10話 鴨川の河原
昼過ぎやけど真夜中には辿り着ける距離。
亀山に帰るか?と久に聞いたが、
「うちもうちょい都におりたい」
と、渋りだした。
「ええけど銭ないし飯も……」
俺は懐に納めていた布の小袋を取り出し、そして中から魚の干物四枚を取り出した。
「これぐらいやから」
久に微笑みながらそう言うと久も微笑みながら着物の胸元を緩めた。
久が胸元から取り出した布の小袋の中身を見て俺の性的な心は吹っ飛んだ。
「これ見て!うちのお金!」
久が誇らしげに少しの興奮を露にしながら俺にそう訴える。
小袋の中を見ると長細くて光沢のある灰色の石が七個ほど入っていた。
「すごいやろ!?」
久は袋の中を見せながら俺に愛嬌のある笑みを浮かべた。
……これはもしかして……
「……銀か?」
恐らく俺の顔は強張っていたであろう。
もし銀ならば飛んでもない大金である。
働かずとも亀山に新しい家を建てられて十年分の食糧は蓄えられる程のものやから。
ふふふっと久は笑みを浮かべるだけやった。
そんな彼女に対し俺は強張った表情のまま、愛嬌のある久の笑顔を真っ直ぐに見つめた。
「銀か?」
再度尋ねると、彼女は……
「……ちゃうよ……銅」
彼女は俺の目から視線を外し声を落としてそう言った。
銅?銅ってこんな色の石やったか?
しかし俺は加工された銅しか見た事が無かったから良くは分からず、
「……そ、そうなん?」
と、納得してしまった。
もうええやろ?と彼女は小袋を再び胸元に納めた。
「あとな、うちな?魚釣り得意やで?お腹空いたんやった。ら……さっきのあんたの干物でもええけど……焼き魚の方がええやろ?戻らへん?川に」
唐突にとんとんと喋り続けるので俺は戸惑った。
「とりあえずお腹空いたし、さっきのうちのお家戻ろう?」
そう言うと久は立ち上がり俺の腕を掴むと強引に俺を引っ張って行った。
小川のフナ達の群れも俺らが立ち去ると解散してバラバラになっていった……
久に強引に連れられた俺は今、鴨川の河原にいた。
久も俺も竹の竿を持ち鴨川の河原で突っ立ち釣りをしていた。
俺がぼーっと川の流れを見つめていると隣の久が再び声をあげた。
彼女が釣竿をあげると川面から白銀の魚が姿を現す。
「ほら!!すごいやろ!!大物やで!?」
大きなアユを手に持つと誇らしげに俺に見せつけてきて水の入った壺の中に入れている。
彼女はすでに三匹のアユを釣っていた。
俺はまだ一切釣れないでいる。
まさか昨日織田信長を襲った俺が、翌日には鴨川で釣りをするとは思ってもみなかった。
そう思っていると釣竿にぶるると振動が走り、手に持つ竿に重みを感じた。
「なんか来たで!釣れた釣れた!」
俺は興奮気味にそう言うと竿をあげた。
大きな白銀の魚やった、がアユとは全然違う。
「立派なフナ!!」
久がそう言い笑う。
ええやろ?ごっついフナやん!俺も笑いフナを水の入った壺に入れる。
なんか楽しいな……
そう思い、更に釣りを続けているとガヤガヤガヤとザッザッザッと言った聞いた事のある音が遠くから聞こえた。
何?とその方向を見ると見覚えのある安っぽい形だけの鎧を身にまとい、長い槍を持ち無表情で歩んで行く軍隊が鴨川の土手を行進していた。
ヤバイ!!
「久!!小屋逃げるで!!」
俺は竿を河原に捨て久の着物の裾を掴むと足早に物置小屋へと向かった。
「なんなん?」
薄暗い小屋の中、久がなぜだか楽しそうにそう尋ねる。
「大軍おった!織田軍かもしれんし明智軍かもしれん!」
「なんで逃げるん?ふふふふ……」
と久が笑う。
「俺の格好見てみい!武家の格好やぞ!絶対危ない!」
俺は先程のようにまた顔を強張らせてそう言った。
「ほんなら脱いだら?そんな暑苦しい格好」
「そやけど……」
脱いでみたら楽なのかもしれない。
が、俺はこの武家の格好に重圧感と威圧感と、なぜだか安堵感と満足感を得ていた。
この状況を簡単に手放したくはなかった。
それ以前に着替える服もないんやけど……
「まぁええわ、あれがどっか行ったら又釣りして良い?」
久がそう言う。
薄暗いので何となくしか確認出来ないが微笑んでいる。
「ええよ、俺はフナしか釣れんけどな」
「あんたが下手くそやからや」
そう言うと久は俺に抱き付いてきた。
そして口付けをしてくる。
俺も彼女を抱き締め彼女を受け入れた。
小屋の外ではまだ軍隊の行進の音が聞こえていた……
ガタガタガタと立て付けの悪い小屋の引き戸を久が開けると明るい日差しが眩しい。
「もう行ったで?」
陽に照らされた久がキョロキョロと辺りを見渡した後、こちらを見てそう言う。
……綺麗やな……
そんな感情をふと抱いたが俺は何も言わず立ち上がり久の元に向かった。
「大丈夫か?」
俺も小屋の外に出て辺りを伺う。
兵どもの姿はすでに消え、穏やかな鴨川の河原がそこにあるだけやった。
「もう大丈夫やん、続きしよ?」
愛想良く久がそう言うと先程まで釣りをしていた場所へと駆けていった。
俺も歩みながら釣り場所へと戻る。
久は先程河原に捨てられた釣竿を手に持ち、針先に細かく千切ったミミズのかけらを刺している。
傍の茶色の壺の中には先程釣ったアユやフナが狭そうにグルグルと泳いでいた。
……さっきの足軽はなんやったんやろ……
織田軍なんか明智軍なんかも分からんかった。
昨日信長様が亡くなったのは間違いないはず。
もう別の武将が弔い合戦に来たんかなとは思ったが、先程の軍隊は明らかに京から別の場所へと向かっていた。
明智の殿が更にどこか襲おうとしてるんやろか。
俺らの隊はすでに解散されたから俺には関係ないんやろうが……
俺らとは別の部隊はまだ解散されておらんのかもしれんし
気になる、気になるが今はその真相は絶対分からん。
いくら考えても無駄や。
久はすでに川面に糸を垂らし釣りをしていた。
彼女の横顔が陽に照らされる。
じっと川を見つめる真剣な眼差し。
さすが漁師の娘。
俺も河原に捨てた釣竿を拾いミミズを仕掛けてそれを川に放った。
「…………」
彼女は何も言わない。
俺も何も言わない。
無言のままじっと川の流れを見つめる。
「はぁぁぁぁ……」
彼女が深い溜め息をついた。
ふと彼女をチラリと見ると彼女もこちらを向いた。
「お腹空いた、ご飯する?」
ニコッと微笑んでそう告げてきた。
久にその辺にある乾いた落ち葉や小枝を集めてくるよう言われた。
彼女は先程釣った魚達の口に枝を刺して腹まで貫通させている。
一通り落ち葉や小枝を集めると久は小屋の中にある藁を少しだけ持ってきてと俺に告げた。
言われた通り小屋に向かい積まれた藁の一部を千切り小屋を出て、久を見ると彼女は火打石を叩いて火を起こしていた。
火打石に火花が散ると草や枝の束にすぐに小さな煙があがり出す。
彼女は懸命に息を吹き掛けている。
それに伴い、やがて火が起きた。
『すごいな……すごい器用な女……』
火を起こす事ならうちのおかんでも出来るがここまで手際良く出来る人は初めて見た。
俺は藁を持ちながら彼女に近づいた。
「も、持ってきたで……」
俺がそう言うと彼女は俺の手から素早く藁を掴むと火元にそれを近づけた。
パチパチパチと心地よい音を立てながら火が膨らむ。
久は枝を刺した魚を火の周りの地面に突き刺してゆく。
一言も何も言わずに黙々と……
俺はただぼーっとその光景を見ていた。
アユ三匹と俺の釣ったフナ一匹が火に炙られてゆく。
「……すまんな、俺だけフナで」
俺はそう言い久の隣に腰を降ろした。
彼女はふふっと笑うだけやった。
火に炙られたアユの表面にはあぶらが溢れでて、強烈な食欲を沸き起こさせる。
「もうええかな」
久がそう言うと枝に刺されたあぶらの沸き出た魚を地から抜いた。
「はい」
彼女はニコッと微笑み俺にそれを手渡す。
「……おおきに」
素直に礼を言い魚を受けとる。
よく炙られた大きなアユの表面はカリカリに焼かれていてあぶらが滲み出ていて、手に持っただけで食欲を駆り立てる良い香りを発していた。
が、俺はすぐには食い付かず久がアユを手にし、それを口にするまで待とうと思った。
それが礼儀やと何となく思ったから。
そやけど……久が手に取ったのは俺が唯一釣ったフナやった。
「え?……アユ食べたらええやん」
俺は笑いながらそう言った。
「うちフナ好きやねん」
そう言うと彼女はフナにかじり付いた。
おいしいとそう言い笑う。
「…………」
俺もとりあえずアユにかじり付く。
あぶらが口の中に広がり、猛烈な旨さを感じる。
「うまい!アユうまいで?!」
あまりの旨さに声をあげたのは空腹と先程小屋で久と交わった事と、そして異様な兵達の光景を目にした緊張に対する緩和の為やったのかもしれん。
「フナもおいしいで?あんたのアユも頂戴」
久はフナを差し出してきて代わりに俺の持つアユにガブリと食い付いた。
俺もフナに食い付く、俺の釣った大きなフナ。
「…………」
味は淡白でうまいけどアユの方が格は上や。
久は二口三口と俺の持つアユに噛み付いた後、ふふふと笑った。
「アユの方がうまいやろ?」
俺が何気なくそう聞くと、
「あんたが懸命に釣ったフナの方がずっとおいしいで」
屈託のない笑顔でそう告げると久は夢中でフナを食べ始めた。
この女性に出来る事は何なんやろう。
何とかせんとあかん。
知り合って二日程度やのに身を捧げ、何かしてあげたいと言う心理になってしまったのは男の心の奥底の本能なんやろうか。
俺はフナをかじる彼女を見ながらアユをかじり、何となくそう思った。