116話 早朝の秀吉の元へ
六月二十八日(7月17日)の早朝、俺とお香は裸のままに寄り添っていた。
部屋は更に明るくなりだしている。まだ若い俺らはお互いの温もりから離れられずにおった。
「お香……」
俺に寄り添うお香を見つめそう呟くとお香は小さく微笑み俺をうっとりとした眼差しで見つめてきた。
彼女の頬はまだ紅く染まっとる。
その時……
「お二方、そろそろ起きい」
と、横で眠っていたはずの玄蔵がそう言うと身を起こした。
「…………」
俺は無言で玄蔵を見詰めた。俺に寄り添うお香も無言で起き上がった玄蔵を見詰めとる。
「まもなく朝食も運ばれるやろうし、何より秀吉様に御呼びされとるんや、ええ加減にせえ」
俺らにそう告げると玄蔵は立ち上がりそのまま部屋を出ていってしもうた。おそらく小便にでも行ったんやろう。
「……はぁ……起きるか」
俺は溜め息を吐いてお香にそう告げた。
「……もう?」
お香がそう呟く。
「しゃあない、ここは清須やし、この後ご飯運ばれてくるやろ?それに俺はその後に又秀吉様に御会いせなあかんからな」
「おらは付いていけないの?」
俺に寄り添う裸のお香が俺の腕にしがみつき、頬を赤らめたままにそう言う。
「うーん、俺だけが呼ばれたしなぁ……大名の元に又おなごさん連れてくのはちょっとなぁ……分かるやろ?」
「秀吉様に首斬られない?それだけが気掛かりなんだ」
「大丈夫や、大丈夫大丈夫」
俺はそう言いお香の背をさすった。
「おら……おめえさんの事が気掛かりで仕方ねえんだ」
「大丈夫や」
俺はそう言いお香の背をさすり続けた。
「必ず生きて帰ってきてね?」
そう言いお香が俺の腕と手を強く掴んできた。じっと見詰めるその瞳からはポロポロと涙すら零れ落ちとる。
「何の事もないわ、なんか指示されるだけやと思うから」
俺が笑みを浮かべてそう言った時に、部屋に玄蔵が戻ってきた。
「……お前らまだ裸のままでおるか!ここに今石田三成殿が来られたらどうするか!早よう起きて衣を着ろ!」
寄り添う俺らに玄蔵がそう叱責をしてきた。
「起きよう……」
俺はお香に小さくそう呟くと布団から身を起こし、ぼうまるの服を身に付けた。お香は昨夜の紺の小袖を身に付けとる。
「もう少し自覚を持てよ二郎、相手は羽柴秀吉様やぞ」
ぼうまるの服を着終えた俺に玄蔵がそう言う。鋭い眼差しでじっと俺を見詰めながら……
「分かっとるよ……」
俺は端正な顔立ちの玄蔵から視線を部屋の隅に移してそう呟いた。
「普通の相手ちゃうんや、呑気に女抱いとる場合やあらへんぞ」
「分かっとる……」
俺がそう言うと玄蔵はふぅ……と息を吐いた。お香は服を着終え頭に白い布を巻いとった。
ただ少し不満そうな表情をしていた……
時刻はおおよそやけど卯六ツ半(7時)頃やと思う。
侍女五人が部屋にやってくると俺らが使った布団と寝巻きを丁寧に畳み込み直ぐに部屋を去っていった。するとまた別の女達が入れ替わりに朝食の乗った膳を運び込んできた。
膳が置かれ、侍女達が全員去っていった後に俺は膳を見詰めながらあくびをした。
いつもよりは半刻ほど早い朝食やし、お香と事をしてもうたから、少しの疲れと眠気はまだあった。
膳には玄米とアユの塩焼きと蓋の閉ざされたおそらく味噌汁の器が乗せられとる。
「ふぁぁぁ……」
俺があくびをしながら味噌汁の蓋を開けると、
「二郎、何度も言うようやがな……」
隣の玄蔵も蓋を開けて俺に声を掛けてきた。
「相手は羽柴秀吉様言う事だけは忘れるな」
玄蔵が俺の横顔を見詰めそう告げてくる。
「もう少し気を引き締めよ」
「余計なお世話だよ」
玄蔵がそう言うとお香がそう呟いた。
「男女の自然な行いじゃないのさ、余計なお世話だ。おめえさんにそこまで言われる筋合いは無いよ」
そう言いお香は玄蔵をじっと睨み付けた。
「はぁ……」
俺は溜め息を吐いた。お香さん……よう玄蔵に突っ掛かりよるな……
「ええってお香……玄蔵さんの言う通りやから」
「…………」
お香は不満げに俺を見詰めるがすぐに視線を逸らしアユの塩焼きを箸で摘まみ口に運んだ。
「玄蔵さんの言う通りやと思います、相手は羽柴秀吉様やし気が緩んどったのも事実やわ」
「…………」
玄蔵は何も言わんと味噌汁を口に運んどる。
お香も何も言わんと味噌汁を口に運ぶ。
玄蔵とは今日でお別れかもしらんのにこんな険悪になんなや……
そう思いながら俺も味噌汁を口に運んだ時やった。
ドタドタドタと足音が聞こえてきた後に部屋に男が入ってきた。
従者を連れたその男は石田三成や。
彼は食事をする俺の前に来ると頭を軽く下げた。
俺ら全員も箸を置き頭を下げる。
三成は頭をあげると俺を見詰め、
「早急の事で申し訳御座りませんが、すぐにも上様の元へ御目通り頂きたく存じまする」
唐突に三成がそう言ってきた。まだ朝飯を食っている最中やと言うのに……
「す、すぐに?」
「すぐに、秀吉様すでに御食事御済ましになられまして、清須を発つご用意なさられておられますれば、葛原殿を早急にお呼びせよとの事に御座ります」
「……は、はい……」
ほんまかいな、こんな早急に呼ばれるとは思わなんだ……
お香と裸で寄り添ってる所見られんで良かった。
「分かりました、すぐに参ります」
「直ぐに、お食事中申し訳ありませんが直ぐに」
そう言い石田三成が俺をじっと見詰める。
俺はそっと立ち上がり右隣のお香を見た。彼女はじっと俺を見詰めとる。
今すぐにも立ち上がりそうやったが、俺はそれを目で制した。
左隣の玄蔵は箸を置きじっと部屋の奥を見詰めている。
石田三成も立ち上がるとチラリと横目で俺を見詰めた後に廊下へと向かっていった。俺も彼の後へと続く。もう一人の男も俺の後に付いてきていた。
「ふぅ……」
何を言われるんやろうか、秀吉様に……
もうなるようにしかならん。
俺はそう思いながら先を歩く石田三成の背を見詰めて廊下を歩いていった。
廊下をしばらく歩き、とある部屋の前に来ると三成が廊下に座り閉ざされた襖に向けて頭を下げた。
俺も彼の隣に座り襖に向けて頭を下げた。三法師様の部屋に入る時と同じような作法である。
「失礼致しまする!」
三成がそう声を上げるとそっと襖が開かれた。
部屋の中にいた若い男が三成の声の後に襖を開けたようやった。
室内は窓が開けられて明るかった。
その中に男一人とその左右に若い女二人が座っとった。
男は昨日会った羽柴秀吉様である。
三成はチラッと俺を見た後にサササッと足早に部屋の中に入ると秀吉様に向けて畳に手を付けて頭を下げた。
俺も三成の後に続き秀吉様の前に来た。秀吉様はクリクリッとした目でじっと俺を見とる。
三成はチラリと俺を横目で見た。その眼差しには怒気が含まれとる。
頭を下げろ、と言う事やろう。俺は寝起きと突然な事でまだぼーっとしとって秀吉様の前に来ても頭を下げずにおった。
ハッと気付き咄嗟に畳に手を付き頭を下げた。
「お早うさん、二郎」
甲高い秀吉様の声が室内に響く。
「はっ!」
その声で眠気が吹っ飛んだ俺は畳に額を付けたままにそう言った。
「えりゃあ早よう呼んですまんかったなぁ、わしもまだ眠てえんだけどよ、京に戻ろう思うとるんだわ」
「はっ!」
俺はまだ畳に額を付けたままにそう言った。
「おみゃあが持ってきた書見たわ、明智のたぁけた連中まだおる言う話だがや」
「はっ!」
「もうええ、頭あげりゃあて」
「は、はい!」
俺はそっと頭をあげた。
秀吉様は豪華な座布団に座り、その左右に化粧をされた若い綺麗な女が座って俺をにやけながら見詰めていた。
そやけど俺から見るとお香や久や音羽の方が余程美人に見えたが……
「あれな、わしも知っとったわ明智の残りのもんな、だで坂本に集まっとる言うんは知らんかったで」
「はい……」
俺もよう知らん……
「わし京に戻るでよ、坂本に雑魚ども集まっとったら邪魔だでな、ほんでよぉ」
「…………」
「おみゃあ武の力優れとるだろう?二郎」
「はっ!」
「おみゃあに坂本に集まっとる明智の雑魚ども蹴散らせてくれんかのうと思うたんだわ」
「……はっ!」
「だけどよ、おみゃあとあの尼さんがよ」
秀吉様がじっと俺を見詰める。
「はい……」
「三法師様と御仲よろしいだろう?そんでな?わしも考えたんだわ、おみゃあを坂本行かすかどうかよ、坂本行く時はわしの護衛も兼ねてだわ、わしも京に戻るでよ」
「はい……」
「だでな?おみゃあと尼な?三法師様の護衛してちょ?美濃行ってくれんか?」
美濃……?
「……はっ!」
俺は頭を下げ、返事をした。
「明智ってな、美濃のもんなんだわ、三法師様襲われる恐れもあるんだわ、だからよ、おみゃあ三法師様の護衛頼むわ」
秀吉様がじっと俺を見詰めそう言う。
「承知致しました!」
俺はただ秀吉様に頭を下げていた。
秀吉様の左右の女達はもう笑ってはいなかった…………




