118話 別れ
「連れて行ってくれや二郎」
じっと玄蔵が俺を見詰めてそう言う。
また秀吉様ん所行くんか……俺みたいな身分低いもんが勝手に秀吉様ん所うかがってええんかいな。
「き、気持ちは分かったけど俺なんかが又、大名ん所に勝手に行って大丈夫なんやろか?それこそ無礼と叱責されて首切られへんかな……」
俺がそう呟くと右隣のお香がじっと俺を見詰め腕を掴んできた。
「御部屋の場所だけ教えてくれたらええ、その後は俺一人で御部屋に御失礼するわ。お前は御部屋案内するだけでええ」
玄蔵がじっと俺を見詰めそう言う。
「……そやけど……もう一回言うけど……秀吉様坂本に兵出す言うとるで?そないに無理せんと玄蔵さん……小栗栖に戻ったら?」
「…………」
玄蔵は何も言わんとおる。
「あんたの…………家族失われた悔しさは……その……気の毒やと思います。そやけど一旦小栗栖にお戻りなさらはった方がええんちゃうかなと俺は思うんや」
「…………」
「明智の残党殺した所で何もならんやん、俺は一度小栗栖に戻らはって音羽に俺らの無事伝えて欲しいわ」
「……ふぅぅぅ……」
玄蔵が深く息を吐く。
「そ、それに俺もう秀吉様ん所行くん嫌やわ、あの部屋重苦しくてしんどいねん」
「……ふっ!」
俺がそう言うと玄蔵が吹き出した。
「おら……私もそう思います。そんなに御無理なさらずに一旦小栗栖のお里にお戻りなさられてください」
お香がかしこまり玄蔵にそう言う。
玄蔵はじっと真正面を向いていた。
「そやけど二郎、お前は坂本に行くんやろう?秀吉様の御命令で」
正面を向いていた玄蔵が俺を見詰める。端正な男前の顔をこちらに向ける。
「そうやな……そう言う御命令やからしゃあないわ」
俺はうつ向いてそう答えた。
「二郎、秀吉様の所に連れていってくれんか?」
再び玄蔵がそう言う。じっと俺の横顔を見詰めながら……
「……玄蔵さん、いい加減にしなっせ!」
お香が玄蔵を見詰めそう言った。
「いしのわがままがさ!二郎の命奪われるかもしんねえんだべさ!何わがまま言ってんだ!それでも伊賀の忍びか!?」
「…………」
「伊賀の忍びの事詳しくは知んねえけんどさ!雇われた人に忠実なんでないの?!だったらさ!音羽さんとこに仕事の報告行くのが筋だろう!?ねえ!!」
「…………」
玄蔵はお香から視線を前に移し黙り込んどる。
「いしのお嫁さんや子が……酷い目にあったのは……私は……何も言えないけんどさ……だからって下らない復讐すんのはやめてくんろ?」
「…………」
玄蔵は黙り込み前を見詰めとる。
「玄蔵さん、一度小栗栖にお戻りなさってくれんか?坂本の事は秀吉様にお任せしましょう?」
俺は前を見詰める玄蔵の横顔を見てそう言った。
玄蔵は深く息を吐いていた。
「あんたには感謝しとるんや、無事に清須まで来られたんも全てあんたのおかげなんや、そやから……」
俺がそう言うと玄蔵は顔をうつ向かせて手を顔に当てた。
そして……
「くそっ……くそっ!くそっ!!……うぅ……ううぅ…………」
嗚咽を漏らして泣きじゃくりだした。
俺とお香は何も言えずただ黙り込んでいた。
彼にどれ程の悲惨な過去があったのかと想像すると俺の胸は締め付けられ苦しくなり、目頭が熱くなる程であった…………
午九ツ(12時)頃になった時、淡い藤色をした小袖を着た女三人が食事の乗った膳を持ってやってきた。
そして俺ら三人の前に膳を置くと、「失礼致します」と告げ頭を下げて去っていった。
膳の上には白米とフナの塩焼きと漬け物と蓋のされた味噌汁が乗っていた。
「…………」
誰も何も言わんかったが、
「……おいしそうだね」
お香がそう言い味噌汁の蓋を開けた。
「あ、お豆腐だ」
中を見てお香が少し嬉しそうにそう言う。
俺も蓋を開けて中を見ると赤茶の味噌の中に白い豆腐がたくさん入っていた。
豆腐は正月ぐらいしか食べた事がない貴重なもんと言う認識がある。
その豆腐が味噌汁の上にたくさん浮かんどる。俺は箸を手にするとそれを口に運んだ。
「……うーん」
豆腐の味が濃い味の味噌汁のせいでかき消されそうになるが、それでも大豆の味が口の中に広がりうまさを感じた。
「うまいな」
「おいしいねぇ」
右隣のお香もそう言う。しかし左隣の玄蔵は何も言わず味噌汁をすすり、白米を口にして漬け物を箸で摘まみ口に運んでいた。
……話し掛けづらいなぁ……
あんなに取り乱して泣いていた玄蔵に声を掛けづらいわ。
相当な悔しさもあるやろうし尚更に。
「…………」
玄蔵は何も言わず黙々と食事をとっている。
と、ドンドンドンと足音が聞こえてきた。
また石田三成がやって来たんかなと思ったが、今回は見ず知らずの男三人が部屋の中に入ってきた。
そして俺らの前に座ると頭を下げた。俺も玄蔵もお香も膳に箸を置き彼らに頭を下げる。
「織田三法師様、御食事お済ましになられまして今より清須をお発ちになられます。大変、急では御座りますが早急に出立の御準備なさられてくださりませ」
又か……又食事の途中で準備せなあかんのか……
朝食も途中でろくに食べてないのに昼食もかいな。
そない思っていると玄蔵が、
「承知致しました。して……羽柴様はもうお発ちになられましたか?」
俺らの前に座る恐らく侍であろう男にそう尋ねた。
……玄蔵さん……
俺は彼の横顔を見詰めた。気持ちは分かるがもう……
「秀吉様すでに清須を御出立しております」
そう答えた男が鋭い眼差しで玄蔵を見詰める。
「左様に御座りますか」
玄蔵は静かにそう答え、頭を軽く下げた。
「……して、三法師様間も無くにもこちらを御出立致しますれば、御食事中の際ではありますが、すぐに出立の御準備お願い申し上げます」
そう言うと侍女三人が部屋に入ってきた。
彼女達は畳に手をついて頭を下げると、俺らの前に来るなりまだ食べ掛けの膳を手にし、そのまま部屋を去っていった。
侍達はまだ俺らの前におる。
「秀吉様の御要望で三法師様の護衛を、と伺っております。すぐに御案内致しますので身支度の程よろしゅうお願い致します」
そう言い男達が俺らに軽く頭を下げた。
「お待ちくださいませ、秀吉様に御命令つかまつったのはこのお二方のみであります。わたくしはこの辺りで御失礼させて頂きたく存じまする」
そう言うと玄蔵が深々と頭を下げた。男達は何も言わず玄蔵を見ている。
「某は訳あって山城から葛原二郎と香を羽柴筑前守公の元へ無事に届けると言う役目をおおせつかいました。その役目終わり、某は山城へと戻りますればこの辺りでおいとまさせて頂きたく存じまする」
俺もお香も三人の男達も黙ったままに玄蔵を見詰める。玄蔵は畳に手を付けて男達に頭を深く下げていた。
「承知致しました。ではお二方、出立の御用意をしていただけますか?」
侍の一人が俺とお香にそう言った時、
「お香、その衣はここでお借りした物やろう?着替えなあかんのやろう。申し訳御座りませんが御皆様、おなごが着替えます故に御部屋からの退出お願い頂きたく存じまする」
玄蔵が前の侍三人にそう言った。
え?俺は唖然とした。よう侍にそないな事言えるな、と……
無礼者と言われて手打ちにされる恐れもあるやろと思っとったが、侍連中は俺らに頭を下げてそのまま部屋を出ていった。
「い、いいよ玄蔵さん!」
侍達が出ていった後にお香が玄蔵を見詰めそう言った。
「構わん、お前らは秀吉様に御使いを言い渡されとる身、あの連中にはお前らに対して何も出来んわ」
玄蔵が俺とお香を見て静かにそう言う。
「それよりお香、自分の衣に早よう着替えよ。二郎、お前はそれでええんやな?」
ぼうまるの服を着た俺を見て玄蔵がそう言う。
「あ、あぁ、これでええ」
そう言っている間にもお香が素早く紺の小袖を脱ぎ出した。
俺はその様子を見ていたが玄蔵は正面を向いとる。
全裸になったお香は隅に置いていた真っ黒な衣を身にまとい黒の袴を履いた。
そして頭に黒の頭巾を巻いている。
初めて会った時の衣装、全身真っ黒な衣、袴を履いとるし長身やから男にすら見えた。
「二郎、お香ここでお別れや、俺は…………お前らの言う通り小栗栖に戻る……音羽様の元へと戻る……」
玄蔵はそう言うとさっと立ち上がった。俺らから視線を逸らしたままに。
「二郎、美濃に行った後に坂本行くんやと?」
「あぁ」
「死ぬなお前!生き延びろ!」
視線を逸らしていた玄蔵が急に俺を見詰めそう告げた。
俺も立ち上がり玄蔵を見詰めた。お香も立っていて俺の後ろにおる。
「……あぁ、死なんよ俺は」
「大丈夫だべ?この人なから……ごっつい強いんだべさ」
お香が微笑み俺の肩に手を置いて玄蔵にそう言った。
「そうか……そうやな」
玄蔵も小さく微笑む。
「それより俺、飯田家に又戻らなあかんねん。あの槍借りてるからな」
俺は部屋の隅に立て掛けられた飯田家の槍を指差した。
「あれ音羽から借りてるだけやから返さなあかんねん、それよりもお香のな?」
俺はお香の首を指差した。お香の首には布は巻かれてはいないが傷がある。
「傷に糸縫われたままなんやわ、それ音羽に抜いてもらわなあかんねん」
「…………」
玄蔵は無言でおる。
「そやから玄蔵さん、また小栗栖で会おうや」
「……そうやな」
玄蔵が俺をじっと見詰めそう言う。
「美濃行った後、坂本行ってその後に秀吉様に御会いする為に京にも行かなならんから、その後ちょっと京でな、ある女探さなあかんねん。小栗栖行くのちょっと時間掛かるかもしれんわ」
「……そうか」
「音羽に……俺らは無事秀吉様に御会い出来たって御報告してください。ほんまにありがとうごさいました玄蔵さん」
俺はそう言うと玄蔵に頭を下げた。後ろのお香も玄蔵に頭を下げとる。
「……俺は…………お言い付けを成し遂げたまで……俺は……」
俺はさっと頭を上げた。
「俺は……伊賀の者、必ずや、お言い付けを守る」
そう言いじっと俺を見詰めていた。
強い眼差しでじーっと……
その強い意思が強く伝わり俺の胸が締め付けられた……男惚れをさせる程の格好良さを感じてしもうた…………
「では御案内致します」
廊下で待っとった侍三人の一人が俺にそう言うとスタスタと廊下を歩き出した。他の侍もその後に続いてスタスタと歩いとる。
俺とお香も彼らの後に続いて歩を進めたが、俺はふと後ろを振り返った。
部屋から廊下に出て玄蔵が俺らを見詰めていた。
俺は立ち止まると玄蔵に対し頭を下げた。お香もそれに気付き後ろを振り向いて頭を下げた。
玄蔵は俺らを見詰めた後に深々と頭を下げていた。
……玄蔵さん、必ずや再び御会いしましょう……
俺はそう思うと頭を上げて侍達の後に続いていった。
三法師様のおられる元へと向かって…………