開門
「さて、何匹か悪魔を集めてきたようだな、ロフォカレ」
地獄の門に背を向けて、俺は音も無く集まった悪魔たちに声をかけた。
それらの中心に居たのは、赤い靄に角が生えたような頼りない悪魔。
ロフォカレ。どうもかなりの古参らしいようだが、スフレは目立たないやつだと酷い言いようだった。
「ああ。一〇人ほど集めた。この程度の数で良いのか? 地獄の王よ」
「その位いりゃあ十分だ。確認するが、そいつらは憑依のやり方分かってんのか?」
見た所、猫背に紫色の体。二本の角に酷い顔の悪魔だ。人間の器は手に入れていないらしい。
それに、上の世界から堕ちてきた人間でもないらしいようだ。
「安心しろ。こいつらは古くからいるが、地獄の門を通ったことがないだけの連中だ。やり方は心得ている。その辺の、悪魔落ちした素人と一緒にしないでいい」
「そうか。それじゃあ……スフレ」
「はいさ」
俺はスフレを連れてきて、地獄の門をまじまじと見させた。
一見は扉に鎖が巻かれまくっているだけだが、違う。
よく見ると文字が刻まれている。文字と思わなければ文字だと認識できないような代物だがな。
「なんて書いてある。お前、地獄の王の傍に居たし、古い悪魔だろ」
「読めるっすよ……これ、何か良く分からないんすけど、悪魔の文字ではないんすよねぇ」
「じゃあ何だ? ミミズのお遊戯か?」
「前の地獄の王は、これを神の文字と言っていたっすけどねぇ。比喩的な?」
「天国も無けりゃ神も居ないんだろう? ほんなら、地獄にはまだすごいのがいるってこったろ。それで。どうすれば良い。お前の他に文字を読むことが出来るやつは」
しかしスフレは首をふるふると振った。
「いないっす。だって、だーれが好き好んで、地獄七魔将たちが守っていたこれに近づこうってんすか。立派なあほのご主人くらい――」
膝裏蹴り上げて、姿勢が低くなったところを延髄切り。
三半規管――あれば――ぐらぐらしてるはずなのに恍惚の笑みを浮かべている。きもちわりい。
「んで、なんだ」
「……ちょっとツバキっち呼んでくださいっすよ」
「呼んで来るようなたまじゃないし、何より地獄にケータイはねえんだよ」
「ケータイってなんすか? ていうか疲れたっすよー。早く帰りましょーよー」
「だーまれ。ツバキ呼ぶってどうするんだよ」
「天に祈ってくださいっす。ガチっす」
良く分からない。
良く分からないということは、疑わしきことで、疑わしきは罰せよというのが我らの掟。
取り敢えずスフレの腰を捻じ曲げる。
さて……ツバキ、聞きたいことがある。今すぐ地獄の門のすぐ傍に来ておくれ。
俺は祈った後、溜息を吐いた。これで来れば世話無いよ、まったく。
「なんだ。私は忙しいんだぞ。一々呼び出すな」
漆黒の翼が舞い散った。
「……ほんとに来たよ。悪かったな、スフレ」
「ちょっ、お礼なんてしないでくださいっすよ気持ち悪い」
このマゾヒストの方が気持ち悪い。
「で、なんだ、地獄の門の前に悪魔を揃えて」
「開けたいんだ。だが、そこのアホ悪魔がお前が必要だって」
「ゴミクズの言うことを真に受けるな」
「優しい言葉をありがとうっす」
「確かにそれは認めるが、付き合うも長いんでね。何か知ってるなら教えてくれ」
「知らんな。そんなおぞましいものを開けようと思ったことはない」
なるほど。
なら、ほんとにスフレを信じるしかないんだが……
ヴァレイドの言葉も気になる。なにかが俺たちをある一定の結果へと誘おうとしている、と。
この結果がいいかどうか、正直俺にはわからん。
わからんが、先手を打っておかなければ、いずれ俺は破滅する。
「……スフレ、どうすれば良い」
「せいめいのつるぎ!」
手をつきだして小遣いをせびるように、馬鹿が俺にとんでもないものを強請った。
聖冥の剣は、黙示録と並んで地獄の王の必需品だ。それを馬鹿に渡せと?
冗談じゃない、と無言で首をふり続けると、野郎、一丁前に唇尖らせやがった。
「…………無くすなよ」
「そんな遠くに持ってくもんじゃないっすよ。んじゃあ」
言うなり、スフレは自分の腕に剣を逸らせた。
見とれる程の白い肌に赤い一筋が現れる。妙に興奮を覚えるのは俺が地獄に堕ちたからだろうか。
そしてツバキに近寄ると、徐にツバキの腕を取って、ツバキの腕もまた切った。
血を流す事だけが目的だと言わんばかりに、淡々としていた。
目的を理解しているのだろうか、ツバキも特に抵抗する様子はない。
「おい。あの文字になにが書いてあった。ツバキも読めるのか」
「まあな。血が必要だって話だろ。おい、もう良いか、私は忙しい」
「お疲れさまっす。んじゃあ、ご主人、開けて下さいっす」
スフレは自分とツバキの合わせ血液を、門にぶしゃー。
元々血を被って乾いた様な色をしている門だ。赤い血液がかかったって見た目に変化はなかった。
「……ご苦労。家に戻れ」
「えー、また子守っすかー?」
うげえと言いながら、スフレは翼を広げた。
さて……じゃあ、開けるか。
「お前ら、準備良いか?」
「どちらかというとこちらが待って居た」
「そういうこというなよ。んじゃあ、開けるぞ」
鎖に手をかけると、力を入れるまでもなく、鎖が粉砕し、門が揺れ始める。
まるで、向こう側から出てこようとしているようだった。
門の向こうに何か居そうな、妙な心地だ。
ええい、ままよ。
俺はどらに掌を抑えつけ、一息に押し込んだ。
渦巻く虚空の深淵が、俺たちを覗いていた。