学ぶもの
「ぺっ、まっず」
口の中に上がってきた血を元々血の色みたいな地面に吐き出し、俺はよっこらせ、と腰を下ろした。
膝を立て、その前で聖冥の剣を遊ばせた。
あーあ……これは……またスフレに嗤われちまうな。
「ったく、やっぱ無理か、悪魔の武器なしで地獄七魔将序列上段を倒すのは」
「冗談にすらなっていない。何だこの無様な戦いは。呆れ払ったぞ」
随分な言い方で相変わらずお冷たいツバキは、俺を睥睨しながら吐き捨てた。本人は至って綺麗ないつもの装束だよ。毎度毎度、怪我するのは俺ばっか。
まあ……女性を怪我させるよりはよっぽどましか。
「ちっ、レーザムの野郎に武器探させとくんだったよ。ああ、あの馬鹿スフレでも良い。こんな大事な時にどっか消えやがって」
「言っておくが、私は貴様を手伝わんぞ。まだ、貴様は主じゃ――」
「へいへいわかってるよ。ったく……んで? あのイケメンマジなに」
俺はようやく、折角仕立てたカシミヤのシャツをボロボロにしやがった相手を凝視した。
灰銀ロン毛。一見優しそうな表情をしているが、瞳の奥には何もかも自分の思い通りにしないと気が済まないという色が見えるクソ優男野郎。
戦い方も、俺にわざわざ踏み込ませたうえで、良く分からない力で跳ね飛ばすっていう、絶対的存在を誇示したいかのような戦い方。
この手のタイプは自分の力を過信するが、今の所打開策もない。
つまるところ、俺は腰かけてツバキとおしゃべりする以外術を持たない。
「彼の名前はアルオン。その力は、お前が今見た通りだ。何者も寄せ付けない、高圧的な守り」
「炎の側面の一つ、か。あんなもん触ろうとしたら文字通り火傷しちまう」
「おしゃべりはそろそろいいかな? 新しい地獄の王がなにをしに来たかと思えば、結局のところ、私の力を見せつけるだけに終わってしまうとは。嘆かわしいな」
このとっちゃん坊や、よゆうぶちかましちゃってまあ、面倒な。どうする?
「……なあ、シオン。お前、地獄の王なんだろ? やれるべきことがあるとは思わないか」
「俺にやれることなんざ、せいぜいフライパンで上手い飯作る事だよ。普通のあんちゃんになにができるってんだ?」
「腐るな、地獄の王。私はただ、言っている。お前は地獄の王なのだ」
俺は確かに今、なにがどうあれ地獄の王だ。
忘れていた。肝心なことを。諦めていた。諦めてはいけない真実を。
俺が見ていたものは、俺が有り得ないと突き放したもの。俺があってはいけないと決めつけたもの。
負けるわけがない。それが、俺が忘れ、諦め、突き放したうえで決めつけたもの。
「そうだった。俺は地獄の王だった」
「それがなんだと? 私に勝てるはずがない」
とっちゃん坊や――もとい、アルオンは余裕綽々のご様子。
荒れ果てた地獄の地に地獄七魔将装束は随分と味わい浅いものだな。お陰で突破口は見えた。
「なんで俺がお前を倒せないのか良く分かったよ。地獄七魔将を倒さないといけない理由もな」
「我々を倒すのに理由? 君は何かを勘違いしているようだ。ベルフェゴールを殺し、メフィストフェレスを使役し、そしてその女を従え、なにがしたい」
「俺が何かしたいんじゃない。俺を地獄の王にしたいやつがしたいってこった」
「なに?」
俺は物理的に重い腰を上げて、アルオンの前に屹立と立った。あのおっさん、なにを教えたいかと思えばこんな回りくどいことしやがって。
消えてこんな面倒な教え方をするくらいなら消えずに手間暇かけろってんだ。
「ツバキが俺に教えたのは、否定。俺は否定しなければいけない。負けを。ベルフェゴール、あいつが教えたのは、諦めない心。あいつはどんな状況もくそくらえで俺にとびかかってきた。メフィストフェレス、あいつは狡猾さを。そしてお前は、自信だ。お前たち地獄七魔将は、地獄の王になるために備えなければいけない能力」
くそが。四人目でようやく気付いたのか? 俺はあほか。あのおっさんにまだ何か教わろうとは。
「はあ……情けねえな、おい」
「ふん、いまさら何を――」
余裕に満ちた表情が消え去り、この時初めて、アルオンは目を見開いた。
途端の姿を消した俺を捉えた瞳は、まさ鳩が豆鉄砲をなんとやらだ。
「く――」
腕が突き出される。が、もう遅い。すでに俺は、地獄の王が持つ高速移動で奴の懐に入り込んでいる。
高速移動? 違うな。これは俺が未熟なせいで未完成の移動方法だ。
「遅い、遅いなぁ、アリオン。お前の特殊シールドは、腕、というか、掌から先だ。つまり、その中に入っちまえばどうってことないんだよ」
懐に入り、聖冥の剣を突き出した。が――殺らない。
にやつきながら、俺はアリオンの前から数歩退いて立った。
「……なんの真似だ?」
「自信があれば、やれるって思えば、大方のことは出来る。現に俺の加速のレベルは格段に上がった。だぁからこそ、お前に問うてやる。俺に真名を明かし、忠誠を誓え」
じゃらり、と黙示録を取り出し、俺は一応問うた。
どうでもいいが、この手の奴は――
「調子に……乗るな!」
傲慢だ。
アリオンの能力はただただ絶対的に拒絶する力。
だからこそ最強の盾として使え、最強の矛としても使える。範囲は手から先。形状は円形。光すら拒絶するせいで真っ黒の盾だ。
アリオンはそれを俺の方へ投げる。
何よりも堅い円盤だ。当たれば首は即座に吹っ飛ぶだろうよ。
「交渉は決裂か」
「もとより、お前など敵では――」
「そう。お前なんか、俺の足元にも及ばない」
背中に入り込む。
瞬間移動は最早人が見えるレベルに到達していない。なにより、見るも何も、そいつはもう死んでいるさ。
聖冥の剣をアリオンの背中に突き刺した。
巨大な静電気が弾けるような音とともに、アリオンの呻きが聞こえる
「ふははは……私を殺しても、始まらんぞ。寧ろお前は、自分で首を絞めている」
「なに?」
「さっき言ったな。俺たちを通して、教わると。だから教えてやる。お前が見ているのは、お前が見たかったものだ!」
「……ありがとよ」
少しだけナイフを上に突き上げ、絶命に至らせた。もう、終わりだ。こいつは最初から最後までムカつく。
「ああ、同族嫌悪ってやつか」
「あっさりと、倒して見せたな。だが、次々とこうはいかんぞ」
「わかってるさ、ツバキ。そのためにも、悪魔の武器を探さないとな」
「……お前のことだ。武器を探すわけはそれだけではあるまい」
「なんのことやら」
首を傾げ、俺は衣服に触れた。
すると、一瞬で紺のブイネックシャツが新品に戻った。自信ひとつでこうも変わるとは。
「お前は着実に力を強めている。だからこそ、負の側面に落ちるな。地獄は、お前を殺す」
「……なら、さっさと帰るさ。それよりあの馬鹿はどこだ」
「……居場所の見当がつくなら、送ろう」
漆黒の翼を広げるツバキに、俺は苦笑した。