哲学
「はっはっは!」
「あ、全部回復したっすよ。生かしてもらってできた時間を有効活用っす」
「何度やっても同じだ。私の時間についてこれない」
「ああ、ズルいよな、ツバキ。お前の力、地獄の王が渡したもんだろ」
ぴくり、とツバキは眉を顰め、すぐさま戻す。
やっぱりな。地獄七魔将は、地獄を統治する代償に力を得るのか。
「お前はいつも大事そうに神速を使うよな。最初は自分が死にかける程強力な速度強化かと思ったが、違う。お前は地獄の王のためなら死ねる。命の交換が等価じゃないんだ。なら、なにを恐れているのか、それは力が使えないこと」
「講釈を垂れるのは勝手だが、貴様、勝てるのか?」
「ジークムントフロイトはかくかたりき、人の動機はおおよそリビドーに根差す」
「……は?」
「スフレ、俺の飯を食ったらどうなる」
「まあまあ発情するっす」
「そろそろ、頃合いだな」
未だに何のことかわかっていないツバキは首を傾げるが、無駄だ。
「つ……なんだ、この感覚は」
「発情だとよ。ふん、やはりお前もかかるか。それに、人の何万倍もの時間を生きるんだ、そりゃあ早くかかるよな」
顔が赤くなるツバキ。料理が得意で良かった。
なぜかは知らないけれど、俺の料理を食べると、悪魔は途端に発情する。俺以外。
神速の中を生きるんだ、勝負は一秒を幾つも別けた時間で決着する。
だからツバキを倒すには集中を分散させるしかない。
「今お前は、なにがしたい? 言ってみろよ」
「ふざ、っけるな! これは私の考えでは!」
加速して一度ツバキの前から消え、真正面で姿を現す。
たった一瞬でも間があれば神速を許してしまうが、今はそれも込みだ。
動揺しまくった人間は次の瞬間取り敢えずの行動しかとれない。
「教えてやるよ、チートってのが、どういうもんかをな!」
聖冥の剣を取り出し、膝の裏に向けて剣を突き出す。
剣で受けるか避けるかを迷った挙句に消えたツバキ。
そうだな、次の瞬間、彼女がとる行動は二つ。距離を取るか決めにかかるか。
ツバキは自分に自信がない。自分を鍛え、強く振る舞うの虚飾性ば弱さの裏返し。
ということは距離を取るだろう。
俺はもう一度加速を使って、今まで戦ってきたツバキの逃げる癖、つまり正面に跳ぶ。
「んな……!」
読み通り――
ツバキは俺の前に姿を現し、手をついた瞬間に表情を変えた。
刀を抜かなければ神速は発動しない。だが基本ツバキは自分でそのタイミングを選んでいるからこちらは把握できない。
だが、相手がどう動くかあらかじめ計算し、行動を操作すればそれは変わって来る。
「ふはははは! 刀はもらうぞツバキ!」
「うわぁ、女の子に嫌われる笑顔してるっすね」
スフレに何と言われようと知ったこっちゃない。
鞘ごと刀を掴んで抜かせず、やけに低い構えを利用して横へ倒した。
さすがにすぐ転げるようなツバキではない。
受け身を取って逃れようとしてきた。
大方想像通り――
腕を首にかけ、膝を軽く足の平で打って今度こそこかす。
「かっは――」
「チェックメイト、かな」
首元に聖冥の剣をつきつけ、俺は首を傾けた。
ツバキは口を引き結んで悔し気な表情を作った後、ふいっと首を横に向ける。
「おっけ。技術がチートを凌駕したな」
「いや、違うっす。その目、その力……黙示録の力を無理やり奪った?」
知らない。いつものスフレを知らないが、いつもと違って、真剣に悩むように腕を組んでなにかぼそぼそと喋っている。
俺はスフレの言う、黙示録を取り出してみた。これから力を得ている、いや、奪っている自覚はない。
自覚はないが……いいよもう、そんなこと。チートに勝てりゃそれで良い。
「前々から気にくわなかった。努力しないで手に入れた力は大体弱い」
ツバキから離れ、俺は黙示録と聖冥の剣を腰に納めた。
とりま勝った、やったー。
相当疲れたし、消耗も普通じゃない。地獄七魔将っていうのは倒すのに苦労しかない。
「なにをいうか、私は手に入れてから努力を怠っていない。それなのに……なぜ貴様に?」
「気にしなくていいっすよ。この人きもいので」
「おい。ったく、なんでまた地獄の王はシンプルに扱いきれない力を渡したんだろうな」
ツバキ自身は相当強い、何年、何百年も修練を積むことで手に入れた独自の力を持っている。師に頼らず、いや、戦いそのものを師とすることで完全戦闘特化のスタイルを手に入れた。
だからあんな前傾姿勢で刀を腕に隠した変則居合が完成したんだ。
逆を言えば、それが無ければ自爆して死ぬぞ。
おっさんは、なにがしたかった?
「ふん、まだ私が、地獄の王の御心に添えていないだけだ」
「ああそうかい。あと、今の地獄の王は俺だ」
ツバキはまた不満そうに顔を背けるが――
「まあ、ほんの一部だけ、ほんの少しだけは……認めてやってもいい、とは思う」
なんて、顔を赤らめながら言ってきた。可愛いなもう。
無意識に頭を撫でる。
「んな……この痴れ者が!」
「能力使うな馬鹿!」
見えないんだから、本気出さないと避けられない一撃が腕の先を掠めた。
さっさと治癒してなかったことにして、溜息を吐く。
倒し方はわかった。さて……地獄七魔将を倒しに行くとするか。
†
「おい、シオンはどこに行ったんだ?」
私は木造の廃れた家に入るなり、ふんぞり返って座る下級悪魔に問うた。
出来や腐食具合はともかく、私はこのこじんまりとした家が好きだ。落ち着いた場所、そして温かく住める場所、地獄の王は、毎回誇らしげに言っていた。
彼のイメージする地獄は、全体が彼の家というところなのだろうか。
彼はとにかく、家族愛を大切にしていた。地獄で愛と優しさを説くのは皮肉だったが、私の心を打つには十分だ。
だから……こうやって主の帰りをふんぞり返って待つ悪魔を見ると腹が立つ。
「スフレ、貴様一体なんのつもりだ?」
「なんのつもり?」
「貴様の翼、そして貴様の態度、なにもかもが、貴様のおかしさを現している」
「おかしいってなんすか。わたしゃ普通っすよ。普通の悪魔っす」
悪魔的に不敵な笑みを浮かべ、尚もシラを切るスフレに、私は苛立ちを覚えた。
このていど、普段なら流すことろだが、納得いかないことが、どうしても納得いかないことがある。
翼。あれは、悪魔が持っているものではない。悪魔が持っていいものではない。
だが、私は敢えて口を噤み、それ以上何も言わずに椅子に腰かけた。
「彼はどこに行ったんだ?」
「食材探しっすよ。料理が好きな人なんす。それ以外はパンピーっすけど」
「……なぜ地獄の王は彼を?」
「知らないっす」
「貴様は地獄の王の傍に居た筈だぞ、長い間な。地獄の王が彼を選ぶ理由を知っていて然りではないか」
「そんなんあんたの理論や。うちには関係ありまへん」
明確な殺意が生まれたが、止めた。こいつにかかずらうことがそもそもの負けだ。
「……あいつは地獄の王になりえるか」
「はいっす」
そこだけ、スフレはしっかりと肯定した。今までのふざけた態度を払拭するような、まじめで綺麗な瞳。
悪魔だからか、瞳には説得力があるように思える。人を騙す時の説得力。
「帰りを待つとするか、大人しく。あいつの料理は美味い」
「発情したときのいいわけ探しっすか?」
「な、痴れ者が!」
「ただいまー」
またこの馬鹿は意味不明なことをのたまって! 彼が帰ってきたじゃないか。
私は玄関先の彼を見た。
あらゆる苦難をひっくり返す知略と読みを持ち、自らも洗練された強さを持つ地獄の王に成り代わった少年。
私は彼を認めてはいない。だが……
「おかえり、シオン」
せめて帰りは祝ってやろう。地獄の孤独は、私もよく知っている。