殺し屋
「ふう、閉めるのは簡単だったな」
渦巻く深淵の向こう側に、俺たちは吸い寄せられ、気付いた時にはお外が明るくなっていてびっくり、上体だった。
長閑だ。
木々が笑い、小川のせせらぎが聞こえてきそうなほどに。
木漏れ日が心地いいよ。この間大量虐殺が行われたとは思えない。
やったのは俺だが。
「よし、おい、いるのか、ロフォカレ」
「ああ。いるよ」
赤い雲。
それが一番ふさわしい言葉だった。
赤色の雲がお日様ぽかぽかで雲一つない空から落ちてくると、一人の男が立っていた。
この時代にあっているのか知らないが、赤い装束だ。貴族の物じゃないな。ズボンにシャツ。麻素材のものに返り血浴びたような感じ。
しかもまた、オールバックでおっさんとは。どういう器だ。
「誰に入った」
「教会の神父。十字架首に下げて聖書読んでいれば悪魔を退けられると本気で信じているとはな」
「おあつらえ向きだな。お前の部下たちは」
「あんたが言った通りに配置させたさ。何をする気かは知らないが、作戦を遂行するまでは好き勝ってやらせてもらうぞ」
「ああ。そういう口約束だ。さっさと行け」
ロフォカレは踵を返すと、赤い雲になって消えていった。
悪魔の移動手段ってホント多岐にわたるな。
翼に雷に雲。それぞれ高位になればなるほど速く、派手だ。
まあ、最終的に俺は音も無く
パチン――
「移動できるんだがな」
上の世界、それも、フィーネの城に移動した。
相変わらず静かで活気も何もあった物じゃない。
さて、あのとっちゃん坊や殺しておかないとな。
俺は城を練り歩いてとっちゃん坊やを探した。
人間では悪魔を殺せないが、悪魔に対する脅威とやらを最近色んな奴がほのめかしている。
この際、俺はその脅威とやらを信じることにした。つまるところ……今一番のネックはネラだ。
悪魔を殺す方法があったとして、それを抵抗できないネラにやられると魔王が復活する。
今の俺じゃあ魔王は無理だ。
だったら、さしあたって門開こうとした坊や殺しておいて損はない。
「ったく……悪魔が人捜すのに歩き回らなきゃならんとは」
なんか、人を感知してそこに移動できたりしないものかね。
俺ってまだ地上での悪魔歴短いぞ。地獄ではもう何年もだけど。
城は広いし
パチン――
「だーめだ。見つからねぇ。ていうかここどこだよ」
だだっ広い部屋だ。
椅子がなん脚かあったから、とりあえず深々と座る。
面倒くさいな。なにかないか、呪文とかまじないとか、儀式でも良い。
どうやったら探せるか……
その時、扉が開く音がした。
パチン――
移動はしないが、姿は消す。これも地獄の王ならではの方法だよ。
扉の方を見ると、あのでっぷり太った大臣の姿があった。確か名前はガリュネイ。
今日もたらふく飯を食う気か? 止めて置けよ。それ以上食うと死ぬぞ。
それに……なんか上の方で面白いことになってんな。
少し……盗聴してみるとしよう。
俺は天井を見上げた――
†
今まさに、親愛なる姫君に命じられた役目を果たそうと、リエンは天井裏に潜んでいた。
お決まりの場所と言えばお決まりの場所だが、リエンの存在を察知できる人間など、ほぼいない。
そう……リエンすらそうたかをくくっていた。
だが、居場所たる天井裏には人が居た。
「誰だ、貴様」
「それを、答えなければいけない理由はないわ」
昏い闇と同居している。それがリエンだった。
だが、自分以外の闇の住人を信じてこなかったリエンにとって、受け入れがたいものがあった。
まさか、視認するまで存在を感知できない相手がいたとは。
黒髪ショート。それに眼鏡をかけ、ノースリーブに胸元が開いたミニスカートの少女。年のころは、丁度フィーネと同じくらいだろうか。
リエンとしては、フィーネの年どころか、フィーネの子供くらいの年の人間を手にかけたこともある以上、殺す対象の年は関係ない。
だが、少女の目に宿った暗い色を知っている。
死。
色濃く残った死の色。なぜこの歳でこんな目をしているのかとおののきさえする。
「言わない? じゃあ、言わせるしかない」
「死人に口はない」
速い――
リエンが刀を引き抜くよりも先に、少女の方が刀を引き抜いていた。
二度目の驚愕。
少女が使っているのもまた、随分珍しい武器だった。間違っても帝国では流行っていない代物だからだ。
幼子相手に後れを取った挙句、いとも簡単に自分の間合いに踏み込まれた。
それだけでリエンのプライドはズタボロだった。
だからこそ――
静かに、あまりにも静かに、そして鋭く、少女の腰回りにある衣服を斬った。
これに驚いたのは少女の方だ。
「……勇者には見えない。だけど、帝国の私兵にしては強い。お前はなんなの?」
「勇者も出なければ間違っても足元に居るうじむしの兵でもない」
「どっちでもいい」
床を蹴って加速。
にも拘らず音はせず、鋭い上段がリエンの刀を叩く。
飛ぶと同時に体を捻り、その分の力も上乗せされていた。
あまりに重い一撃――
しかも、リエンが音を鳴らすまいと姿勢を下げることすら織り込んで、完全に優位なポジションに持ち込んでいる。
戦法も思考も判断力も、なにもかもがリエンにある答えを導き出した。
「殺し屋か」
「冥府の王が手記に汝の名を刻む者なり。我は地獄の風、お前を斬る」
思わず笑ってしまった。
少女は訝しげに首をかしげるが、仕方がない。
地獄の王は知り合いだし、刀振り回す速い悪魔も知っている。
だからこそ……
「残念だがまだ地獄へは行けん。貴様のようなものを生み出したこの国を、正す」