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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第六章 濃尾
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110話 要望

 俺は今、よく手入れされた庭に面する館の廊下を歩いていた。庭の向こうには立派な清須城が建っている。

 廊下の床は真新しく滑らかで、歩くとほんの少し足が滑る程やった。

 その廊下を三成、玄蔵、俺、お香の順に並んで羽柴秀吉様の元へと向かっている。

 武器類は一時的な形で預けるようにと言われ、俺ら三人は今は手ぶらやった。当然お香の正宗も預けられているが、手渡す時はかなり渋っていた。

 と、前を歩く玄蔵がチラリと横目で後ろを見た。


「もし、お待ちを」


 玄蔵は立ち止まり、前を歩く小柄な三成に声を掛けた。すると三成も振り返り立ち止まった。


「はい」


 三成が冷静な眼差しで玄蔵を見詰める。玄蔵はそれには答えずに俺の後ろを歩くお香の元へと歩み寄った。


「お前は部屋にて控えておれ」


 長身の玄蔵がお香を見詰めそう告げる。


「……はぁ?嫌だよ」

「ならん、これよりお会いするお方は羽柴筑前守様、女を連れてなど参られるか」

「ここまで来たんだ!私も行くよ!」

「阿呆め、お前の勝手な行いで二郎が手討ちになるやもしれんのや……」


 玄蔵は強く鋭い眼差しでお香を見詰め静かにそう言った。


「……二郎」


 お香は玄蔵から視線を俺に移した。

 その眼差しには強い不安感が宿っとる。

 それは俺がこの後、死に直面するのではないかと言う不安に満ち溢れた眼差しやった。


「なるようになるわ……」


 俺はお香と、そして自分自身に対してそう呟いた。


「構いません。そのお方、もう既に上様にお会いなさられておると耳にしております。つきましては上様の元へとお目通りくださいませ」


 三成がお香を見てそう言った。


「おら……私はお会いしたと言う程ではごさいません……ただ羽柴のお殿様にお呼びの御声を頂きまして、お殿様の御前にて二郎と試合をしただけでございます」

「構いません、さぁ参りましょう」


 そう言うと三成は廊下をスタスタと歩いていった。


「……どうなっても知らんぞ」


 玄蔵は俺とお香にそう告げた後、三成の後に続いて歩きだした。


「なるようになるわ、ほんまにそう思わんとな?成り行きに任せよう」


 俺はお香にそう言うと彼女の肩をポンと軽く叩いた。


「お守りがあるから大丈夫や」


 俺はお香にそう告げると三成と玄蔵の後に続いて歩きだした。

 お香も無言のままに俺の後に続いてくる。


 とは言え、ほんまに大丈夫なんやろうか。

 成り行き任せで……


 そやけど、どうしようもない。行かなあかんのは確実や、行かんかったらお香も玄蔵も手討ちにされる上に亀山の家族までも犠牲になるんや。


『どうか無事に終わりますように……』


 俺は首から下げた小袋を握り締め、心の中でそう祈った。

 信長様の龍涎香(りゅうぜんこう)と久から貰った銅板の入った小袋をギュッと手にしながら……




 今は、とある畳張りの豪華な広間にいた。先程の広間よりやや広めの部屋で四方に設けられた(ふすま)には見た事も無いような美しい絵が描かれていた。

 虎や龍や鷹や松の木やらの絵が描かれとる。

 農家の俺がこんな豪華な絵を見てもええんやろうか、と言う程に美しく豪華や。

 更に部屋の奥は一段高くなっており、その真ん中に豪華な座布団が敷かれていた。

 おそらく羽柴秀吉様があそこに座るんやろう。まだ秀吉様はおなりになられておらんが、すぐにも来られそうな気配を感じる。


「しばしお待ち下さいませ」


 この広間まで案内した三成が、俺らにそう告げると足早に部屋から去っていった。


「……はぁ」


 恐ろしいのう……故意やあらへんけど大名の御命令を無視しとるから不安感が心の中で猛烈に広がっていく。


 左隣の玄蔵は真っ直ぐに背筋を伸ばして正座をし、じっと前を向いとる。

 右隣のお香も正座をしてじっとしていた。

 そやけど若干顔が強張っとる。緊張のせいなんやろうか。

 しばらくした後、廊下からドタドタと足音が聞こえてきた。

 その足音に比例してか、俺の心臓の鼓動もドクンドクンと高鳴っていく。


 来るぞ……羽柴筑前守が……秀吉が来る。


 帰りたい。そやけどしゃあない。家族の命の事を考えると逃げる訳にはいかん。


「二郎……秀吉様が現れる前に頭を下げて待て」


 隣の玄蔵がそう言うと畳に手を付き深く頭を下げた。畳に額を付ける程に。

 ドタドタと廊下を歩く音が次第にこの部屋へ近寄ってきた。

 俺も畳に手を付いて頭を下げた。隣のお香も頭を下げとる。


 やがて広間に何人かが入ってきた。頭を下げたままやから入ってきた人数は分からんが四人程が入ってきたと感じた。


「お顔お上げくださいませ」


 三成の声が聞こえてきた。俺はそれに従い畳に額を付けていた頭を上げた。


「……ふぅ」


 一段上がった場に置かれていた豪華な座布団の上に座っとるのは、明智光秀の首実検を行った時の、そして棒の突っつき合いの時に話をした羽柴秀吉様に間違いなかった。

 小柄な秀吉様はじっと俺を見詰めている。


「本日はご多用の中、このような場を設けて頂き誠にありがとうございます」


 玄蔵が秀吉様にそう告げた。


「あ、あの……此度(こたび)は羽柴筑前守様の御要請にお応え出来ませんでした事、誠に深く受け止めてございます」


 俺は緊張しながらも秀吉様にそう言った。秀吉様はじーっと俺を見詰めとる。

 玄蔵や三成など比にならん程の強い眼差しやった。


「申し訳ございませんでした」


 俺はそう言い頭を下げた。玄蔵もお香も深く頭を下げとる。


「知っとるわ、おみゃあの家に使い送ったけど留守で他の地におったんだと?」


 豪華な座布団の上に座る秀吉様が甲高い声でそう言った。

 秀吉様の左右には男が座っとる。右の男は知らんが左に座る男はここまで俺らを案内してくれた石田三成や。


「はい」

「佐吉から聞いとるわ、京よりこちらまで急いで来た事」

「はい、山城国より急遽清須へと馳せ参じましてございまする」


 玄蔵が秀吉様にそう言うと頭を下げた。俺も釣られて頭を下げる。お香も頭を下げた。


「………」


 秀吉様は何も言わずじっと俺らを見とる。


 ……恐ろしいのう……気分次第で首を跳ねられるやもしらんから……


「誠に申し訳ございませんでした」


 俺は頭を深く下げながら秀吉様にそう告げた。


「ええわ、佐吉からおおよその事情は聞いとるで、頭上げえ」

「…………」


 俺は無言のままに頭を上げた。続いて玄蔵とお香も頭を上げる。


「ほんでよ、おみゃあのよ、おみゃあ名前なんだったか?」

「葛原二郎光丞と申します。二郎と呼ばれとります」

「二郎か、二郎の両隣のもんは何者だ?」

「わたくしは山城の国小栗栖の百地玄蔵と申します」


 玄蔵が秀吉様に名を名乗った。そやけど秀吉様は玄蔵を見ようともせずお香をじっと見とった。

 獲物を見つけた獣の如く、じっとお香を見詰めとる……

 嫌な気配を感じる。


「武蔵国河越より参りました、香と申します」


 お香が丁寧に名を名乗ると頭を下げた。


「香か、ええ名だがや、武蔵より遥々(はるばる)尾張まで来よったか」


 秀吉様がお香に興味を抱きだしとる。


「お香、頭巾取れ……」


 俺は小声でお香にそう言った。彼女は湯浴びをした後からずっと白い頭巾を頭に巻いとった。

 お香は急いで頭巾を外しだした。

 頭巾が外されるとツルツルの坊主頭が現れる。


「……何だぁ、おみゃあ見た事あるで、あの時の尼か」

「はい」

「何だぁ……あん時の尼さんか」


 秀吉様のお香に対する興味がドンドンと消えていくのが手に取るように分かる。


「まぁええて、わしの元に来なんだ事情は佐吉より聞いて納得はしたわ。わしよりも早よう清須まで来られたんも佐吉より聞いとるで」

「はい」


 俺は頭を下げて返事をした。


「だでな?おみゃあさんによ、お願いしたのに放っておったのは事実だがや」


 秀吉様の眼差しが鋭くなった。

 その目からピリピリとした怒気を感じ取れる。


「はい……」


 俺は秀吉様を見詰め小さく返事をした。


「…………」


 秀吉様もじっと俺を見詰める。俺のみを……

 恐怖心と緊張感と、そしてこの男の異様な眼力のせいで気を失いそうになった。


「明日にな、大事な話し合いがあるんだわ、ここでよ、この館の間で」


 秀吉様が俺をじっと見詰めそう言った。


「はい」

「そん時に二郎とおみゃあの隣の……玄蔵だったか?」


 秀吉様が玄蔵を見てそう言う。


「はっ!」


 玄蔵が返事をし、頭を下げた。


「おみゃあら二人、部屋の外の廊下に座っててちょ?面倒臭いたぁけた連中が来るで、警戒せなかんのだわ」


 そう言う秀吉様はニヤニヤとニヤついとる。


「ほんでよ、尼、おみゃあは別室で子守り任してぇんだわ」

「はい……」


 お香がそう言い頭を下げた。


「ただの子守りと思うな?三法師様だがや」

「はい」

「大殿、織田信長公の御孫だわ。まだ幼いでおみゃあに子守り任すわ」

「……はい」


 お香は緊張気味にそう返事をし、頭を下げとる。


「そう言う事だわ、わしも長旅で疲れたでな、明日に備えなかんでよ、そろそろ休むわ。おみゃあさんら明日頼むでな、ほいじゃあよ」


 そう言うと秀吉様は立ち上がった。それと同時に俺ら三人は畳に手を付き頭を深く下げた。

 サッサッサッと畳の上を歩く足音が廊下に出るとドタドタと言う足音に変わっていった。

 どうやら秀吉様とその従者が部屋を出ていったようや。


「どうぞお顔お上げくだされ」


 頭を下げ続けた俺らの元に誰かが近づき、声を掛けてきた。

 俺はさっと頭を上げた。

 三成が俺らの前に座っとった。


「明日に備え、今宵はごゆるりとお休みくだされ。ご案内致します」


 そう言うと三成が立ち上がった。それに続いて俺ら三人も同時に立ち上がる。

 三成は先にこの大広間から廊下へと歩を進めていった。

 俺らも彼の後に続き廊下へと出ていった。


 「はぁぁ……」


 めっちゃ疲れた。

 たった僅かな時やと言うのに相当な疲労を感じてしまった。

 それほどに羽柴秀吉様の内に秘められた力が強いんやろう。


 「はぁぁぁぁ…………」


 俺はもう一度深く息を吐いた。

 今日は無事やった。処罰は受けんかった。

 石田三成が秀吉様に何とか俺らの事情を説明してくれたんやろうか。

 そやけどまだ気は抜けん。秀吉様は俺らに再び要望をしてきよった。


 話し合いの時の警護と信長様の孫の子守りと言う要望を……

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