教会
「彼女はいつからこんなに時間にルーズになった?」
「お前が知らなかっただけだ」
ミリカは相も変わらず時間に五月蠅いアルベルトに、ミリカは溜息をもって答えた。
殺し屋として、時間に厳しいミリカではあるが、待ち合わせの五分前に待っておいて遅いとは何事か。
「うん? お前ひとりか?」
「ああ。ハーミットはいつもの場所。ベルは知らん」
「随分だな。お前はリーダーだろ。レヴィットが居ないとこれか?」
ミリカの物言いに、今度はアルベルトがムッとしたようだった。
ミリカは「冗談だ」と短く言い、本題に入ろうと掌を見せて話を進める。
アルベルトは自他ともに認める面倒見のいい人間だ。これ以上拗らせると面倒見が転じて面倒くさい。
「ああ、そうだ。そのレヴィットが、隣国と話をつけてきた」
「ふん、サタンスロープも大きくなったな。一国と話をつけられるとは」
「茶化すんじゃないよ。レヴィットもかなり苦労している。後ろ盾もなしに、最初は二桁いた実働隊が今では僕ら四人だけ」
「では、傀儡組織になるのか? 隣国も私たちを駒として使って捨てるつもりだぞ」
「わかっている。人員と資金はもらうが、重要拠点は基本的にサタンスロープの人員が行う。近々工作員を増員するそうだ」
「それを傀儡というんだ。それに、このタイミングでか?」
「今が最高のタイミングだよ。強権力に淘汰されかけたサタンスロープの力も肥大する」
「肥大化した力は腐敗を生む。もう少し慎重になるんだな。組織立ち上げで我々はまだ大きくなりすぎてはいけない」
「慎重だな。サタンスロープは必要だ。今の時代に」
「慎重にもなる。私もお前と同じ、生まれもっとの殺人者だ。お前がそうであったように、私は刃物を渡された時、料理ではなく殺人を教わった。帝国にはそういう人間はもう死んだか、私のようになっているかだ」
「……そうだね。だが、君らは僕の家族だ。ここは僕に預けてほしい。レヴィットを信用するんだ」
アルベルトもまた、ミリカが知っている内でもかなり酷い境遇で育ったという。
だからこそ、アルベルトは仲間を非常に大切にしている。家族のように。
「わかっている。それで、隣国は私たちにどんな条件を突き付けた。どうせ酷いものだろう」
「……王国の王子を殺せ、だ」
「……噂によると、あれはガリュネイと懇意にしているんだぞ。悪魔の武器も」
「簡単ではない。もちろん今日明日の話じゃない。だが……その日は近い。君たち全員に伝える。後悔のない日々を過ごせ。今月中に結構だ」
十分今日明日の話だったが、ミリカは決して首を横に振らない。
今まで、今までミリカはいくつもの命を奪った。今さら、ひとつの命を奪うことにためらいはない。
自分の中にある才能が人殺しなら、それに従うだけだった。
少し風が吹き、流された髪を抑えているそのわずかな間に、アルベルトは消えていた。
相も変わらず素早いやつだ、と、ミリカも刀を抜いて姿を消す。
「ふう、ふう……」
ゆっくりと、切れた息を整えて、ミリカらそれを見上げた。
帝都。そこにいくつかある中で最も小さな、小さな教会。
慎ましいたたずまい。まるで森の一部と錯覚するような穏やかな白い教会は、朝焼けの中で十字架を輝かせていた。
殺戮者にして暗殺者が近寄るには随分憚れる場所だった。しかしもう関係ない。
なにせ……
「シスターハーミット、今日もご苦労だな」
「あら、ミリカ。いらっしゃい」
ハーミットは笑みを浮かべ、席に聖書を置く手を止めた。
ここは……ハーミットの教会だった。
「こどもたちは?」
「もう起きていますよ。これから朝のお祈りの時間。あなたもどうですか?」
「暗殺者が神になにを祈る?」
「神は全てを許して下さります。悔い改めれば、我々はいつでも神の御胸に抱かれるのです」
「聖書の読み過ぎだ。大体――」
「あ、ミリカお姉ちゃんだー」
と、朝の準備をしていた子供たちがわらわらとミリカに迫った。
無邪気な笑顔を浮かべる、男女十数人。どれもこれもまだ年端もいかないどころか、ママの乳が恋しい時期だ。
しかし、彼らに親はいない。孤児だ。今となってはハーミットが親。
ハーミットと組むことがもちろん多々あるミリカは、偶にこうして教会を訪れている。
「止めろ、私にまとわりつくな」
「おねーちゃん」
ミリカはこの時間が懐かしくもあり、最悪だった。
自分を姉と呼ぶ存在。自分が姉と呼ぶ存在。その全ては……とっくの昔にサタンに魅せられた。
それに、ミリカは自分にこの子たちの頭を撫でてやる死角はない、そう思っていた。
なにせ、この手は汚れているのだから。