王のお出かけ
森は今日も明るかった。
葉々の間から漏れる日の光は、地面からほど近い場所で懸命に花を咲かせる植物たちに注がれた。
昼下がりの、とても長閑で落ち着いた空気。
だが、その空気はじっとりと湿っていた。
そして彼女――リエンは思い出した。
ここは自分の間合いなのだと。
「密偵に暗殺者。ざっと六人か」
「隊長、いかがいたしますか?」
木の陰に潜むのはリエンだけではない。リエンが抱える特殊工作部隊。どこかの密偵。どこかの暗殺者。
心臓が動く限り、リエンが悟れない人間は有り得ない。
「こっちの人数は一〇。三人ずつで別れろ。各個撃破だ」
「了解しました」
配下の人間が散っていくのがわかる。
どういうことか、気配だけでわかるのは、敵が相当雑魚だということ。
気配の消し方がなっていない。それだけならまだしも、恐らく目当てのものは同じ。
ちらりと、リエンは目当てのものを見やった。
地獄の扉――
あのよくわからない地獄の王を名乗る少年シオンが、地獄とこの世を繋ぐ扉と認めた物。
以前、ここへ来ようとして結局止められてしまった。今はフィーネの命令で調査に来ていた。
さすがのフィーネも、恩義があるシオンに対して完全に袂を別ったつもりはなかった。
フィーネもリエンも結局悪魔と契約を交わしていない。だがそれに対して恩義は感じている。
だからこそ、この件はシオンに話すわけにはいかなかった。
「なんだ、お前は」
その時だ。
一体何のために調査に来ているのか全くわからないと呆れた声を出したくなるほど、彼らは間抜けだった。
突然現れた謎の気配。
それに対して一斉に動き出した密偵や調査隊、ついでに暗殺者。
まさか、全員草の陰から這い出ていくとは……呆れかえる。
「俺か? 地獄の王だ」
リエンははっとした――
何度も聞いた声、そして……何度も聞いたセリフだったから。
†
まったく……一体何事だこれは。
人が地獄の底で仲間というか配下を殺さないようにかつ魔王を復活させないように王になろうとしていたら。
どこの誰とも知れん胡散臭い雑魚に地獄の門の懐まで食い込まれちまった。
変なローブや、軽装だが顔をしっかり隠したやつや、全員薄手の鎧スーツみたいなやつ。
バラエティに富んだ刺客という名の雑魚たち。
「地獄の王……どこのだれかは知らないが、ガキの出る幕じゃない」
「はいはい。そういう扱いにも慣れたよ。とっとと失せろ。二度は言わん」
「地獄の扉の前に立つな。邪魔をするなら――」
俺は右手を軽く前に出す。掌を、まるで蠅でも払うように……軽く返した。
男の首は捻り曲がった。
まるでフクロウみたいだな。この世界に居るのか知らないが。
不思議と、一八〇度ぐるるっても案外生きてるもんだな。
漠然としたふしぎ発見はしかしいささかも面白くはない。当たり前だ。今俺は怒っている。
「二度は言わんと言った」
殺気立つ空気。
ピリリと肌を撫で、腐っても、曲がりなりにも密偵っぽい連中はようやく臨戦態勢。
遅い。
一番後ろに居た男の背後に瞬間移動して、シャツの袖から聖冥の剣をするりと出す。
男が気付くよりも、というより、俺をようやく見ようとしたよりも早く背中に風穴を開けた。
さすが聖冥の剣。人間相手だとただの短刀だ。
短刀を引き抜き様に背中を蹴り上げ、もうひとりにぶつける。
二人分の呻きにようやく気付いた残りの……ひい、ふう、みい、三人は振り向く。
俺はまず、倒れた男の頭を踏み潰した。人間以上のことが出来るな……やっぱり。
ぐずぐずに熟れたトマトみたいに頭の中のいろんなものが潰れて地面に吐き出された。
今日の晩飯は……ハヤシライスにしようか。
動きだけは素早いらしい残り三人のうちのひとりが襲い掛かった。
姿勢は低く。相手の武器の軌道を読みながら、地面を縫うように移動。
基本に忠実だが基本に殺される。
密偵なら、見つかった時点で逃げろ。
「お疲れ」
男の真横に移動し、背中に短刀を刺してそのまま地面に打ち付けた。
刺しどころが悪かったらしく、短刀に男の腸が絡みついて抜けてきた。
なんというか……糞便の臭いがする。これ、外に出しちゃダメなやつだな。
ハヤシライスにソーセージもつけて……栄養バランス悪いな。
腸をそこいらに捨て、最早動く事すらやめ、唖然とした二人のうちひとりの喉元に短刀を投擲。
見事命中。即死とはいかず、自力で外そうと手を伸ばす男よりも先に引き抜いてあげた。俺って優しい。
そのまま死体を蹴って捨てる。さて、ラストひとり。
「お前ら、正直地獄の化けもんより雑魚いぞ」
「お前……なんなんだ……」
恐怖のピークなどとうに超え、驚愕と諦観、化け物を見る瞳がそう問いかけた。
まるで、冥土への土産とばかりに。
気遣いどうも。でも、土産ならバームクーヘンとかがいいな。あるのか知らないけど。
「地獄の王だ」
手を翻し、ささっと首を捻ってやる。
どいつもこいつも、俺に自己紹介ばかりさせる。
返り血をさっと消した後、ポケットに手を突っ込んだ。
「すまんな。まだ首を捻る程度の力しかない。だがまぁ、お前たちはどうせ地獄行きだ。話はあとでしよう」