策略
もくもくと、遠くで煙が上がっている。
自分の兵士たちが、自分の国のために命を落としている。命が燻るのを、フィーネは見ていた。
帝都から遠く離れた辺境。未だ巨人の襲来が招いた傷が癒えることのない村を背にして。
小高い丘の上に立てられた簡易的なテント、おあつらえ向きな陣幕。
そして、お飾りの指揮官。
「報告します。レーハイル枢軸が前線の一部を突破。前線被害は甚大な模様。また、リエン騎士長率いる先伐隊が消息を絶ちました」
「……ご苦労様です。引き続き、前線での調査をお願いします」
フィーネは兵士に言葉をかけ、その肩に、労うように手を置いた。
できるならば前線に出て戦いたい。が……それは無理だ。
「ご安心を。姫殿下。私がこの戦、終わらせますよ」
そのゲスな手を私の肩から離せ。
そう言いたかったが、言えなかった。フィーネは、自分の肩に乗せた手をそっと払った。
見上げると、長い髪の男が居た。全身蒼と銀色の装飾が施されたローブを纏った男。
彼の名は、アイリンヒ・レッドビル。レッドビル王国の第一王子。フィーネの政略結婚相手。
吐き気しかない。こんな、儀式じみた戦争に兵士を投入してなんになる。
「……枢軸を打倒するだけでは、意味はありませんよ」
「どういう意味かな」
「彼らは恐れから戦いを起こしました。我々が、結婚による同盟国家ではなく、軍事同盟であると思い込んだことが始まり。ここで枢軸を倒しても、まだ第二、第三の枢軸が現れます」
「では、私は恐怖を抱く事すらおこがましい、そう思わせよう。圧倒する」
「戦いは戦いを生むだけですよ。それよりも、この戦勝を期に、我が国と対外的にも内外的にも同盟を組めると思ったら――」
「利口な女性だ。だが、不要なことは控えてもらおうか。あなたは、私の妃になる人だ」
話を全く聞かない。聞く耳を持たない。
アイリンヒは信じているようだった。自分はなにもかも手に入れることが出来ると本気で信じている。
妙な自信を持ってほしくはないものだ。なによりフィーネは誰の意思通りにもならないのだから。
それよりも……忽然と姿を消したリエンが気になる。
あのリエンが死ぬはずは無い。が、消えたとなると疑わざるを得ない。
一体どこに――
「寂れた場所だな。ったく、せっかく上に来たんだ、もうちょっと楽しい場所が良いものだよ」
フィーネはなぜか、胸が疼くのを感じた。
とくん、と、昂揚に似た気持ちが、胸の奥からじんわりと広がった。
†
フィーネはいつも通り悲しそうだ。
そして……これが、レッドビル王国の王子か。馬鹿の俺でも分かる。仕組み、図り、企てた、か。
政治は悪魔よりたちが悪い。この言葉は後世に伝えよう。
「おい、さっさと向こうへ行け」
「言われずとも……! 姫様、申し訳ありません。前線より離れた事をお許しください」
慇懃に礼をし、跪くリエン。あーあ、俺の時とはえらい違い。嫌われたものだ。
「シオンさん……どうしてここに?」
「お前の忠実な騎士に泣きつかれた。戦争を、終わらせればいいんだろう? トップの首を撥ねようか」
「ちょっと待ってくれ。……誰だ」
「自己紹介がまだだったな。俺の名前はシオン。あんたは」
うっさいなレッドビル王子。
お前の下らん策略のしりぬぐいのお陰で俺はここに来たんだ。忙しいのにな。
今すぐこいつの首を撥ねたいところだが、俺だって暇じゃない。
凛として佇むレッドビル王子。こいつは、なにか隠しているだろう。
嫌な空気だ。帰るためにわざわざ軽口叩いているがな。
「レッドビル、第一王子、アイリンヒだ」
「そうかい。俺はフィーネ姫がアカデミーに通っていたわずかな間の知り合いさ」
「アカデミー。あのような、貴族養成学校に劣る場所を」
「ああ。少なくともあんたより数百年知り合いだ。よろしくな。フィーネ、リエン借りるぞ。こいつの鼻は役に立つ」
リエンは最前線に居ながらボロボロになる程度に済んでいた。人間相手なら負けは無かろう。
「あの、このお礼は……」
「もうもらった」
「待ってもらおう。このままでは私の立場がない。私も前線に出る」
……人間は、ほとほと何を考えているのか分からないな。
いや、まあ、わかるっちゃわかるが。
こいつ、俺を嘗めてやがるな。
微笑んでいるのに睨み付けるような視線。汚物を見るような、侮蔑するような、そんな瞳だ。
人を人と思わない人、か。上の世界は複雑だ。
「いいよ。じゃあ行こうか。歩いて」
「他にどんな手段が? この地形で馬は使えない」
「翼はやして飛んでいく」
冗談を言ったと思われたのだろう。馬鹿にするように鼻で笑われた。
まあ、羽はやして飛べるのは、スフレとツバキだけなんだが。
じゃあ始めようか。世直しを。