14話 京を発つ
日も暮れ、鴨川の河原は真っ暗闇であり、少し離れた五条大橋の提灯の灯りによってほんの僅かに物置小屋の影や、行水をする久の影を確認出来るだけやった。
久は黙々と身体を洗っている。
直接川で洗っているのではなく、大きな壺と言うか甕に川の水を入れて、それに手ぬぐいを浸し身体を洗っているようやが暗くてはっきりとその様子は見えんかった。
ちなみに重たい甕に水を入れて更に重たくなった甕を河原に運んだのは俺やけどな。
そんなんはどうでもええんやが、ついでやから俺も身体を洗おうか。
明日、京の都を発ち故郷へ帰るつもりやから身を清めたかった。
そう思うと俺は豪華な衣装を脱ぎ捨て全裸になり、行水する久の横を駆け抜けた。
そして……
バッシャーン!!
そのまま鴨川に飛び込んだ。
「うわ!冷たっ!!」
「何してんのあんたぁ!」
久がやや呆れ気味にそう言う。
初夏とは言えど夜の川はさすがに冷える。
「身ぃ清めんねん!」
俺はそう言うとバシャバシャと川を泳ぎだした。
真っ暗の川、河原……遠くに橋の提灯、山の方には寺社や色街の灯り……
遠くでクワァ……クワァ……とサギの鳴き声も聴こえる。
「はぁぁ……」
冷たい川で仰向けになり宙を見上げるが星空はよく見えない。
曇りか、季節は梅雨。
明日は雨でない事を祈りたい。
そう思った後は無心で宙を見上げていた。
「……冷えるやろ?上がりぃや」
宙を見上げていると久が河原からそう言ってきた。
確かに冷えるが川の中に入り、慣れればそこまで冷える感じはせんかった。
むしろこのまましばらく川の流れを感じ、心地よい流れの音を聴きながら無心でいたかった。
「……なぁ、風邪引くで?」
久がまた問い掛ける。
風邪か、確かにそうかもしれん。
おう、と返事をして俺は河原に戻った。
むしろ水より陸の方が寒く感じる。
風が吹くと飛んでもなく寒かった。
「寒っ!」
俺が大袈裟に寒がると、久はケラケラと笑っていた。
翌日、心配した雨は降ってはいなかった。
ただ空はどんよりとした灰色の雲が広がり西側の空は若干黒かった。
一雨来るかもしれん。それまでに京を発とうと久に告げ俺らは身仕度とも言えない程の身仕度を済ませ、鴨川の物置小屋を後にした。
早朝に発てば昼には故郷亀山に辿り着くやろう。
『はよ帰りたい』親に無事を知らせたい、と言う気持ちと
『帰るのが恐ろしい』また戦に駆り出されるんやろ、と言う気持ちが交わり合い複雑な心境になる。
とは言うものの一歩一歩、西へ西へと二人並んで舗装された京の道を歩んでいた。
鴨川を発って半刻(1時間)、京の西側は廃れていて廃屋や背の高い茅がびっしりと生えた荒れ地が広がっていた。
後ろを振り替えると遥か遠くに京の建物群が見える。
俺は何も考えずにじっと遠くの京の中心地を見詰めた。
隣の久も俺のように後ろを振り替えりじっと遠くの京の都を見詰めている。
そんな久の横顔に目を移す。
……そういえば名と故郷は聞いたが、彼女はいくつなんや?
なんで紀州から出てきたんや?
俺はこの人の事をまだなんも知らんのや。
恐らくええ人ってのは分かるがなんも知らん。お互いにやけど。
しばらく都を見詰めた久はちらりと俺を見た。
行くか、と俺は告げまた西へと歩みだす。
少しの沈黙ののち……
「あんな?あの……聞いてええ?」
俺は少しの沈黙を重く感じ、若干遠慮がちに、やや怖じ気付きながら久に声を掛けた。
「…………」
彼女は無言で真っ直ぐに俺を見てきた。
「あんな……」
まずは聞きやすい方から聞くか。
「お前っていくつなん?俺は二十一」
「二十歳」
あぁ、二十歳やったんか。
そやけど、なんで二十歳にもなって都に?二十歳やったらもう子供おる歳やろうに。
うちの村の女はだいたい十五、六ぐらいで嫁いで二十歳ぐらいならもう子供は絶対おるんやが……
なんかの事情がありそうで聞きづらいが聞かんとあかん。
知らんと、久の事をもっと知らなあかんねや。
「何?何怖がっとんの?」
久が強張る俺の顔を見てそう言う。
「いや……別に怖がるかいな……」
と強がる。
ふふふ、と久が笑うと彼女が口を開いた。
「うちの歳でなんで故郷から都出てきたか気になるんやろ、すぐ分かるわ」
心の中を見透かされたかのように彼女がそう呟く。
「……なんでまた京に……」
俺もぽつりとそう呟く。
「逃げてきたから、旦那から」
「ええっ?!」
その言葉を聞いた俺は驚いて彼女の横顔を見てそう声をあげた。
久はじっと前方を見ているだけや。
「に、逃げてって……言うのは聞いたけど……旦那おったんか……」
「…………」
久はなんも言わん。
俺も言葉が出ん。
……ザッザッザッ……
ほんの少しの沈黙の中に、またもや聞いた事のある例の音が聞こえた。
久もそれに感付いたのか周囲を見る。
前方には山がある。
その山へと続く道は亀山方面、つまり俺らが歩んどる道。
その山の麓の道を旗を持った軍隊が行進しているのを確認出来た。
「くそ、またかいな、道外れるで」
俺はそう言うと道を外れ脇の茂みに向かった。
久も無言で付いてくる。
そして高い茅の茂みに身を隠し、隙間から様子を伺う。
しばらく無言でいると先程俺らが歩いとった道を兵隊が行進してゆく。
「……なんなん?あれ」
久が最低限に声を落としてそう尋ねてくる。
……あれは……あの旗の紋は……
「……明智や」
明智はまだ兵を集めとる。
本能寺で警護しとった太一がそう言うとったが、どうやらほんまのようや。
故郷に帰った時、農家の次男の俺は絶対戦に駆り出される。
延々と続く明智の軍隊の行進を見詰めながら俺はそう確信した……