上の世界partに!
「リエン。首尾はどうですか?」
歩みを止めたフィーネは、体の前で手を組んだ後、ゆっくり上を見た。
どうせ、またあれは上に居るはずだ、と。フィーネが唯一信頼し、軽くあしらう人物。
「上々。悪い情報と悪い情報があります」
「後の方」
「東部戦線を壊滅させたのはたったひとり。悪魔の武器を持っていたようです」
「では、やはり悪魔の武器と呼ばれる何らかの兵器が存在するのですね?」
フィーネはようやく微笑んだ。悪魔の武器。まことしやかに帝国の寓話として語られた、人外の力。
おおよそ一騎当千の働きを見せると言われてきた兵器。
フィーネとて籠城が一時しのぎだということはわかっている。戦争に勝ち、この素晴らしい国を救うには悪魔の武器が必要だった。だから探していたのだ。
最も信頼のおける従者を使い、帝国の誰にも悟られることのないまま。
「それで? もう一つは」
「地獄は存在します」
「……リエン、あなたは冗談を言うタイプではないはずよ。それに、おもしろくない」
「ジョークは心得ているつもりですが」
「冗談に対して真面目に返さないでください。それで?」
フィーネの顔に疲れが見える。まさか、ここで意味不明な言葉を聞くとは思わなかった。
「悪魔は何百年も前の伝説です。あまりの勢力から強力に転じ、悪魔の武器と呼ばれる究極兵器の代名詞になっただけのはず」
そう、この世界に悪魔なんていないし、まして地獄は存在しない。
死した人間は偏に祈りの重さによって天国へ行くか無になるだけである。
そして、リエンは信頼のおける従者。彼女が冗談を言うわけはないから余計に困る。
あるはずのないものの存在があると証明された時ほど面倒なことはない。
「地獄があるとして、一体どこで知ったのですか?」
「世界中探しましたが、悪魔の伝説があるのはこの国だけです」
「つまり?」
「根強く伝承が残るのは、最後の最後までここに悪魔が居たから。ですので探したところ……見つけました。この国で、地獄の扉を」
「地獄の扉? また大層なものが出てきましたね。肝心の兵器はどうなのです?」
天井に投げかけると、少しだけ間を置いて、リエンが天井から降り立った。
そこそこの高さだというのに音が全くしない。さすがは諜報渇望のプロだろう。
銀色の逆三角形の仮面。全身黒装束で、スタイルを如実に表す襟の付いた服を着ている。服と同じように長く黒い髪の先をリボンで軽く結っていた。
顔は決して見せていないが、美しいのだろうということは女のフィーネから見て明らかだった。
「残念ながら、現存するものは全て敵の手に渡っています。それも、幾つもの国に。新しいものが欲しければ、それこそ地獄に行くしかないかと」
「地獄、地獄と、ありもしないものを並べてどうするというのですか。……まあ、いいでしょう。その扉はどこにあるのですか? 籠城が始まります。早く行かなければ」
「私がひとりで向かいましょう。姫様はここに残り――」
背が少し足りないので、腕を伸ばし、人差し指で唇を塞いだ。
そんなことをする必要はない。そう伝えたかったのだが、なにを思ったのかこの従者、頬を赤らめてフィーネを抱き寄せようとする。
「めっ。そういうことをしてはいけません」
「……すみません、姫様。しかし、姫様を危険な目に遭わせることはできません」
「私はこの国の姫です。もし私に何かあっても、妹が次を継ぎます。代わりは居る」
「私にとってはおひとりです」
普段無口な癖にこういう時は饒舌になる。本当にかわいい従者だ。背も年も上だが。
「そうですね。ですが……地獄の扉を開けなければ、武器は手に入らない。ともすれば大臣が私を狙っています」
大臣。帝国の貴族、封建制を逆手にとって権力の限りを掌握し、好きなように振る舞う強欲な諸悪の根源。
皇帝が病に伏せたのをいいことに、あらゆる方面に手を伸ばし、あっという間に権力を掌握した。
今回、宰相と参謀が死んだのも、最後まで皇帝派であったふたりを疎ましく思った大臣の考えだった。実に姑息だが、根本的手段でもあり、スマートだ。
わかりやすい悪というものは、だからこそ反抗を生まない。忠実に力を行使するから。
「大臣が悪魔の武器を手に入れる前に私がたった一つでも手に入れます」
「……分かりました、では、地獄の扉へ向かいましょうか」
従者リエンはようやく首を縦に振った。
フィーネは実に頑なだ。それは素直さの跳ね返りなのだが、リエンはだからこそよく知った彼女の態度に何の抵抗も示すことはなくなっていた。
最初の反抗も無理とはわかっても形だけ一応止めて置こうという考えに過ぎない。
そもそも、巧妙な話術で相手を自分の術中にはめるタイプのフィーネに、直線的で命令に忠実なリエンでは分が悪いのだ。
リエンがいつも使う秘密の通路を通り、ふたりは外へ出た。帝国の外は相変わらず寒く、フィーネはロングコートの上からダウンを着ている。
雪が確実に落ちるように随分鋭角な屋根を持つレンガ造りの家。見た目以上に気密性が高く、木枠の窓は二重構造。長年の知恵袋だ。
表に食べ物は置かないので、露店は存在しないし、人の声も外に出ないので活気がない。
随分寒い町並みだった。ただ、それ以上に人々の心は温かかったはずだ。
それなのに……いつの間にか、人々の心から温かさは減った。
「重い重税。社会福祉は消え去り、女性は安心して街を歩けない。いつの間に、こんな世界になってしまったのでしょうか」
「姫様は悪くありません。急ぎましょう。外は冷えます」
自分は随分薄着にもかかわらず、上着を脱ごうとする従者の好意を跳ねのけ、フィーネは歩き出した。
早く国を変えなければいけない。このままではこの国から笑顔が消え……そうだ、地獄になりかねない。ないと信じた地獄は案外……近い場所にあったのかもしれない。
「ええ。地獄の扉を開けましょう」