異世界転生したら、両親が毒親だった
「お前の所為で! お前の所為でぇえええ!!!」
憎しみの形相で叫びながら私に掴みかかろうとした女を、三人の男が抑え込む。
「放せえ~~!!」
しかし、それでも抑えきれずに、女は徐々に此方に向かってくる。
何処からそんな力が湧いてくるのだろうか? 身体強化魔法だろうか?
「止めてください、母上!」
抑え込もうとしている一人――女の息子――が醜態を晒す母親に懇願するが、彼女の耳には入っていないようだ。
幸か不幸か、店内に居るお客はオーナーでもある王太子殿下のみ。
夏の暑い時期だが、閉店間際の夜遅い時間だからかもしれない。外は暗くて物騒だから。
「お前の所為で、エンジェルちゃんは~~!!」
私は、昔のある光景を思い出した。
エンジェル。
かつて、私の弟だった、可哀想な少年の事。
私の名前は、ベス。以前は、エリザベス・オブ・ゴールドバードと言う名の侯爵令嬢であった。
前世で異世界人であった記憶があるが、それは今の仕事ぐらいにしか関係が無いので置いておく。
あれは、五歳になったばかりの事。
それまで、私は食事を自室で独りで取らされていたのだが、その日から家族と共にする事を許された。
私はその時まで、自分には兄と姉しかいないと思っていたが、その席で初めて弟がいる事を知った。
兄の名はヒーロー。当時九歳。後継ぎとして厳しく育てられていた。
姉の名はビューティー。当時七歳。王太子殿下の婚約者候補として嘱望されていた。
そして、私は、冷遇されていた。
「今日も可愛いね~、エンジェル~」
「おいちいでちゅか~?」
初めて会った弟エンジェルは、当時四歳。
兄と姉には厳しく・私には冷淡な両親が、弟をデレデレに可愛がっている様は、正直言ってキモかった。
目の前で、手掴みで食い散らかしている四歳児は、九歳の兄より重そうだった。
ビューティーは、気分が悪いと碌に食べずに部屋に戻り・ヒーローは、視界に入れないように料理だけを見て黙々と食べていた。
これって、あれかな? 優しい虐待って奴かな? こんなに太ってたら、近い将来生活習慣病になるんじゃないかな?
そう思っても、私は止めようとしなかった。
前世の記憶に自信が無かったから。両親に逆らう事が怖かったから。可愛がられている弟が妬ましかったから。
結果的にエンジェルの生活は改善される事は無く、五年が経った。
その日も、エンジェルは手掴みで食い散らかしていた。スプーンやナイフ・フォークの使い方を教えて貰えなかったのだから、仕方が無い。
勉強は、一日目に嫌がって以降させなかった。
運動も、怪我をしないようにとさせなかった。
もうそろそろ、ベッドから降りられなくなるな。
私は、歩けなくなる程太って車椅子に乗せられて来たエンジェルを見て、そう思った。
「昨日言った通り、今日は王太子殿下がいらっしゃる」
エンジェルが側にいるのに、珍しく真面目な顔と声で父が言った。
「エリザベスは、みっともないから部屋から出ないように」
それはみっともなく無いんですか?
先程からエンジェルが、掴んだ食べ物を時折私達兄妹や使用人達に投げ付けていた。ニヤニヤした顔で。歩けなくなった事によるストレスの解消なのだろうが、殿下に投げ付けたら、どうするんだろう?
「あの、お父様。差し出がましいとは思いますが、エンジェルの食事を制限しては?」
私は、勇気を振り絞って進言した。
「まあ! 何て酷い事を言うの、この子は!」
母が金切り声を上げた。
「出て行け! お前のような輩はゴールドバード家には要らん! 今後何があろうと、二度と我が家に足を踏み入れる事許さん! お前とはもう親でも子でもない!」
父も激昂して、そう言い放った。
「それは、私が将来産む子もですか?」
「当然だ!」
こうして、私は着の身着の儘で追い出された。
取り敢えず、この服売ってお金作ろう。
そう思って商店が在るであろう方向に歩いていると、王家の紋章が描かれた馬車が近付いて来て止まった。
「リジー。こんな所で何をしている?」
馬車からエドワード王太子殿下が降りて来た。
「人違いです。私はベスです」
殿下がゴールドバード侯爵家を訪れるのは、この日が初めてでは無かった。
なので、私と殿下には面識があった。
勿論、この日のように『みっともないから部屋から出ないように』と言われていたのだが、トイレに行った際にばったり会ってしまったのだ。以来、毎回こっそり会っていた。
殿下には、私と同じ年の妹君がいらっしゃるらしい。だからか、気に入られてリジーと呼ばれていた。
「……私は人の顔を覚える事には自信がある。お前は、エリザベス・オブ・ゴールドバードだろう?」
「ゴールドバード侯爵には、今日からエリザベスと言う名の娘は居りません」
「何だと?!」
追い出された事を悟った殿下の顔に怒りが浮かんだ。
「それでは、私はこれで」
「待て、リジー。行く所は無いだろう? 学園に入れてやろう」
王立魔法学園には、ヒーローとビューティーが通っていた。
「ベスです。高い学費を出して頂く訳には参りません」
「気にするな。将来妹になるかもしれないのだから」
『かもしれない』で出せる金額なのだろうか?
「さ、行くぞ」
王立魔法学園は、魔法を学ぶ魔術師科以外に、騎士科と普通科がある。
私は魔法の才能がある事が判明したので魔術師科に入る事になった。殿下は魔術師科・ヒーローとビューティーは普通科であった。
この学園には寮が有り、私はエドワード様のお陰で寮で暮らす事になった。
在学中、ヒーローやビューティーと遭遇した事もある。
ヒーローは、私とゴールドバード家は無関係という設定を守って無言で擦れ違ったものだが、ビューティーは、私が殿下と仲が良い事に嫉妬し、突き飛ばしたり等の嫌がらせをして来た。
他に四人いた婚約者候補の方々は、殿下が私に向ける感情が恋愛感情ではないと解っていたのか、何もしてこなかったが。
恐らく、それが評価に影響したのだろう。ビューティーは殿下の婚約者になれなかった。
翌年、エンジェルが入学してくる事はなかった。
まあ、ベッドから起き上がれないほど太ってはいなかったとしても、字が読めない彼が普通科の授業に付いていける訳は無いから、当然だろう。
卒業後、魔法攻撃力が無い氷魔法を使える私は、殿下の勧めで氷菓子屋を営む事になった。
アイスキャンディー・アイスクリーム・かき氷・シャーベット・パフェ等を取り扱っている。
ゴールドバード侯爵家の使いも頻繁に訪れ、エンジェルの為に大量に購入して行った。
一度、エンジェルが私を専属菓子職人にしたがっていると使用人に言われたが、『殿下と交渉するべきでは?』と突っぱねたら、侯爵閣下は本当に殿下に話を持ちかけたらしい。
王太子のお抱え魔導師を譲って貰えると、よく思ったものだ。
そもそも、私に『二度と我が家に足を踏み入れるな』と言った事を忘れたのだろうか?
そして、先日ヒーローがやって来た。
「エンジェルが死んだ」
享年19か。
「ご愁傷様で……」
本人の主観では、幸せな人生だったかもしれない。好きな物を好きなだけ食べ・運動も勉強も仕事もしなくて良く・両親に可愛がられていたのだから。
そう。例え、両親に『健康で長生きして欲しい』と思われていなかったとしても、気付かなければ幸せだろう。
「それで、私に何用でございますか?」
「棺が出来るまでの間、腐敗防止の為に氷魔法を使えと父上が……」
「『今後何があろうとも、二度と足を踏み入れるな』と命じられた記憶がございますが」
ヒーローも覚えていたのだろう。驚いたりする事は無かった。
「新しい命令の方が有効だと言うのだろう」
「『何があろうとも』とおっしゃったのですから、心変わりをしてもこの命令は有効かと思われますが」
「そうだな。そもそも、私の魔導師を勝手に使おうとしないでくれ」
「殿下!?」
殿下が店内にいるとは思ってもみなかったらしい。
ヒーローは、酷く驚いていた。
「も、申し訳ありません!」
「身内の不幸ならば兎も角、姉でも弟でも無いのだからね」
殿下に対し食い下がる事も出来ず――そもそも最初から気乗りしていなかったようだが――、ヒーローは大人しく帰って行った。
その数日後が今日である。
「お前の所為でエンジェルちゃんは!」
閉店間際の店内に入って来た侯爵夫人は、丁度殿下にスイカパフェを出そうとしていた私に駆け寄り、トレンチの上のパフェを払った。幸い、殿下とは逆方向だったので良かった。
そのまま私の首を絞めようとしたが、店の用心棒と殿下の護衛、そして、追って来たヒーローが彼女を抑え込んだのだった。
「お前の所為で! エンジェルちゃんが切り刻まれた! あああ! 可哀想なエンジェルちゃん! まだ若かったのに亡くなった挙句、切り刻まれるなんて! 全部全部、お前の所為よ!」
「母上! エンジェルは重過ぎるのです!」
なるほど。重過ぎて動かせないから、バラバラにした訳ね。
「エンジェルちゃんが悪いと言うの!」
侯爵夫人はヒーローの顔に唾を吐いた。
抑え込まれている所為で殴る事も蹴る事も出来ないからって、これが母親のやる事だろうか?
「聞くに堪えん妄言だな。エンジェルが命を落としたのも・切り刻まれたのも、全部お前達夫婦が太らせた所為だろう」
「……だって、可愛かったの! なのに、失われてしまうなんて! あんまりだわ!」
力が抜けた侯爵夫人に、ヒーローは拘束を緩めてしまった。
彼女は自由になった足で、距離を取っていた私と殿下の方へヒーローを蹴り飛ばした。
幸い、私達にぶつかりはしなかったが、ヒーローは痛みに蹲っている。
「侯爵夫人……。その愛情を何故、エンジェル様にだけ」
「私が貴女なんかを愛する訳無いでしょう! あの女の娘なんて!」
私は、何故ヒーローに酷い事をするのかという意味で言ったのだが、侯爵夫人は、私が彼女の愛情を求めていると思ったらしい。年齢一桁の頃は兎も角、今は赤の他人としか思っていないのだが。
ところで、『あの女の娘』とはどういう事だ? 私は愛人の子か何かなのか?
「侯爵夫人。どういう事だ? 妹には病気だから会わせられないと言っておいて! やはり、ベスが私の妹だったか!」
はい? 妹? 私が殿下の? え? どういう事?
「違う! 違います!」
「下手な嘘は止せ」
「ど、どういう事ですか?」
「父上の側室が生んだエリザベスは、命を狙われていた。だから、彼女の親友であるゴールドバード侯爵夫人に預けたのだ」
何という事だろう。私が殿下の妹だったなんて。
だからか。兄妹で私だけが魔術師の素質があったのは。
後、名前の系統も。
「それが、まさか、捨てるとはな」
殿下は右手の掌を上にし、火の玉を出現させた。
「大人しく連行されて裁きを受けるか、今直ぐエンジェルの許へ行くか選べ」
大人しく連行された侯爵夫人は、夫と共に身分剥奪された上で流刑になった。
ゴールドバード家は、侯爵領を没収され伯爵家に降格。
ヒーローは親の所為で襲爵が認められず、ゴールドバード伯爵家は親戚が継ぐ事となった。
去年漸く婚約が決まったビューティーは、婚約を破棄されたらしい。
「ビューティー。食べ過ぎると腹を壊すぞ」
「放っておいてよ! 行き遅れ確定なんだから! 自棄食いせずにいられるか~!」
閉店間際の店内。ヒーローと共に訪れたビューティーは、パフェを自棄食いしていた。
私が今も氷菓屋を続けているのは、陛下の子だと証明する為の紋章入りナイフを元侯爵夫人が無くしたからである。勿論、わざと。
まあ、私としては、高貴な生活なんて性に合わないので、寧ろ、礼を言いたいぐらいなんだけれど。
「申し訳ありませんが、お時間です」
「もうそんな時間か。ほら、帰るぞ。ビューティー」
「うう……」
「ありがとうございました。お気を付けてお帰りください」