛原二郎と申します。こちらは京の御寺で仏様にお仕えしております尼の香と申します」


 俺がお香を紹介すると、


「香と申します」


 名を名乗り頭を下げた。俺も頭を下げてすぐに頭を上げた。


「こちら両者はエスパーニャの御国より参られましたアロンソとカミロで御座います」


 ロレンソと言う中年の男が左右の南蛮人を紹介しとるが、目の焦点が合っとらんなぁ……俺を見ているようで見てない感じがする。

 盲目なんやろうか。そやから南蛮人二人に付き添われてたんかな。


「あ、あの、本日は突如こちらの御寺へと参りまして、御迷惑お掛け致しまして申し訳御座いませんでした」


 俺がそう言うとロレンソと言う男は頭を軽く下げた。


「こちらに久と言うおなごが居ると耳にしました。久は私の知り合いで御座いまして」

「…………」

「実は嫁にしようと丹波の亀山の実家に連れていったのですが……急に姿を消しまして、その後京で久を探しておる時にこちらの御寺に居ると、祇園のとある方から伺いましてこちらへと参りました」

「そうですか、久さん……」


 ロレンソが考え込んどる。そして、


「¿Hay una mujer llamada Hisa en este templo(久と言う女性はこの御寺に居りますか?)」


 彼が左右に座る南蛮人に南蛮語でそう聞いとる。


「Sí, ahora ella está cocinando en la cocina.(はい、今彼女は調理場で料理をしています)」

「葛原さん、久さんは只今台所で夕飯の支度をなさられておられるそうで御座います」

「は、はい、分かりました」

「¿Es un conocido de Hisa? ¿Sabes que la protegemos? Ella siempre estaba sola Estábamos heridos y la salvamos según las enseñanzas de Jesús. Cuéntales sobre eso(彼はヒサの知り合いですか?我々が彼女を保護した事を知っているのですか?彼女はずっと一人で居ました。

 我々は胸が痛くなりイエスの教えに従い彼女を救いました。その事を彼らに伝えて下さい)」


 アロンソと言う南蛮人がロレンソに何かを言っとる。


「葛原さん、久さんはお一人でおられましたようで」

「…………」

「我々は主ゼズス(イエス・キリスト)の御教えに従い彼女をお救いしました」

「……は、はい……ありがとうございます」


 彼らの信仰する神様か仏様の教えで久を保護したと言っとるんやろう。

 俺もそこまで阿呆とちゃうからそれぐらいは分かる。


「Todavía hay tiempo hasta la cena, así que vamos a llevarlo al salón de Jesús. Estoy haciendo misa ahora mismo(夕飯まではまだ時間がありますので彼をイエスの広間へ連れていきましょう。丁度今ミサもやっています)」


 南蛮人が又ロレンソに何か言っている。しかし早口やのう……


「¿Es esta mujer afeitada pagana? Si es así, ella se va en esta habitación(丸坊主のこの女は異教徒ですか?もしそうならば彼女はこの部屋に残します)」

「Parece ser budista No la llevaré delante de Jesús Pero por favor trátala con respeto(仏教徒だそうです。彼女をイエスの前には連れていきません。しかし彼女を丁重におもてなしして下さい)」


 ロレンソと南蛮人がエスパなんたらと言う国の言葉で会話しとる。

 隣のお香は正座をし、じっとしとる。俺は外の庭を見詰めた。先程までは雲が広がり曇りがちやったけど空は少し晴れてきていた。


「Quien es el ¿No es él también un pagano?(彼は何者でしょうか?彼も異教徒では無いのですか?)」

「¿Acaba de venir a ver a esta mujer de la iglesia? ¿Te vas a unir?(彼はこの教会の女に会いに来ただけなのですか?入信するつもりなのですか?)」


 南蛮人二人がベラベラと喋っとる。

 ……よう喋るのう……何を言ってんのかさっぱり分からんがベラベラ喋っとる。


「葛原さん、あなたは仏にお仕えなどは?」


 ロレンソが焦点の合わない眼差しで俺にそう聞いてきた。


「いえ、私は仏門には入っておりません」

「分かりました。No es budista(彼は仏教徒では無いそうです)」


 ロレンソが南蛮人にそう言った。


「Llevémoslo a Jesús(では彼をイエスの元へお連れしましょう)」

「La misa ahora está teniendo lugar Vamos(今ミサが行われています。行きましょう)」


 南蛮人二人が立て続けに真ん中に座るロレンソに何か言うとる。

 何を言うてるんやろ、俺は久に会いに来ただけやぞ……


「あ、あの……久に会いたいんですが……」


 たまらず俺はロレンソと言う妙な名の男にそう言った。


「夕飯までお待ち下さいませ。折角ですので我らの主の元へとお連れ致したいと思います。そして……香さんでしたかな?」

「はい」

「あなたは仏様にお仕えなさられておると?でしたらば主の元へはお連れ致す事は出来ません。申し訳御座いませんがこちらでしばらく御待ち下さいませ」


 そう言うとロレンソがお香に深々と頭を下げた。両隣の南蛮人は頭を下げずにいるが……


「分かりました」


 そう言いお香も畳に手を付き深く頭を下げている。


「では葛原さん、参りましょう。只今ミサが行われておりますので」


 そう言うとロレンソが立ち上がり左右の南蛮人も立ち上がった。


 みさ?


「ほ、ほんならちょっと待っててな」


 俺は意味も分からんまま立ち上がりお香にそう言った。


「うん、二郎……一応念のために」


 そう言うとお香が正宗を手渡してきた。


「ふっ、大丈夫や」


 そうは言うものの俺は正宗を受け取ると袴の帯に携えた。そして南蛮人二人に付き添われるロレンソの後に続いて廊下へと出ていった……




 廊下を歩いとると……なんか聴いた事も無い楽器の音色と歌声が聴こえてきた。

 前を歩いとるロレンソは南蛮人二人に付き添われゆっくりゆっくりと歩いている。

 どこに連れていかれるんやろうか……俺は別に南蛮の神に会いに来た訳では無いんやけど……


 そう思いながら彼らの後に付いていくと徐々に歌声がはっきりと聴こえてきた。

 南蛮の言葉で大勢の人が歌ってるようや。

 やがてある広間の出入り口に到着した。中は大広間で床は板張りである。

 真ん中に通路があり、その左右には木の椅子がずらっと並べられてるが黒や赤や白と変わった衣を着た南蛮人達が立ち上がって妙な歌を合唱しとる。三十人ぐらい居るんちゃうか。

 広間奥の右端では女が何か妙な楽器〈オルガン〉で音を奏でとる。

 そして広間の正面の壁の上部には十字の飾りがあり、その下には台座があり花と何かが供えられとった。


 南蛮人達がずっと歌っとる。その中、ロレンソは南蛮人に付き添われ通路を歩いてゆく。

 俺も彼の後に続いていったが何か異質過ぎて緊張する。

 全員が全員俺より背丈が高いと言う訳ちゃうかったが殆んど俺より背が高く体格が良い。顔立ちも全く違う。そんな連中が歌っとる中をどんどんと広間の奥へと向かっていく。


 何をすんの……久に会いに来ただけやぞ俺は……


 やがて大広間の奥に来た。見た事も無い楽器〈オルガン〉を奏でてたんは意外にも日本人の若い女やった。椅子に座り体を揺らしながら音を奏でとる。

 ほんで十字の飾りの下にある祭壇に木像とひげ面の南蛮人の絵が置かれていた。

 ロレンソと南蛮人二人がそれらに対して手を握りしめて祈りを捧げとる。

 俺はそれを後ろからぼーっと見詰めていた。


「葛原さん、こちらへ」


 ロレンソがこちらを振り返り俺にそう言ったが目は合わない。やっぱり盲目やなこの人。


「は、はい」


 俺はロレンソに近付いた。


「我らの主、ゼズス(イエス)・キリストで御座います。どうぞ御祈りを」


 俺はじっと絵を見詰めた。南蛮の神様か何かか……

 随分と綺麗な描写やな。青い衣を身に(まと)った南蛮人が物凄く丁寧に描かれている。

 隣に供えられている木像は女の木像やった。南蛮人の女やろうか……

 俺は一応その絵と木像に対し手を合わせ祈りを捧げた。


『亀山の家族とお香と久と音羽や玄蔵、そして俺がこれからも無事に過ごせますように』と。


 後ろでは南蛮人達が歌い終わっていた。すると真っ白な衣を着た背の高い中年の南蛮人が一人こちらにやってきた。

 ほんまにでかい奴らばっかりやなぁ……俺も背は高い方やのに俺以上の背丈の奴ばっかやんけ……


「Quem é ele?(彼は誰ですか?)」


 中年の南蛮人がロレンソにそう言った。


「Parece ser um conhecido de uma mulher que trabalha aqui(ここで働く女中の知り合いだそうです)」


 ロレンソがそう答えとる。何を言ってんのか分からんから俺は後ろを振り返った。歌い終わった南蛮人達は椅子に座り俺らをじっと見とる。


 怖いのう……俺もう帰りたくなってきた……


 お香一人で大丈夫かな。ここに居ると言う久も大丈夫なんかいな。


「Ele está disposto a estar com Jesus?(彼はイエスの元にいる意思はありますか?)」

「葛原さん」

「え?は、はい!」


 後ろを振り向いていると急にロレンソに声を掛けられ俺は少し動揺した。


「主の元で過ごされませんか?さすれば貴方(あなた)は生きておられる間も死後も永遠に救われます」

「……え?」

「主はこの世の全ての者達をお救い致します。是非我らと共に主ゼズスの元にいらっしゃいませ」


 な、何を言うとんの?この神様に仕えろって言っとるんか?

 俺の家、葛原家の宗派は形式上は浄土宗やねんなぁ……別に仏門に入っとる訳ではないんやが……


「そ、それはちょっとあの……急過ぎて……この後も用事がありまして、その申し出は、け、結構です」

「そうですか、分かりました。Dizem que é impossível porque é repentino. Parece haver negócios no futuro(急で無理だと言っております。今後用事があるそうです)」


 ロレンソが白い衣を着た南蛮人にそう言った。


「Eu entendo Por favor, receba a bênção de Deus pelo menos(分かりました。ではせめて神の御加護をお受けください)」


 南蛮人はそう言うと脇に置いていた水の入った器と大きな葉っぱを手にした。

 何すんねん……

 そう思っていると、


「葛原さん、祭壇の御前にお立ちくだされ」


 ロレンソがそう言う。俺は仕方無しに南蛮人の絵と女の木像が置かれた台の前に立った。

 すると白い衣を着た南蛮人が器の中に葉っぱを浸すとパッパッと葉っぱで俺の頭に水を掛けだした。


 ……何をされとるんや俺は……


 俺は何も言わず台の前に突っ立ち、しばらく水を掛けられ続けた…………




「二郎!大丈夫だった!?」


 部屋に戻るとお香が立ち上がり俺の元に駆け寄り腕を掴んできた。


「大丈夫は大丈夫やけど……」


 俺は髪の毛を触った。そこそこ濡れとるやんけ……


「はぁ……南蛮人だらけやったわ」


 俺はそう言い部屋の真ん中へと向かった。お香も一緒に付き添う。

 そしてそっと畳の上に腰を下ろした。座布団などは無い。


「湯浴びでもしたの?なんか濡れてるよ?」

「水掛けられた、ふふふ」


 俺はそう言い森長隆様の服の袖で頭を拭いた。


「水?」

「知らんけど、南蛮の儀式ちゃうんかな。そやけど南蛮人だらけで疲れたわ。南蛮の神様に御祈り捧げてな、三十人ぐらいの南蛮人がずっと歌を歌っとったわ」

「……へぇ、あの黒い人みたいなのが?」

「いや、そいつはおらんかった。さっきこの部屋に来た奴らばっかやった」

「そう、じゃあ正宗返して?」

「ふっ、しゃあないなぁ」


 俺は微笑み正宗をお香に返した。と、その時そっと(ふすま)が開かれた。


「失礼致します」


 侍女(じじょ)らしき日本人の女が廊下に座り俺らに丁寧に頭を下げとる。その後、失礼しますと二人の若い女が食事の乗った膳を持って入ってきたが二人のうちの一人は……


久やった……


「あ…………ひ、久……」

「どうぞ」


 そう言いながら微笑むと俺の前に膳を置いた。


「久……」

「うちの手作りやで?二郎、エスパーニャのお料理や」


 そう言い久が微笑んだ。俺は膳を見た。

 海老や二枚貝や魚の身の乗った黄色い炊き込みご飯である。


「パエリアって言うんやで」

「パエリア?」


 俺はじっとパエリアと言う異国の料理を見詰めた後に久を見た。

 彼女はずっと微笑みを浮かべていた…………

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