せいめいのつるぎ!
俺は取りあえず折れた腕をなんとかして庇い、奴の前に立つ。
奴……あの……毛の化け物。そう、熊。熊はぐるぐると凶悪そうな牙を剥きだして俺を睨み付けている。
こいつ……あの一撃でわからなかったのかよ、急に人を殴っちゃいけませんってよ!
逃げ場を探すため、視線を一瞬だけ他の場所に向け、戻す。目を離すとやられる。
こいつはかなり速い。でかい図体をして敏捷性が普通じゃなかった。
ていうか、マタギでもないのに熊の狩り方なんて知らない。
「おい、スフレ、起きろ!」
細い肩を持ち上げた。すごく軽い。見た目通り華奢な奴だな本当に。
「教えろ、あれをどうやって倒せばいい!」
「だから――」
「加速しても素手で狩れるかよ!」
「あ、そうっす。はいこれ」
と、思い出したように渡してきたのは、銀色の短剣だ。柄も刃も全部銀色。
「……なにこれ」
「聖冥の剣っす!」
「説明をしてくれ! なんで誰も説明を説明してくんないの!? ていうかお前、なんかせいめいの部分すげえ可愛い言い方してんじゃねえよ!」
なんで二人して血を流しているのにこいつなんかこう、女の子してんだよ。
いやもういい。許して。なんでも良いからいい加減許してほしい。なんの罰だこれ。
「聖冥の剣! 超越した生き物を殺せる武器っす。人に使っても上のモンスターに使ってもただの短剣っすけど、魔物や悪魔、神を殺せる武器っすよ」
「なんで早くそれくんないんだよ!」
「正直良いっすか? ガチで忘れてたっす」
「……もう良い。取り敢えず、狩りゃあいんだろ!」
折れた腕を背後に隠し、逆に右腕を前に持っていく。短剣の先を熊に向け――
しかし、熊の爪が俺の肩をもう一度掠めた。
こっちが準備する時間を与えてくれない!
横へ跳び、足で地面を削って速度を止める。受け身を取ると腕がまた死ぬから。
今度は素早く身を立て、熊と正対してきちんと構えて……も間に合わないか!
「ちっ、どれだけ早いんだ」
臍を噛み、次々に打ち込まれる熊の一撃を辛うじて避ける。
全てが紙一重。
呼吸を置いて見極め、今度はこっちからと振りかぶった。
どこを狙えばいいのかもわからないから取り敢えず腕を狙ったが……当たらない。
熊が一度腕を引き、俺が狙ったのとは逆を打ち込んできた。
頭も良いし天性の殺人者ってのはいるって聞いたことあるし。
不意に、意識が熊から消えたその瞬間、重い一撃を腹に食らった。
今度は逃れられない。腹を裂かれ、血と共に肉が吹く。
血ってこんなに出るのかよ……ふざ、けるな。
なんの決意も、なんの思考も許されないまま、熊はその腕を折れの頭上に落とす――
「ざっけるな!」
世界が止まった――
風景、熊の腕、見えるもの全てをが色を失った。
俺はゆっくりと立ち上がって、熊の腕に乗る。
刹那、時間が再び動き出し、世界が色づいた。
熊が素っ頓狂な声を上げ、ぐるぐると目玉を回して俺をようやく見つける。
「おせえよ、馬鹿が」
熊の目玉に向け、聖冥の剣を突き立てる――
「ガアァァァァァァァ――――――」
地を揺らす程の叫びをあげ、熊はのたうち回る。
俺は頭から振り落とされないように残った腕に力を籠め、もう一度、加速する。
短剣を支点にして一気に頭を駆け上がり、頭上から切り裂く。
血しぶきが吹き荒れたその瞬間に、俺の加速も終わる。
「ようやくわかった。一秒を飛ばすってこういうことか」
よろめきながら、瀕死なのか死んでいるのか分からない熊に目を向けた。
疲れた……とかそんな状況じゃない。
なりふり構わず、戦った。わけもわからず殺してしまった。
今になって手が震える。怖い。なんだこれは……これが地獄なのか?
責め苦を受けた時よりも辛い。漠然とした死ほどに恐ろしい物はない。
「やったっすね、ご主人様! それが加速っす!」
嬉しそうに拍手しながら近寄ってくるスフレを羽交い絞めにして組み伏せ、腕を足で挟んでしっかり腱を伸ばす。腕ひしぎ十字固め。
「たたたたったったたた!」
「この野郎。俺をおちょくって遊んでんのか!」
「左腕ぷらんぷらんしてるのに! あ、卑猥っすね」
「もうやだお前! なんなの? お前の頭の中はエロの湖が沸いているのか!」
「私はエロの泉を泳ぎたいっす!」
めっちゃくちゃ。体つきまったくエロくないクセに。少なくとも俺にその気はないし。
「いい加減黙れ!」
「なにするんすか!? この後私、なにされちゃ……ヤラれちゃうんすか!?」
「やるか馬鹿!」
こいつ……もういつ腕がいかれてもおかしくないってのになんで笑えるんだ?
化け物かよ、悪魔って化け物かよ。悪魔は変態なのかよ。
ちょっともう嫌だ。俺の頭がおかしくなる。
これ以上こいつの何をどうしたかわからない腕を掴むのも嫌なので、解放してやる。
なんでか本当に理解できないんだけど、寂しそうだ。
「ちっ……おい、黙示録は他になにが出来る」
「地獄の王に近づけば、指ぱっちんで悪魔を殺せるっすよ」
「……そうか。はあ、んで、この後は……汝、我が前に真名を示せ」
黙示録のページがめくれ、風が起こる。熊のイラストが描かれたページが光り輝く。
「私の名は、タウラス」
ページに情報が刻まれていく。なるほど……こう使うのか、黙示録。なら……
「タウラス。俺は地獄の王、我が血の盟約に従い、契約を交わすか」
「ああ」
白紙のページにタウラスの名が刻まれ、紫色の閃光が迸った。
光はタウラスを包み込み、やがて風と共に黙示録に収まった。
少しして、黙示録はただの本に戻り、俺の手の中に。タウラスは白紙のページにその名を刻み、消えてしまう。
残されたのは黙示録と、圧倒的な虚脱感だった。