忠誠の枯れ木
「私の正体を、貴様はどこまで知っている?」
唐突な質問で、俺は答えに窮した。そもそも、彼女の名前すら知らないのに。
でも、素直に答えるのも憚られた。彼女の顔は至って真剣だ。答え方によってはまたあの神速を喰らいかねない。
まぐれで避け、こうして今は話し合いになっているから良いものの、ぶっちゃけ今の俺では彼女の神速を完全に超えられない。次は負ける。
地獄の王とは、何とも名ばかりだな。だから考えろ……
さっきまでは優しさを見せるそぶりがあった。だが今はどうだ、必要とあらば斬ると言わんばかりの剣幕だ。これが表しているのは、優しさ故に殺さなければいけないってわけで。
本心と本来は心優しく虫も殺せない。難しいな、読み難い。
「別に。あんたの名前すら聞いてないってことだけだな」
「……ツバキ、そう呼ばれている」
「地獄の王にか?」
問うと、ツバキはこくん、と頷いた。ここで嘘を吐いて得はない。
だが、呼ばれている、レベルの話だと、ツバキは真名じゃないな。まだ俺を警戒しているか。
「じゃあ、ツバキ。あんたはここで何がしたい」
「……さあ、わからない。私は地獄の王だけを頼りに生きてきた。それが急に消えては……どうしろというのだ」
「……聞かせてくれ、あんたの過去を」
話すとは思えなかった。ツバキにあるのは、俺に到底理解できない悲しみだから。
いや、大切な人が居なくなる悲しみなら、俺にもわかるか。
†
「ここは……どこなの?」
私は一人怯えていた。明るく、暖かな世界から突き落とされ、次の瞬間には、漆黒の雲海に落ちていた。雲の海は上だけに存在すると思っていた私はそれだけでも不安だった。
どこを見ても黒、黒、黒。刻々として過ぎ去る黒の時間は、私にとって悪夢だった。
悪い夢ならば早く醒めてくれ、そう願ったものだ。
でも、すぐに願いは無駄であり、むなしい物であると悟ることになった。
「おいおい、こんなところに女が居るぞ」
「へへ、しかも随分べっぴんじゃねえか、地獄に堕ちてくる女にしちゃあ綺麗だな」
「あなたたちは一体、なんなの?」
私の周りには、随分粗暴な男たちが現れた。纏っている服も時代背景が見えない、しかも薄汚れた衣服。目は血走っていて、口はいやらしく開かれている。
私は瞬間的に恐怖を覚えた。走って逃げようとしたけれど、あえなく男たちに捕まった。
顎を地面に打ち付けられる形で、私は組み倒された。
男たちのごつごつとした腕が私の腕を掴み、捻りあげる。抵抗むなしく、私は何も出来なかった。
「止めて!」
私が叫ぶと、男たちは興奮した様子で私の後ろ首を締めあげ、膝を抑えた。
なにも出来なくなると、私の髪に男の顔が近づいた。
「へへ、いい匂いだ。おい、もうやっちまおうぜ」
「焦んなって、久々の上物だ、全員で回すに決まってんだろ」
「楽しみだな、どんな風に壊れるのか」
私は涙を流して、体を必死に震わせた。
私が着ていた白い服は焼けただれ、肌が露わになる。それが男たちを余計に興奮させているようだった。
今思えば、この時の私はけがれた物に対しての耐性が随分低かった。
なすすべなく身ぐるみはがされ、気付けば下着姿。
男たちの楽しみを満たし、興奮を煽るには十分すぎた。
「よし、まずは……は、このままやるか、折角綺麗な顔なんだ。腕切り取ったりするのはあとにしようぜ」
自分の大切なものの喪失に私は酷く狼狽して、人体切断という単語に恐怖した。
兎に角何でもいいから、この場から助かりたかった。助け出してほしかった。
「お願い! なんでもするから許して!」
「今からなんでもするんだから安心しな。大丈夫、地獄で死にゃあしねえよ」
地獄。そうだ、私は地獄に堕ちた、堕とされた。抗ったばかりに、異議を唱えたばかりに。
私にとって最も恥ずべき行為を犯しておきながら、私は自分の身を守ろうとしていた。この由々しき事態に、私は気づいたように抵抗を止めた。
私はこのまま犯されることで、罪を……償えばいい。
私の目を今見ると、きっと死んだ魚のような目をしているのだろうな。
「動くの止めやがったぜ」
「やりやすいってもんだろ。んじゃあ、行くか」
「おい、お前たち。これからなにをやろうっていうんだ?」
「決まってんだろ、身ぐるみはがして全員で犯すんだよ!」
「そうか、楽しそうだな、私も混ぜてくれ」
「あ? お前――お前!」
不意に、私の体から重みが消え、黒い革靴のつま先が見えた。
また、同じようなやつが増えたのかと絶望を積み重ねたが、趣が違った。
「なんだ、楽しめよ。なにもしないなら私がもらっていく」
「ざけんな! 俺たちはまだお前を地獄の王と認めちゃいねえ! 前王は何もしなかった、最初の魔王は破壊統治を行った。手前に地獄を預けられるかよ!」
「黙れ」
後ろでなにか歪な音が聞こえた。わからない。でも、すぐ視線の先に赤い斑点が落ち、ああ、これは血なのか、と思った。
私の傍で誰かが死んだ。
「私は地獄の王だ」
「地獄を統治できてない半端ものが――」
「それはおいおいやろう。ああ、お前はついで」
立て続けに歪な音が響き、気付けば静かになった。私は細かく震えて、じっと佇んだ。
もう、終わりだ。さっきの男たちが死んだと確信して、私は安堵した。
「随分と、黒くなっているな」
「……私はもう、前の私ではないのです」
「ああ、それは見ればわかる。そしてお前が見てわかるように、俺は地獄の王だが地獄を悪魔になめられている。そこでだ、七人の最凶の悪魔たちを使役し、地獄を分割統治したい」
「……私は、悪魔じゃ――」
「悪魔より強い存在だ。安心しろ、最初の魔王もそうだった。それに、仲間はまだ何人かいる。ほら、私と一緒に来い。お前の幸せ、探してやるよ」
なんて軽口だったが、私はこの地獄で救われた思いだった。
なにもない。なにも知らない。誰も居ない。誰も私を愛してくれない。
だから私は契約することにした。
体を起こし、彼の腕を取った。
「よし、じゃあまず、そうだな」
彼は指をパチンと鳴らすと、私をある大きな木の前に連れて行った。
「お前に新しい名前を与えよう。地獄七魔将が一人、ツバキ。そしてこの木は、お前の幸せだ。お前を幸せにしてくれる者が現れた時、この花は咲く」
「……私はもう、幸せになれる権利なんてない」
「はっはっは、おいおい、誰にだってその権利はあるんだよ。幸せと愛を掴むな。悪魔の悪さも自然の摂理だ。だからな」
パチン、音が鳴った時、私はただ、涙を流した――