政略結婚
「フィーネ姫殿下、レッドビル王国の大使がお見えです」
地獄の王を名乗る少年、シオンと会って一日が経過していた。一日でどうにでもなるとは思って居なかったフィーネだが、実際に世界は一日で回っている。
人の国の村を焼き払っておいてひと月もしないうちに大使を使わせるとは本当にいい度胸をしていると思う。
フィーネは玉座の傍に置かれた席で小さくため息を吐いた。
あくまで今は皇帝代行、言葉に無い嫌がらせじみた席は座り心地が悪い。
「それでは客間にお通しください。ここはお父様の部屋、あくまでトップレベルではないことを見せなければ」
ここで王座に通そうものなら下手に出ていると思われてしまう。それはなんとかしなければいけない。
そもそも、この場においてそこまで考えが回っている人間が居るのか怪しくて仕方ない。
「大臣をお呼びいたしますか?」
「必要あると思いですか?」
「いえ、失礼します」
有無を言わせぬ圧力を感じてか、兵士はそれ以上何も言わずにその場を後にした。
落ち着かなければ、とため息を吐いて少し瞳を閉じた。ストレスが溜まってきている。
大臣の名前を聞くだけで吐き気がする。この国を守って行こうと決めた矢先にもう敵国がこの城の門を悠々と通り抜けているのだから。
背後にリエンが居るのだろうと信頼を置いて、玉座の間を後にする。リエンはフィーネですらその気配を感じ取れない。
十分な腕を持つ従者を持っているのだから、フィーネは凛として居られる。
客間に向かうと、既に王国の大使はソファに座っていた。
フィーネの姿を認めた大使はすぐさま立ち上がった。初老の男性だ。
「これは姫殿下、ご機嫌麗しゅうことと存じ上げます。王国大使、ガリュネイです」
本当にご機嫌麗しゅうように見えているのなら医者に診てもらうことをおすすめしたい。
フィーネはそれでも務めて笑顔で応えた。
「ガリュネイ様、遠路はるばるよくお越しくださいました。さて……現在戦争状態にある我々帝国、そして貴国ですが……なに用で参られましたか」
「……どうでしょう、我々王国と同盟関係を結ばれては」
ほう、と、フィーネは心の中でガリュネイの心中をなぞることにした。
ガリュネイの笑顔は外交のそれではなく、あくまで余裕であることを示唆している。笑顔でいられる余裕があるのだ。
つまり、完全に帝国を下に見ている。自分は安全であると。帝国も自分を王国との交渉に上手く使いたがるだろう、と。
先の挑発じみた挨拶もそれに顔色を変えるか、はたまたその挑発に気づくことが出来るかどうかの踏み絵。
そう、あろうことかガリュネイはフィーネを試していた。
あまりにも分不相応なこの態度にフィーネはシャッターを閉じた。これで、フィーネにとってガリュネイは見定める程の人間ではなく、そこいらの石ころと同じだ。
「同盟、でございますか? ふふ、申し訳ありませんが、私としての寝耳に水のお話」
「そうでしょうな。これは内々にトップレベルで決まったお話です」
「私の頭を飛び越えて、という解釈でよろしいでしょうか?」
「ええ。ランゼル大臣と交渉はさせていただいておりました」
ランゼル――!
この帝国を直接陥れた大臣の名前を聞き、フィーネは微かに眉をひそめた。
よもや戦争を起こして自国の将軍もろとも殺しただけでは飽き足らず、敵国と同盟関係を結ぶ? なにを考えている……
もう、フィーネにとってガリュネイなど眼中にない。ランゼルを読み解くことを優先していた。
この期に及んで同盟を結ぶメリットとは一体何か。どうせこの帝国の敗戦は決まって居るから王国で優位な地位が欲しいから? いや、そんなはずはない。帝国を潰すつもりならこの機に乗じて反乱を起こせばいい。
ならば、帝国を残した形で自らが利権を得るため……。なるほど。
「ええ、聞いております。私がそちらの王子と婚姻を結ぶ、というお話ですよね」
知って居るはずがない。これは読み解いた末の答えだ。
「その通りです。お話しした通り、婚姻の期日が迫ってまいりましたので、こうしてはせ参じた次第です」
「それはご苦労様でした。しかし……我々としても国が疲弊している今、国民にどう説明したら良いと?」
「戦争は終わった。両国が手を取り合う未来が到来した、それでよいのでは?」
「民間人が多く住まう村を焼き払われて、ふふ、失礼ながら、帝国の民はすでに堪忍袋そのものを焼き払っております。お分かりですか? 民の悲しみが」
「戦争とはそういうものです。たとえ国民の納得が得られない所であれ、トップが解決すれば終わる」
「そう行かないのが帝国です。今は政権も忙しい時期です、ここはお互いの意見をすり合わせるためにも、停戦という位置に落ち着くのが適当では?」
「善は急げと言いますでしょう。ここは後期的に見ても、国が平和になることを選ぶべきです」
「急がば回れとも言います。ここは多少足踏みをしてでも、将来を見据えて落ち着くことが大切でしょう」
「……姫殿下、こんなことを言いたくはありませんが……ランゼル大臣はすでに決定しておられるのです」
「執政権を持つのは私です。皇帝代行も私。大臣が一体何の関係があると?」
「……あなたもご用心した方がいい。これは交渉と何の関係もない。善意で申し上げているのです」
「ええ、承知していますよ」
このまま首を切り落として見せしめにしても良いと思っていたが、まだこの大使は人間性を持っていた。まったく、悪魔より人間の方が余程性質が悪い。
忌むべき敵は身内に居るのだから。
「大使がお帰りです」
「姫殿下、まだお話は……」
「すみました」
こちらもまた有無を言わせない返事で、王国大使を早々に引き取らせた。
最悪戦争になったところで問題はない。もう籠城の準備は整っている。懸念事項と言えば、この際になろうと大臣が動かないことだ。
客間から出たフィーネはいつも通り侍女たちを散らし、ひとりで寝所へ戻ることに。
「姫様」
突如従者リエンが屋根裏から降り立ち、まるで庇うようにフィーネの前に立ちふさがった。
「えへへ、お姫様、久しぶりっすねぇ」
あの悪魔だった。確か名前は……
「スフレ様……まだ、一日ぶりですが?」
サキュバス、スフレだった。