私はここに、いつもいる
「お前か? 新入りというのは」
「は、はい。本日よりあなたのパートナーとなりました、よろしくお願いします」
「ふん。挨拶など不要だ、使えるか使えないか、必要なのはそれだけだ」
「すみません……」
私は、あまり人との慣れ合いが得意でも好きでもない。
どちらかと言えば、むしろ不要とさえ思っている。
私はそういう薄情な人間なのだ。
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いつのことだったか、私が初めて人を殺したのは。
何歳の時だったのかはもう覚えていない、覚えているのは血の臭いとぬるりとした生暖かいあの感触、そして心の底から沸いた恐怖感の三つだけ。
この世界には、ありとあらゆるものが蔓延っている。
武器屋暗殺術などの戦闘技術は勿論、魔法という特別な力に、魔物という化物。
私が所属する「魔法使いギルド」は毎日ひたすら魔物を狩るだけのつまらない仕事を生業としている。
だがこの生業には需要しかない。
何故か、答えは二つ。
一つは魔法が使える人間がそうそういないこと、もう一つは魔物が人を襲いそして殺すから。
たったこれだけのつまらない理由で、私たちは様々なところから雇われている。
魔法を使える者を総じて「魔法使い」と呼び、魔法使いは魔法使いギルドに所属して、仕事があれば傭兵のようにあちらこちらへと飛び回る。
そして今日、今私の隣にいる男は新たに魔法使いとして登録され、不運にも教育係に私が抜擢されたというわけだ。
「新入り、人を殺した経験はあるか?」
「いえ……ありません」
「そうか。まぁいい、いつか来るだろう、人を殺す時が」
「えと……レームさんでしたっけ、お名前」
「ああ」
「レームさんはその………人を殺したことが……」
「あるぞ、何度もな。初めては子供の時だ、いつだったかはもう覚えていない。魔物に成り果てる直前の親を殺した」
「………魔物に傷を負わされた人間は魔物になる、というやつですか」
「ああ。魔物は人を襲い食料とする、魔物と戦い傷を負えば魔物が持つ細菌に侵されてそいつも魔物になる………世界の常識だ」
そう、魔物は自然界にはない特有の細菌を持ち合わせている。
その菌に感染すれば欠陥が赤黒く躍動して浮き上がり、理性は消え、獣と成り果てる。
それがこの世界の常識であり認識、故に人々は魔物をただ恐れるのではない、自分たちの成れの果てとして恐れるのだ。
「止まれ、魔物だ」
「あれが………魔物………本当に化物だ」
「なんだ、見たことなかったのか?」
「保護区にいたもので……」
「保護区……魔物が出没することのないセーフティーゾーン、か。とりあえず慣れろ、話はそれからだ」
「は、はい」
「私が突っ込む、お前は私に魔法を当てないようにバックアップだ。いいな?」
「分かりました」
「よし、では行くぞ」
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その夜、私たちは街の酒場に足を運んでいた。
別に何というわけではない、私が酒場に行くといったらこの男が勝手についてきただけのこと。
私たちは隣同士の席に座り、同じ酒を頼んだ。
「今日はありがとうございました、おかげで色々と勉強になりました」
「私は何かを教えたつもりはない」
「あはは………そうですよね、すみません」
「お前、保護区から来たんだろ? なんでわざわざ死に場所を求めるようなことをする? 魔法を使えるからといって、ギルドに入るのは義務ではないんだぞ?」
「確かにそうなんですが………その、お恥ずかしい話、誰かを助けられるようなことをしたかったんです」
「……下らん、聞いた私が馬鹿だった。お前はそれで英雄にでもなるつもりか?」
「はい」
「………言い切ったな」
「勿論です。それに、自分に誰かを救える力があるのに見て見ぬふりをして、誰かが死んでいくなんてことを考えると……」
「殊勝な心掛けだが、救世的妄想には陥らないことだな」
それから酒が来て、私たちは一銭にもならないような話をした。
互いの過去のこと、魔法使いや魔物についてのこと、何かを殺すことなど色々。
結局私も酒が回ったのか、二時間近く酒場にいた気がする。
それからというもの、何故かこの男との仕事が多くなってきて、しまいには二人一組で仕事に出ることになってしまった。
別に構わんのだが、予想外の行動をされないかどうか、それだけが心配だ。
だがどうしてかこの男、判断能力はあるようで自分の引き際や周囲の状況を細かく観察している。
本人が言うにはよく人間観察をしていたおかげというがそれを実戦で行かせるというのは素直に重宝する。
いつしか私たちは他の魔法使いたちに名が知られるまでになった。
それなりにパートナーとしての仲も深まり連携も取れるようになってきた頃、いつものように魔物が現れたとの報告があり、私たちは殺すために現地へと向かった。
「今日の対象はエキドナ、今までのものと比べ物にならない化物だ」
「聞いたことがあります。手練れの魔法使いでも単独で挑めば勝機はかなり低いという……」
「私たちにその実力があると判断されての依頼なのだろうが、どうにもきな臭い」
私は左手の薬指にはめている指輪をちらりと見てこの依頼の無事を祈った。
誰だって、死ぬのは怖いだろう?
「ずっと気になってたんですけどその指輪ってもしかして………」
「結婚指輪ではないぞ。そんな相手、生まれてこのかた出来たこともない」
「えっ、じゃあなんでそこに?」
「変な輩が寄ってこないようにおまじないだ」
「……そうですか」
私は特に話を広げることもなく会話を終わらせ、この男共にエキドナを見つけるべく森を歩いていた。
その内、森の中がざわつき、どこからともなく私たちを殺気が襲った。
「……何か」
「来るぞ! 構えろ!」
森が荒れ、地は波うち、大木と変わらぬほどの巨躯を持った化物が、私たちの前に姿を現した。
上半身は裸の女だが目はどこを向いているか分からないほどギョロギョロしており、紫の髪の毛は長く多く、肩からは大蛇が生え、両腕の指全てが細長い蛇になっておりそれぞれが自立していた。
下半身は蛇で、荒れの攻撃をまともに食らえば人間などただの肉の塊になってしまうだろうと思わせるくらいに大きく太かった。
「ああああぁぁ…………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
現れた化物――――――エキドナは、目をギョロギョロとさせながら甲高い声で悲鳴に近い鳴き声を上げて私たちを見るなり襲い掛かってきた。
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私たちがエキドナと交戦してからすでに二時間は経過していた。
私たちは息を切らして「ゼェ……ハァ………」と呼吸を乱しながらエキドナと対峙していた。
その後、私たちの猛攻により、エキドナは心の臓腑を貫かれて、死んだ。
「……終わった、か」
「はい………終わりました」
私たちはエキドナの死を確認して、ホッと胸を下ろした。
だがその時だった、エキドナに変化が起きたのは。
突如として死んだはずのエキドナは口を開いた。
うちのパートナーは不運なことに死んだはずのエキドナに背を向けていて、その変化に気が付いたのはこいつと向かい合っていた私だけだった。
次の瞬間、エキドナの口から何かが出てきたかと思うと、それは一直線に、へばっている私のパートナー目がけて迫ったのだ。
「っ!!? くっ……!!」
「―――――さん!!!!」
痛みと衝撃で、あいつが何を言ったのかよく聞き取れなかった。
きっと私の名を呼んだのだろう……。
私は全身を襲う痛みに悶えてうずくまり、呻いていた。
だが私はおぼろげになった視界で、この両の目で確かにはっきりとそれを捉えた。
先ほどのエキドナよりは小振りだがその声、形、何より殺気が先ほどのエキドナそのものだった。
ちらりと元々エキドナがいた方向を見ると、先ほどまで交戦していたエキドナの体はボロボロと崩れ去り、ただの塵芥となっていた。
「………こいつ………脱皮したのか…………!? 死んだと見えたのは………このための仮死状態………か」
私は隣で狼狽えるアホなパートナーに抱えられて近くの木まで運ばれ、横になった。
あいつはなんでか知らんが泣いていた、男のくせに、みっともない……。
私はあいつとエキドナの戦いをただただ見守ることくらいしか出来なかった。
あいつはがむしゃらに攻め込み、自分が傷つけばすぐさま回復魔法で治癒させていった。
しかし、回復魔法は万能じゃない。
回復魔法の本質は自然治癒力の超向上、使えば使うほど細胞が消耗し、命が縮まる。
傷を癒すための魔法が、自らの寿命を縮めているとは、今になっても皮肉的だと思う。
結果、エキドナはあいつの魔法によって頭部を吹き飛ばされて、絶命した。
今度こそ、本当に死んだ。
あいつは魔法で作り出した武骨な剣を何度も何度もまるで鎖を打つかのようにエキドナの体に突き刺した。
「………はは、やるようになったなぁ………お前」
「喋らないでください、今回復魔法を――――」
「無駄だ………すでに肺を貫いて心臓まで肋骨が刺さってる………呼吸するのも……苦しい」
「そんな……………レームさん………」
「まさかこの私が………お前なんかに最期を看取られるとはなぁ…………」
こいつは、涙をボロボロとこぼしながら何度も私の名を呼んでいた。
全くこいつは………私がいないとダメなのか……? やれやれ、飛んだパートナーを持ったものだな、私も……。
だったら……最期に、死ぬ前に、こいつに何か、残してってやろうか。
「おい……」
「………なんですか」
「右手、出せ」
「……はい」
もはや疑うことなく、こいつは右手を私の前に差し出した。
私は左手の薬指から指輪を外して、こいつの右手の薬指にはめてやった。
はははっ………なんだ、こいつ………驚いてやがんの……。
「結婚式みたいだな………こんなことするとよ………結局、誰とも出来なかったなぁ…………」
「……ったら…………だったら!! だったら、僕と結婚してくださいレームさん!!! あなたのことが好きです! 愛しています!! だから………だから!!! 死なないでください………!」
「…………そりゃぁ、いいな…………ぁぁ……それは、いい………お前となら………きっと………幸せだろうな…………」
悪くない。
実に悪くない話だ、実に悪くない告白だ、最良の愛の言葉だ。
私も、心のどこかで、こいつに惹かれていたのかもなぁ………命を預ける間柄のはずが、人生も預けたいと思っちまったのかもなぁ………。
「…………」
「なんですか………? もっと、はっきり………」
でもそれは叶わないらしい。
もう声すら出なかった。
どうやら、もうじき私は死ぬらしい。
そう思うと、どこからか最後の力が沸いてきた、せめてこいつが私のことで心細くならないように、声をかけてやらんと。
「………その指輪、は………私、だ…………私は、いつでも………そこにいる…………だから………だからそう、泣くな………そんなことでは…………夫には……出来んぞ……?」
「レームさん…………!」
「……笑え……!」
「………っ!! はいっ!!」
「あぁ…………いい笑顔だ…………………悪くない……悪く…………………………………」
「レーム………さん……………!」
僕は力いっぱい、冷たくなった愛しい人を抱きしめた。
レームさんは、笑っていた。
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数年後、右手の薬指に指輪をはめた若い魔法使いの男が各地で魔物を討伐しては人々を救い出し、英雄と称えられるまでになったという話が各地を回った。
その中でこんな話があった。
助けられた人たちが総じてその魔法使いの男を英雄と呼び、手厚くもてなしていた時、男は自分のことを英雄と呼ぶのはやめてくれと言ったらしい。
どうしてかとその助けられた人たちが聞くと、男はこう答えたという。
「僕はかつて、確かに英雄になりたいと望んでいました。でもとある任務で愛する人を失いました。誰かを助けられるようになるために魔法使いになったのに、愛する人さえ守れなかった僕は、英雄でも何でもない、ただの愚かな亡霊ですよ」
男は確かに、そう言ったらしい。
その男が失った愛する人とは一体誰なのか、それを知るのは魔法使いの男しかいない。
だが男は知っている、かつて……いや、今なお愛しているその女性が、近くで支えてくれていることに。
男は、銀色に光り輝く指輪を見て、決まってそう言っていた。
今なお、魔物は各地に現れ、その数が減ることはない。
それでも抗い続ける者がいる。
この世界の不条理に、この世界の恐ろしさに。
だがその暗闇を照らすように、今日も希望は潰えていない。
銀色の指輪が、光り輝くように、いつまでも。