サキュバスか
「めちゃ美味いっすね」
「そっか。そりゃあよかったよ」
思いっきりがっつく小悪魔のスフレ。もう何十年食べてないとばかりにがっついている。
実際何十年も食べてないのかもしれないな。マンドラゴラのサラダとか以外に。
母さんは遅くまで働いていたし、妹は作れない。なら、俺が作るしかなかった。
馬鹿親父が残した漫画のレシピを見よう見まねで作ってたっけな。大嫌いなくそ親父のなのに。その時……確か涙流しながら漫画のページめくってな。
なおもがっつくスフレを見ていると、全然違うけど、妹を思い出して嬉しいやら悲しいやら。俺は途端に箸が進まなくなって、残った分をスフレに渡した。飢餓ならまあ、仕方がない。我慢しよう。
「簡単な料理で悪いな」
「いや、めっちゃうまいっす。みなぎるっす。……あれ? 頭くらくらするっすよ?」
「おい、大丈夫か?」
「あはは、なんだろ、熱いっす……」
ぽーっとした瞳で俺を見ると、不意に……俺とスフレの間の距離が消えた。
唇が感覚した柔らかくて、温かい、少し湿った感触。なにが起きたのか未だに知ろうとしない瞳が映し出す、ハートマークを携えたスフレの瞳。
驚きのあまり声を出したいが、口は……塞がれていた。
何とも言えない状況、どうすれば良いかわからない。取り敢えず息がしたい。今すぐ呼吸がしたい。口が塞がれて……ああそうだ、鼻ですればいいんだ。
ようやく呼吸の方法を思い出した俺は端で息をするが、鼻孔の中に随分と官能的な香りがまいこんできてむせてしまう。
逃げようにもスフレなんかに抑え込まれて動けない。長い間かそれとも短い間か、俺はスフレに口の中を犯され続け、ようやく――
「ぷは! キスしていいっすか!?」
「事後報告かこの馬鹿が!」
スフレの両肩を掴んで適当な場所に思いっきり放り投げた。
鈍器があったら殴って殺してるよ!
口元を拭い、スフレとの記憶を削除するために机に頭をぶつける。何度も。
初めてがこいつか……
嫌じゃない自分をどっかに感知して、俺は羞恥と罪悪感と混乱に押し潰されそうだった。なんで嫌じゃないんだよ。こんな情欲の塊みたいなやつと……のが。
「まあ、まあ、元気出してくださいよ。初めてがディープキスとかラッキーっすよ?」
「黙れ色魔!」
「あーら傷つくっす。私レベルの美少女にキス貰うなんてお金払うレベルっすよ」
「金払ったらお前娼婦だろ。ああもう……! もう飯終わり! 俺たちゃ寝ないでいいんだ、さっさと行くぞ」
「ああ、もう行くっすか? じゃあベッドを整えないと……」
「そこにはいかねえよ! なんでお前そんなに盛ってんの!?」
「あれっす。料理っす。なんか媚薬とか入れたっすか?」
「入れてないけど!? お前に盛って何かしようなんて思わねえよ。それより早く行こうぜ」
「ああ、はいはい。んじゃあ行くっすか……あー、マシな奴にしましょっかね。地獄七魔将の一人……ああ、これなんていいっすよ。レッツラゴー」
また翼だ。羽が入るからちゃんと口を閉じていないと――
「もう私のベロが入ったんだから、なに入れても同じっすよ」
「おま――」
漆黒の中に投げ入れられ、俺は結局何も言えないまま、身を任せることにした。
高速移動とは言うが、地獄は恐らく広い。たっぷり十秒近く使ってようやく目的地だ。
といっても、特に景色は変わらない。灰色の地面と、どこを見渡しても見える地平線。意思を持ったかのようにうごめく黒雲はなにを思っているのか動き方が不規則だ。
地獄に風があるとも思えない。だから微妙に雲が動く理由も分からない。
連れてきたら連れてきっぱなしなスフレを置いて、俺はとりあえず歩いた。一々地獄の至る場所で恐怖や驚きを感じていたら魂がもたん。
「あれは……枯れ木か?」
ふと、ちょうど正面に随分と大きな木、大木が立っているのが見えた。
中央から枝分かれして、広い範囲にまで広がる立派な木、だったもの。それが今は、幹が詰まり、色は黒紫に変色し、葉は勿論一枚もない。
灰色の地面に根差してはいるが、なにを養分にしているのか見当もつかない。
「そうっす。あれはここに棲まう、地獄七魔将が一人の持つ木です」
「なんの木なんだ?」
「地獄に気を愛でる文化はないっすからね。ていうか、ああなったら見たことあっても分からないっす」
それもそうだと納得したが……ここにはもう、地獄七魔将が居るのか。
かつて地獄の王が使役した最凶の七人の悪魔。今は地獄の王の政権交代にって野放しになっているらしい。まあ、地獄がどうなろうと俺の知ったことではないが。
「誰だ」
木に視線をくれていると、背後から声がかかった。どいつもこいつも人の背中をよく取る。
俺は最初、首だけを回してそれを確認した。若い……女性だった。
黒髪にポニーテール。シトリンを思わせる黄色い双眸に、赤ラインの入った黒いコート。
ヒールの高いブーツを履いていて、コートとブーツの間からちらつく白い肌が目に眩しい。女性の魅力は足に出る、俺はそう考えている。
「あんたが、地獄七間将か」
「かっこよく決めてるっすけど、目が足に行ってますっすよ。なんすか、ご主人は脚フェチさんっすか?」
「脚フェチさんだ」
「つ……貴様、私をじろじろ見るな!」
コートの前を閉じて前屈みになり、足を隠す。これが無意識グラビアポーズか。エロい。
胸も大きいからそっちも隠したほうがいいと思うんだけど……ほら、コートからはみ出すよ。服自体はバニー服みたいなんだから。
「さあて、冗談はさておいて……おい、スフレ」
「なんすか。もうヤルんすか!? ドキドキが止まんないっす!」
「勘違いしてない!? 違うからな、よしんば勝ってもやんねえから! そうじゃなくって……なるだけ女性に手を上げたくない」
「そんなまたフェミニストみたいなことを言ってこのイケメン童貞は。ああでも忘れてたっす。彼女はそういう、男女差別が大嫌いっす」
スフレがまた遅く情報を俺に届けた瞬間――
腹部に強烈な一痛みが走った。認知と痛みが同時に来るほどの……早い一撃。
気づけば俺は、彼女になにかしらで腹を殴られていた。殴られてようやく気づいた。
「貴様は一体、誰だ?」
カチッと音がして、彼女はバックステップで俺から距離を取る。いや、恐らく取った。
わかんねえ……本当に早い。
腹を抑え、口の中に上がってきた物全部吐き出して、俺はよろよろ立ち上がった。
「お前こそ、なんだ」