いったこと
リエンは悔いていた。フィーネの命令で悪魔の武器を確保することは火急の懸案であった。
しかし、フィーネの傍を離れる時間が長いこと。大臣暗殺ごとき、今なら裸一貫でも可能だということ。
それら全ての欺瞞が、結果として大臣暗殺の失敗。殺し屋の殺害すら失敗し、生きて帰してしまった。
あの暗殺者の子娘は帝国に巣食うウジ虫を殺すと言っていた。ならば、並べることは万死に値するとは言えど、フィーネも大臣と同じ帝国人。
野放しにしていれば殺されかねない。ということで、止む無くリエンは山奥へと歩を向けていた。
「姫様、お待ちください」
山を七つ越え、ようやくたどり着いた場所は、細く、背の高い木々が群生する森だった。
山を越えても森々した場所から抜け出せないとは何とも言えない。
しかし、森はおろか死体の山の上で野宿したこともあるリエンにとって、ここ数日の野宿は普通の生活と大差なかった。むしろ、森林浴になっていい。
「この辺りのはず…………出てこい。気配を消す作法を誰に教わったか知らんが、ばれているぞ」
森の端々に感じる殺気。
怨念の籠った殺気だ。気配を消すことは簡単だが、殺気はほとんど無理だ。
もし、悪意なく無邪気に人を殺すやつがいれば、それだけはリエンにも察知できない。
つまり、普通の人間ならば気配を悟ることが出来る。
至る所に居る。おおよそ……一〇近い。悪魔の武器を狙う帝国の最早居ないも同然の密偵か。他国か。山賊か。
どちらでもいい。リエンに倒せない人間はほとんどいない。悪魔でない限り。
そう。別の可能性。悪魔というのも考えなければいけなくなったのが最近の面倒なところだ。
「悪魔か。隠れていたところで無駄だぞ」
「ええ、そうでしょうね。隊長」
それらは姿を現した。
赤い血で汚れた過去の制服。
割れ、ついぞ瞳を露わにし、本来の役目を無くした仮面。
朽ち果て、ボロボロになりながらもなんとか繋がっている刀を模した剣。
間違いない。間違えるはずもない。一か月前に亡くした、リエンの部下だ。
「お前たち……生きて……」
「いません。私たちは死に、地獄を見ました」
「……シオンか」
しかし、彼女たちは首をふった。
「いいえ。しかし、地獄は予想以上に地獄でした。分かりますか? 一〇年も想像を絶する痛みが繰り返されることを」
「待て、お前たちは……そうか、地獄とこの世では時間の流れが……それで、どうやって生き返った」
「生き返った? いいえ、違います」
瞳が紅く光った。
たったの、その一瞬で、リエンは全てを理解した。
生き返ったのではない。化け物になって蘇ったのだ、と。リエンが知る限り、悪魔たちは表面上見分けがつかない。わかるのはシオンくらいだろう。それに、あの赤々と光る目には見覚えがある。前にみた化け物がそうだったから。
「悪魔ではなく、化け物か。なぜそんなことを……」
「恨みを晴らすため。私たちは使命を全うした。あなたは、なにをした?」
いつの間にか、土を鳴らす音とともにリエンは囲まれた。
地獄に堕ち、地獄を見た九人の少女が、リエンを囲うように円状に展開。そしてゆっくりと回る。
各個撃破の図。常に群となれ、個を削って群へ下げろ。リエンの教えだ。
そしてこれはリエンの首を絞める結果となった。
刀を抜き、攻撃に備える。
「私たちは、使命のために死んだ」
真正面から斬りかかられた。
切っ先を下にし、足を前に肩幅ほど広げて受け止める。
常に気を衒え。
これもまた、リエンの教えだ。
「つ……あの状況では時期尚早というものだろ」
「情報を与えるわけにはいかない。我々に生命線はない。あなたの教えだ」
また真正面から来た。普通、最初はもちろん、二度目も真正面とは気を衒い過ぎだ。
「それで? 姫様への忠義も果たせぬまま死を選んだのか」
「姫? 私たちが忠誠を誓うのは帝国だ」
今度は背後。
刀を背中に回し、峰を背に当てて何とか防いだ。
かつては帝国最強とまで噂されたリエンが良い様だ。
かつての部下は相変わらず個を捨て、群となって隊列を乱さない。
回っているせいで狙いも絞れない。どこか一角を押し切ろうと地面を置けるが、鍔迫り合いも許されない膂力で防がれる。
なにかを捨て、化け物となった彼女たちの力は想像以上に化け物だった。
「違うだろう。姫あっての帝国だ」
「あなたは……忘れてしまったのですね」
三人一気に来た。
手の甲に仕込んである篭手で一本をしのぎ、もう二本は刀で受け切る。
馬鹿みたいな力に膝を折り、地面についてしまった。
鉄球がそのまま落とされた様な力に抗い様がない。
「なにが、だ」
呻きに近い声だった。
「以前のあなたは私たちに言った」
「国のために死ね」
「民あっての国」
「私たちは影」
「国の繁栄のために、光のために動く影」
「我々は剣」
「巨悪を討つため穢れを厭わぬ剣」
「我々の死を誰も知らない」
「死に場を選ぶな、今死ね」
どれもこれも、リエンが帝国の暗部部隊育成のために吐いた言葉だった。
ここに居る九人は、想像を絶する生存競争と訓練を勝ち残ってきた暗部組織エリート。
だが、帝国の方針がガリュネイ主導になり始めたのを危惧し、まだ生きていた反体制派の大臣によって解散となり、その残りをフィーネが拾った。
その反体制派大臣もガリュネイによって殺されたせいで、本格的に暗部組織の悪用が目立ちかけ、最終的にはリエンの管轄下に置かれた。結果的には絶大な力を誇ったシオンによって瞬殺された形だが、本来なら帝国の闇を一掃するため、リエンと共にフィーネにあだなす者を暗殺するために活躍するはずだった。
「お前たち……私の言ったことを、忘れたのか」