黙示録
「……スフレ、ちょっと来い」
「はいっす?」
俺はのこのこ近づいてきたスフレの腕を掴んで、内側に捻り上げて腕を極める。
「いたたたたったたたたたったたたったったいっす!」
痛みで涙を流すスフレの腕を離し、俺はため息を吐いた。
「人の腕極めといてため息ってなんなんすか!?」
「思い出したら腹が立った。この黙示録、随分使い勝手が悪いよな」
「だからって私の腕を極めます!? 普通極めないっすよ地味な!」
「お前にとってご褒美じゃないのか?」
「ご褒美っす」
「じゃねえかよ」
俺は変態から視線を黙示録に移した。
地獄の王の象徴、黙示録。地獄に堕ちた者の名前さえわかればすべての情報を閲覧できるとんでもな本。しかも、次のページには名前が分かり、尚且つ契約を交わしたものを使役できる力もある。
「この使役だが、名前を知るために相手をボコさないといけないっていうのが面倒だ」
「普通名前言わないっすよ。地獄の王の命令に逆らえなくなるっす。だからみんなぼっこぼこにされて意識が本に乗っ取られたとき、はじめて話すんっす」
「それを初めて聞いたときは驚きだったよ」
もうちょっと楽なのかと思ったら結局鉄拳制裁が必要じゃないか。
悪魔は怠惰な生き物っていう印象だったが、案外他でやっていることはマメなようだ。
「スフレのページには、死亡原因が書いてないが?」
「やだなぁ、私は生まれた時から悪魔っす。死んで地獄堕ちとはわけが違うっすよ」
今の言葉の中に誇れる要素がどこにある。
スフレは根っからの悪魔。悪魔と言うか、地獄由来の存在。
大した今殺したガーゴイラなんか、勇者に殺されて墜ちてきたと言う。しかもかわいそうに、急所を一撃だそうだ。一ターン目で即死。
「なあ、上の世界って、勇者とか普通に居るのか?」
「みたいっすね。なんなら行ってみるっすか? 私が連れていくっすよ」
それもいいな、と少し考えて、俺は首を横に振った。
「ここを平定しないと王になれないんだろ? ったく、面倒だよな」
地獄を平定するには、さっきのように魔物を狩る他ない。一匹ずつ使役していく。
そうすることで最終的には平定、地獄を治め、名実ともに地獄の王となる。
「今も王、だがな」
「あはは、その自信っすよ! どうしますか? 地獄の綺麗どころ集めてハーレムパーティーでもします? 酒池肉林の大乱交っす!」
とうとう頭の中の卑猥さが声から漏れでるようになったスフレ。
本当に頭の中エロいな……思春期の男子でももうちょい自重するぞ。まあ、男子高校生が揃ったら猥談に歯止めはきかなくなるんだけど。
「するかあほ! 手前はもう少し黙れ」
「はいっす。んで? なにします?」
問われ、もう一度黙示録を見た。
ここに名前を書かれた者は契約を交わす。契約を結んだ者は俺の支配下に置かれる。
システム的には簡単だが、過程が面倒だ。
地獄にはスフレのような悪魔と呼ばれる生き物のほかに魔物が居る。
魔物は主に、上で屠られたモンスターだ。あれが死後、魔物となって地獄に堕ちる。
だから、勇者様でもなく、ほとんど人間の俺はかなり苦労した。
名前を言え、言うか、戦う、勝つ、そして契約。過程が多い。
「つっても、地獄って広いんだろ? あのくそおやじがどっかいってどのくらい経った」
「ざっと二週間ってとこっすかね。いやぁ、二週間でここまでお強く。うっとりっすよ」
「バカ言え、俺の力じゃない」
最初はかなりびくついていたっけな――
「また回想っすか? 芸がないっすね」
†
「どうしろってんだ!」
地獄の王は消え――いや、違う。今は俺が地獄の王か。いやどうでもいい。
問題は、これからどうするのかだ。
渡されたのは黙示録。地獄の王の肩書。あとは変態の下僕。
「最悪じゃないか! せめて幸運くらいくれよ!」
「地獄に耕す畑はないっすよ」
「耕耘じゃねえよ! なんでお前のギャグはおやじ臭いんだ。んなこたどうでもいい、どうすりゃいい!」
「やりたいようにやるのが地獄っすよ。ご主人様の世界のことは忘れるっす」
「はあ!?」
俺が寝かされていた台に腰かけて、足をプランプランさせるスフレ。
こいつ絶対俺のことをご主人様って思ってないな。地獄の忠誠心はこの程度か。
「ご主人様、生き返りたいんっすよね?」
「ああ。このまま死んでいられるか! 残された妹はどうなる。俺まで失うんだぞ! あと俺は死んでねぇ!」
「落ち着くっす。取り敢えず、黙示録にかかれていることは事実なんす。いや、事実とされていること。神が書いたとされる真実っす。だから、誤りがあるのかもしれないっす」
「……じゃあなにか、俺は間違いで地獄に、それも異世界の地獄に落とされたってのか」
「可能性がないことはないっす。んでも~、今の御主人様ひょろいし~」
このくそ女……! 人が下手に出ればつけあがりやがって。
こっちは必死でこの世界に順応しようとしているのに……。噂の異世界楽しむならまだしも地獄に堕ちて責め苦を受けるって、俺の人生なに――
人生……そうだ……俺は、こんなところで……こんなところでこんな風に死ねるかよ。
「教えてくれ、スフレ。どうすれば地獄の王になれる」
ピンク髪の下級悪魔、スフレは待ってましたとばかりに微笑み、台からひょいっと降りた。
足を交差させ、両手を広げて漆黒の空を仰いだ。
「その黙示録に、ご主人様に反抗する悪魔、魔物、すべての名を刻み、地獄を平定する。そうすればあなたは真の地獄の王となり、死と再生を司る権利を得る」
「……俺が生き返らせることができるのか、俺を」
「地獄は神から最も離れ、最も近い存在っす。地獄の王はすなわち世界の神に匹敵する」
スフレはくるりと身を翻すと、適当な場所に視線を投じた。どこを見ても、地獄は暗い。
どこを見たって、なにもない。地獄とは地獄なのだ。罪人が罰せられ、永劫神に近づく権利を失う場所。
「さあ、いくっすよ、地獄の王様。世界はまだ、広いっす」