この時を以ってして
「なんのようだ、レーザム。あの坊やを殺せるチャンスだったのに」
地獄は今日も暗いな。しかも薄気味悪いしじめじめしてる。
燃え盛る炎と血の臭いで満ち溢れていて食欲もわかん。そんなことはないか。
「ええ。しかし、あんなものはいつでも殺せる。それよりも……地獄の様子がおかしいのです。それに、ツバキもあなたを探しておられた」
「ツバキが?」
慇懃な礼を終わらせ、レーザムは咳払いをした。まるで、前置きは終わりだとばかりに。
計画なんて物騒な物を、生憎と俺は持ち合わせていない。だが、だからと言って何もしない手もない。
俺は地獄の王。悪魔を使役して問題を解決するのがお仕事。
「そうか……んで、様子がおかしいっていうのは、例のか?」
「ええ。地獄の王御自ら私にご命令された例の件でございます」
「それで」
「ヴァレイドが小屋を出て、こちら側の地獄の門の前に向かい、少しすると――」
レーザムの言葉が物理的に断たれた。
だが、俺はなにが起きたのかを理解できた。
揺れ。
それも、大地そのものがずれたんじゃないかと思う酷い揺れが俺たちを襲った。
まるで獣の咆哮のように思えた。立っているのがやっと。まあ、立ててはいても酔いそうだがな。
「……あの野郎、やっぱなんかことを起こしやがったか」
「向かいますか?」
溜息を吐き、指を弾く。
同時に歩き出すと、景色は特に変わらない。もちろんさ、地獄はどこへ行こうといつ行こうと荒野だ。
だが、そんなちっぽけで広大な地獄に酷く似合っている物があった。
地獄の門。
強固そうな鎖と幾つもの南京錠でまさに封印された代物。
地獄と上の世界を繋ぐ通路だ。
遠い昔、神が魔王を突き落とした場所が地獄。
地獄の門はその軌跡。神が悪魔を地獄から出さないようにと封印したものだ。
まあ、生憎と、その魔王はどこかに封印されているようで、地獄七魔将がその封印らしいが。
今はそんなことどうでも良い。
門の傍にいるのは……ヴァレイドだ。
「よう、ヴァレイド。小屋から出ないものだと思って居たぞ」
「私もそのつもりだったよ」
ヴァレイドはいつもの様子だった。
いつもと言って良いほど会っているよわけでもないんだがな。
ぶっちゃけ、俺がつるんでいる地獄七魔将はツバキとレーザムだけだ。
ただ、いつもと同じように、ヴァレイドは飄々として、余裕そうで、穏やかだった。
「なにをした」
「……厳密にいうとこれからするつもりだ」
「おい、この期に及んでその人を喰ったような態度はよせ。何をしているのかと聞いているんだ、答えろ」
「……封印を解こうとしていた」
俺の耳はとうとうおかしくなってしまったか?
野郎……こともあろうに……
「地獄の門を開こうっていうのか」
「まあ、結果的には」
なぜか、ヴァレイドは自分のことにもかかわらず、他人事のように話している。
関係ないとばかりに。
それだけならまだ良い。誰かがそう言ったらしい、そんな、まるで又聞きのような話し方をしている。
どうした。なにがあった。
いや、地獄の門の封印を解こうって言っているんだ。その時点で大分イカれているが。
「そもそも論を言わせてもらうよ。君は地獄の王なんだろう? そして私は地獄七魔将だ」
「だから」
「地獄の門を開け、悪魔を解き放ってはいけない理由を答えてくれ。悪魔が外へ出れば多くの人間が死に、上の世界を支配できる。それだけではなく、魂も得られる。魂の力は知っているね?」
「わかってないのはお前だ。今の俺に、解き放たれた色んなもんを使役できるだけの力はねぇ」
情けないことに、わけのわからない怪物が解き放たれて俺の言うことを聞くかどうかわからん。
今解き放たれたり、魔王が復活したり、地獄七魔将全てが反旗を翻したりすると大変困る。
故に、今開けられたらもともこもない。
「ふん、中々頭は良かったようだね」
「バカにしてくれてありがとう。さっさとそこからどけ。これ以上――」
「やると殺すかい? 君が私を。残念ながら不可能だ」
「やってみようかな」
「やってみればいい。だが無理だ。良いから君は何も考えず、聖冥の剣を渡せ」
「嫌だね」
どんな化け物でも殺せる剣だ。それはどうせ俺だって例外じゃない。
こいつにそんな武器を取られて殺されでもしたらもともこもない。
「……なあ、君はおかしいと思わないか? なんで私と君は戦う」
「お前がこんなことするからだろ。王に断りもなく」
「ああ。そうさ。私だってこうなるはずじゃあなかった。君とともに地獄の行く末を見守るつもりだったよ」
今度は、苦々しい表情だ。
今まで見た事のない。一人で苦しんでいるような、そんな顔。
なんなんだよ、こいつ。情緒不安定か。
「ならそのまま見守ってくれ。お前が味方なら心強い。本当だ」
「そういうわけにはいかない。人質を取られるとはこういうことを言うんだよ」
「人質…………あの嬢ちゃんか?」
「君が知る必要は何一つありはしないよ」
「お前がそういう態度を取るのなら、俺だってもう、戦うしかない」
「端からそう言っている。私たちは戦わなければならない。だが、君に万が一にも勝ち目はない。これが、このつまらないシナリオこそが、神の思し召しってやつだ」
「なに?」
「このシナリオを壊すがために死ぬ気は毛頭ない」
ああ、そうか、ヴァレイド。
短い付き合いだったが……今日限りでお前とはお別れだ。
俺は服の袖から聖冥の剣を取り出した。