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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

天使のいる煉獄

銀の村

                                   

「ねえねえ、『神様の納屋』に行きましょ」

 少年が彼女に誘われたのは、土いじりが終わった日暮れ前のことだ。今日はいつもの倍の時間はやったので、すっかりくたびれてしまった。そして彼女の家のわきに積まれたわら山を枕に、ぼんやりと空を眺めていたのだ。

 少年は彼女のことがずっと気になっていた。記憶をなくし、この村の近くで倒れていた自分に、最初に声をかけてくれたのは彼女だったから。今は彼女の家の手伝いをしながら、やっと毎日を暮らしている。

「ジョンも、テッドも、ジェシーも、みんなあそこで遊んでるわよ」

 近くの森の奥にある「神様の納屋」は、子供たちの肝試しスポットだと聞いたことがある。実際に神様が降り立ったんだぞ、遊んだらバチが当たるぞ、と村の大人は口をすっぱくして子供たちに言い聞かせていた。

 だが、子供たちにとってはそのような言葉はどこ吹く風で、大人の目を盗んではそこに入り込んで遊んでいるらしい。あくまでうわさだ。

 しかし、そこに転がっていたというきれいな石や、錆びたナイフを持ってくるたびに、持ってきた子はヒーロー扱いされた。同時に、行ったことがない奴は仲間はずれにされる。

 少年は数少ない、行ったことがない子供だった。

「みんな、きみのことをビビリだって。言われっぱなしで悔しくないの?」

「そりゃ、悔しいよ」と少年は返した。

 今まで自分が行かなかったのは、単に興味が湧かなかっただけだ。それなのに連中は、臆病者のレッテルを少年に貼り付けてからかっている。行った、行かないという些細なことにも、子供たちは特別なステータスを求めていたのだ。

 それだけにステータスがあれば、あいつらと同じステージに立てるかも知れない。うっとおしいからかいを、断ち切れる可能性がある。

「だいじょうぶ。私もいっしょに行くから、ね」

 彼女は笑った。別に一人でも構わなかったが、彼女がいてくれるのはとてもうれしい。よそものの自分が子供たちとコミュニケーションが取れるのも、彼女のおかげだから。できることなら、これからもずっと彼女のそばにいたいし、そばにいて欲しい。


 二人はすぐに動いた。大人に見つかるとうるさいので、村の裏手からこっそりと森の中に入っていく。夕焼けに染まった橙の空を、鳥が群れを成して横切っていく。

「村のみんなのこと、嫌いにならないでね」

 彼女の歩みに迷いはない。早歩きでずんずん前に進むので、少年も足を早めた。森の闇の中から猿を思わせる、キキキという笑い声がかすかに聞こえた。

「大人たちは相変わらず無視するし、子供たちはあんな感じだけど、本当はみんなのほうがビビリなだけだから。きみのことが分からなくて、怖がっているだけだから」

 彼女は神妙な口調で、そうつぶやいた。親がいないせいもあるのか、みんなと一緒の時は子供相応の態度だが、少年と二人の時はどこか大人びた雰囲気を漂わせている。

 彼女の言葉がどこまで本当かは分からない。確かに大人たちは少年をいないもののように扱う。子供たちは自分をからかい相手としか見ていない。

 実は自分が奴らよりも上の立場にいるとしたら。それを知らずに卑屈になっていたのだとしたら、自分はとんだ笑いものだ。もし事実なら「神様の納屋」に行く必要などない。さっさと帰って、思う存分あいつらを見下してやればいい。

 だが、もう一つの可能性が少年の頭の中で鎌首をもたげる。もしも彼女の言葉が、自分を慰めるための方便だったら。自分は特別な存在ではない、それどころか周囲より価値の低い人間だったら。ここで戻ることは、彼女が垂らしてくれた救いの綱を自ら断ち切ることになる。

 また自分はからかわれる。彼女もからかわれる。自分のせいで、彼女の立場を悪くする。

 嫌だ。そんなことは嫌だ。彼女はもっといい人であるべきなんだ。

 梢が騒いだ。枝が次々にしなる音が耳を打つ。先ほどのキキキという鳴き声がそれに混じっていた。

「一つだけ、お願いしたいんだ」

 少年は前を行く彼女を呼び止めた。「神様の納屋」に行けば、自分は特別ではなくなる。けれども、ここにいる彼女の存在は自分にとって疑いようのない特別だ。

 夕闇の濃くなった森の中では、彼女の表情を読み取れない。それでも彼女が立ち止まって振り返ったのは分かった。

「僕が特別でなくっても、君には特別でいてほしい」

 その言葉がせいいっぱいだった。少年の中には、彼女の心をとろけさせる甘い言葉もなければ、自分を信じられるだけの情熱の言葉もなかったのだから。

 彼女も少年の言葉の意味を図りかねたのだろう。声はなく肩が震えただけ。やがて彼女は前に向き直り、先ほどよりも足を早めた。少年は慌てて彼女についていく。


「神様の納屋」は、小さな掘っ立て小屋だった。長年の風雨にさらされて、丸太を組んで作った壁はボロボロで、特に屋根の腐食はひどく、木の中身がむき出しになっている。

 入り口のドアに手を掛けると、さびついた蝶つがいの悲鳴が辺りに響く。

「大人たちは、ここに入るとバチが当たるって言ってるけどね」

 彼女はどこか、さびしげな声音で言った。

「実際には何も起こらないんだよ。おかしいよね、見たこともないのに怖がるなんて」

 彼女はろうそくを二本取り出すと、それぞれに火をつけ、一本を少年に手渡した。得体の知れない夜の闇に、声音とは裏腹の、彼女の不安そうな顔が映し出された。

「先に入って。やっぱり、少し怖いの」

 彼女のお願いを断る理由はなかった。少年はろうそくを片手に納屋の中に入っていく。

 中はかなりさっぱりしていた。てっきりがらくたの山でもあると思っていたのだが、床に散らばっているのは、壁からはがれた木片ばかり。

 どうせ戦利品を持ち帰るなら、珍しいものだ。少年はせまい掘っ立て小屋を引っかきまわした。やがて壁に貼り付けられていた一枚の札が目に入る。ろうそくを近づけて見てみると、上半分に三角形を二つ組み合わせたヘキサグラムが、下半分に次のような文が書かれていた。


 神の子 捧げよ

 奇跡 与えん


 少年は言葉を頭の中で反芻すると、まさかと思って納屋の戸に飛びついた。

 動かない。何かが向こうで扉を押さえつけている。彼女ではないだろう。重すぎてびくともしなかった。

 大声で彼女を呼んでいるうちに、戸の隙間から煙の臭いが忍びこんでくる。納屋の外からパチパチと木の葉がはぜる音が聞こえてきた。もう疑いようがない。

 自分は神の生贄にされたのだ。この札に書かれた奇跡を得るためだろう。そして、村のみんなが自分を殺したがっていたということが理解できた。彼女さえも、その例外ではなかったというのか。

 彼女の優しい言葉も、笑顔も、全部自分を陥れるためだけに、向けられていた。

 少年は泣いて、吠えた。がむしゃらに戸に拳を打ちつけ、両手が血にまみれると、今度は床から手頃な木片を拾い上げて、更に苛烈に打ちすえた。

 戸が粉々の木くずになると、その向こうから灰色の壁が姿を現した。それは巨岩だった。

 彼女一人では運べまい。予めそれなりの人数が納屋の近くに潜んでいて、岩を運んだのか。村人の周到さに、呆れを通り越して笑いがこみあげてきた。煙が目にしみて涙まで出てくる。たとえ肩が砕けるまでぶつかっても、岩は動かせそうにない。

 取り巻く熱気が、少年の勇気を燃やし尽くそうとする寸前、頭上で木がへし折れる音が聞こえた。我に返って飛びのくと、目の前に中途半端に火のついた丸太が転がる。壁よりも腐食の進んでいた屋根の一部だろう。

 少年はためらわずに、その丸太を脇に抱え込んだ。剣山のようにとがった先端を納屋の壁に向け、突進する。

 一撃。二撃。少年の執念は大きく納屋を揺るがせ、幾度とない攻撃の果てにとうとう目標を穿った。

 驚くべきことであった。少年の抱えた丸太は、度重なる激突で当初の半分ほどの長さになったとはいえ、少年の身体よりも一回り大きい穴を納屋の壁にこさえたのだ。打ち貫いた勢いで、少年は納屋近くの草の上を無様に転がった。

 彼の後ろで「神様の納屋」は炎をまといながら、その姿を残骸へと変えていく。だが、少年の頭には感傷に浸るという選択肢は残っていない。あるのは本能のみ。

 少年は着ていた服の袖をちぎりとって、残った丸太にくくりつけると、火力が弱まり始めている箇所から、火を布に燃え移らせた。即席のたいまつを作ったのである。

 たいまつを片手に、夜の森を少年は走った。立ち上る煙は、村からも見えているだろう。今頃はやっかい者がいなくなったと浮かれている時か。もしかすると宴でも開いて、酒をあおっているかもしれない。

 だったら好都合だ、と少年は顔に邪悪な笑みを浮かべた。確実に仕留めたと思った人間が姿を現わしたら、奴らはどう思うだろう。

 どうしてくれようか。腰を抜かしている間に、農具で叩き殺してやろうか。いやいや、それではせいぜい数人が限界だろう。自分がされたように、奴らの家にも秘かに火をつけて回ろうか。でもそれだと直に叩きのめせないな。人質を取るなんてどうだろうか。

 しかし少年の妄想は、村についたとたんに吹き飛ぶことになった。

 村は銀になっていた。

 雪が降り積もった風景を銀世界と表すが、少年が目にしたのは本当に銀一色の世界だ。家も畑も人々も、木々やつい先ほどまで自分が寝転がっていたわら山さえ、銀色の彫刻と化していた。

 少年はあっけに取られながらも村をめぐる。村人たちは一様に、空を見上げて固まっていた。どうやら、空から原因が降ってきたようだ。誰も逃げようとしていない。すると、瞬きする間のような、あっというまの出来事だったのか。

 少年は彼女を見つけた。銀となった家の隅で一人膝を抱えて、うずくまっていた。顔を膝の間に埋めていて、表情は分からない。

 この早すぎる天罰は、少年のはけ口を奪い去った。いかに少年が渾身の力をこめて丸太を振るっても、芸術の広場は壊れるどころか、微動だにしない。わらの一片すらも、ちぎり取ることはできなかった。

 少年の心はもやもやしたままだ。奴らに勝ち逃げされてしまった気分がする。自分を始末するだけでは飽き足らず、自分の手の届かない世界に奴らは逃げてしまった。奴らの欲しがった奇跡とやらは、今の世界から逃げることだったのかも知れない。

 いいだろう。少年は再び邪悪な笑みを浮かべた。

 逃げたのなら、捕まえる。引きずりおろすのだ。もう一度この世界に。自分の拳と想いが届くこの世界に。だから、待っていろ。


 少年は旅に出た。

 初めは盗むことばかりしていた。鶏を盗み、野たれ死んだ旅人から荷物を拝借した。

 荷物から武器が出てくると、我流で武術の腕を磨き、身体を鍛え上げる。思ったより少年には運があったらしい。旅の途中で何度も賊に襲われ、数え切れないほどの多くの刃が首筋を掠めたが、誰もが少年の首を自分の首より早く飛ばすことはできなかった。

 旅先では村のうわさを、たびたび耳にした。一夜にして、全てが銀の彫刻と化した村。その現状のままに「銀の村」と呼ばれるようになったその村に、一時期は銀目当ての商人たちが押しかけた。

 そこから帰ってきて、彫刻を売ったという商人の話を聞くと、少年は村に取って返したが、自分が旅立った時と寸分変わらぬ姿がそこにあった。

 商人の見栄に、少年は安堵を覚えながらも心のどこかでは、当たり前だろ、とも思った。自分ほど「銀の村」に命を賭けている奴が、この世にいるわけがない。

 少年が求めるものは、この縛めを解く手段だ。旅先で出会った占い師が告げた、悪魔の呪いすらも打ち消す秘薬。幻と呼ばれたその薬の材料を求めて秘境を渡り歩く少年は、やがて冒険家として世に認められるようになった。

 冒険の旅は困難を極めた。霊峰の凍てつく寒さに、数本の足の指が。奇怪な進化を遂げた生物を相手に、左腕が。巻き込まれた戦争で、右目が犠牲になった。だが、それに伴う痛みと恐怖を、少年は殺意と怨嗟でねじ伏せて、前に進み続ける。

 幾多の修羅場を潜り抜け、少年は青年になり、壮年を越えて老人となっていった。酒や煙草、女の味も知る。行く先々で小さな伝説を作り、彼に憧れた多くの若者が冒険へと乗り出した。富にも名誉にもこだわらない彼の立ち振る舞いは、人々に畏敬の念すら抱かせた。しかし、彼の真の心に触れることができた者は、ついに現われなかったのである。

 

 隻眼隻腕の老人は、旅路の果てにとうとう幻を現実のものとした。高名な薬師に調合してもらった秘薬。これを使えば、「銀の村」の呪いを解くことができる。しかし、できた薬の量は微々たるもので、人間一人分に使うのがせいぜいだという。

 それで十分だった。長きに渡る冒険は、老人がかつて抱いていた憎悪を厳しくも拒むことなく全て受け止めてくれた。傷ついたこの身は、もはや復讐ではなく、あの日の悪夢に秘められた真実を求めている。

 老人は「銀の村」へと足を向けた。彼は自らの旅路を振り返るような道程を歩む。

 老人の知っている名前で残っていた町は、もはや数えるほどしかなかった。あちらこちらで疫病が流行り、井戸は枯れ果てている。無軌道な開拓が自然を壊し、堕落した民衆の間では、世界を流しつくす大洪水が起こる、という終末論が幅をきかせていた。

 かつて老人が若い頃に猛獣の被害を撲滅したある村では、自分を象った銅像が取り壊されて、朽ちかけた足首しか残っていない有様だ。

 癒しを欲し始めた世界を目の当たりにしながら、老人は「銀の村」に帰ってきた。生きとし生けるものが抱く、疲れから切り離されたこの村は、旅立ちの日から寸分変わらぬ姿を老人に見せつけた。

 その変わらぬ有様に、老人は安らぎすら覚えた。一つ一つの彫刻をいとおしげに見つめながら、彼はかつて自分と彼女が暮らしていた家を目指す。

 彼の足取りは重かった。気後れもあったかも知れないが、世界と同じく老人も疲れていた。鍛え続けた身体に、避けられない寿命が訪れていることが、ひしひしと感じられる。

 彼女は今もそこにいた。抱え込んだ膝に顔をうずめて、家の隅でうずくまっていた。老人は荷物の中から、秘薬の入ったビンを取り出す。処女の生き血を思わせる鮮やかな紅色の薬を、老人はしばしの間ビン越しに眺めていたが、やがてフタを開け、彼女の頭の上から一気に降りかけた。

 初めのうちは無造作に流れ落ちていった薬だったが、液体は意思でもあるかのように、床に飛び散ったものさえ、はいずりながら彼女に取り付き、身体を包み込む。そして泥が洗い流されるように、彼女の身体の銀が液体と共に流れ出していった。終わった時には、色を取り戻した、一人の少女がうずくまっていた。

 老人が肩を揺すると、少女は眠たそうにまぶたをこすりながら顔を上げる。あの時から、何も変わっていない少女の姿があった。彼女はこの世界に帰ってきたのだ。

 老人は状況の飲み込めない少女に、自分の正体は謎のままにして、いきさつを告げた。二人で村を見て回り、家に戻ってきた時、彼女は口を開いた。

「彼の全てを奪って、手に入れたものがこれだったなんて」

「彼とは?」老人はとぼけて見せた。

「神降ろしをされた少年です。この村では、神降ろしを行っていたのです。神の血脈を受け継ぐその儀式を行うことが、世界を安定させている。自分たちが世界を守っているのだという自負が、この村に代々引き継がれてきたそうです」

 おかしいと思いますか、と少女は老人に問うた。老人は首を横に振った。

「私たちの代でも、神降ろしが行われました。神が降ろされるのは選ばれた子供。その子は神降ろしによって、人の子から神の子となるのです。親から引き離され、記憶を失って生まれ変わった神の子は、大人に汚されてはならないという掟があるので、接することができるのは子供たちだけ。そして、代々神の子のお世話をしてきたのは、私の家なのです」

「子供たちは、神の子に接してもいいのか」

「穢れを知らないから、という理由らしいですが、怪しいものです。子供は人間になりきっていないがゆえに、魔や妖精に触れやすいということを表したかったのかも」

 だが、この因習を快く思わない者は大勢いた、と少女は語った。なんとか自分たちの代で終わりにできないか、と村人たちは思案を巡らせていたらしい。

 そして、ついに彼らは見つける。それは神の納屋に神の子が入ることで、行うことのできる永久不滅の呪いだった。

「神の血が途絶えれば、世界は滅びると言われていました。私たちは、自分たちだけが滅びから助かるために、この呪いを実行に移すことにしたのです」

「誰も止めなかったのか?」

「私は反対でした。でも、一人だけの意見など無いも同然。それどころか世話役という立場から、彼を納屋に連れて行けと言われました。私は逃げようとしましたが、捕まってししまって、やむなく彼を納屋に」

 少女はまぶたをこすった。目に涙がにじみ、その周りが赤くなっている。

 老人は、ふっと足の力が抜けて、床に崩れ落ちた。少女が驚いて抱き起こそうとするが、彼はやんわりと断った。

「少し、疲れたみたいだ」

「あ、申し訳ありません。長話をしてしまって。何か温かいものでも用意できれば」

「無理、だな」

 少女の家のかまども鍋も、全てが銀だ。動かせない。いくら見た目が美しくても、腹を満たすことはできなかった。横になりたくても、銀のベッドでは背中が痛くなる。

 滅びを拒んだ村は、どこまでも生者に厳しい。

「疲れたな」床に寝転がった老人はもう一度、つぶやいた。

「私たち、どうかしていたのかも知れませんね」少女も老人の横に寝そべった。

「この『銀の村』から戻る方法も考えないで、滅びから逃れようと行き当たりばったりだったんだなと、今さらながら思います。おじいさんが来てくれなければ、私もここにいる人のように、ずっと彫刻のまま」

「いいんだ。皆のおかげで、私はここにいるのだから」

 老人はつぶやいた。

 急激に力が抜けていく。もう起き上がることはできない。自分の旅は、ここで終わるのだと分かった。

「一つだけ、聞かせてください」

 少女の声が、彼方から聞こえた。

「どうして私なのですか。この村には大勢の人がいるのに、どうして」

 老人は最後の力を振り絞って、彼女の方を向く。

 心配そうにこちらを見つめる、あの日と変わらぬ彼女の顔が、老人の網膜に広がった。

 それが老人の最後の光景となった。次の瞬間、彼の目は見えなくなった。自分の前には、ただ暗い風がそよいでいるばかりである。

 命の火が消える今、自分が伝えるべき言葉は決まっていた。

「君に特別でいてほしかったから」


 その日、海からとてつもない大きさの津波が押し寄せたという。山々さえも上回る高さの津波は全てを呑み込み、一つの大陸が地図から消えた。

 遥か暗い水底で、今も「銀の村」は輝きを放っている。一人の少年と一人の少女を、記憶に変えて。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「銀の村」という発想力がいいですね。 最初はホラーものと思わせておいてからの、「少年」の、永い物語。面白い。 [気になる点] もうひとひねりあるのかと思いきや……いやこれは蛇足 [一言] …
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