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91 濁流を見据え


 轟々と音を立てながら濁流が迫ってくる。その勢いは木々がへし折れるほどだ。


 フォンシエはフィーリティアとその先頭を見据える。そこにいるのは、巨大な亀であるヒュージタートルだ。


 以前も討伐したことがあるが、勢いに乗っているときの迫力はそれとは比べものにならない。


 これだけの巨体が迫れば、そこらの昆虫の魔物など、ものの数にも入らないだろう。ドンドン範囲を狭められているというのも頷ける。


 兵たちは迫る魔物を見て体を強張らせていたが、無理もない。あんなのがぶつかってくれば、いかに開拓村を強化して備えているといえども、半壊してしまうのは間違いないのだから。そうなったとき、泳げない者は逃げ場を失ってしまう。


 しかしその一方でフォンシエは泰然としていた。そして隣のフィーリティアに視線をくれると、彼女は光の海を発動させた。


 魔力が高まり、彼女を覆う光が生じる。

 ただそれだけの変化であるが、フォンシエは息を呑んだ。がらりと雰囲気が変わったフィーリティアは、まっすぐに敵へと視線を向けている。


 そこにはなんの感情も浮かんでいないかのように思われるほど、研ぎ澄まされた集中力があった。余分なものを削ぎ落とした表情はすっきりとしていて、浮き世離れして見える。それは彼女の美貌も理由だろう。


 フォンシエは一瞬、見とれた。

 けれど次の瞬間には、放たれた光の強さに目を奪われる。


 一発、二発、三発……。

 光の矢が次々とヒュージタートル目がけて放たれる。濁流は木々にぶち当たって流れを次々と変えているため、その魔物もいつまでも同じ向きではない。


 それゆえに、矢が貫くのは僅かにズレて、甲羅にいくつもの穴を開けていく。ヒュージタートルは大口を開けた。


「ギュッギュイイイイイ!」


 空気を振るわす咆哮に、兵たちはうろたえずにはいられない。

 けれど、敵が悶えていることから、光の矢は貫通こそしなかったものの、内部まで到達しているはずだ。


(そこに次を加えれば……)


 フォンシエが魔物討伐の算段をしている間にも、水は近づいてきている。ヒュージタートルが勢いを落としているとはいえ、このままでは、それまでに蓄えられた膨大な水のエネルギーをぶつけられてしまう。


「フォンくん! お願い!」


 光の海を解いたフィーリティアが告げると、フォンシエは光の証を「中等魔術:土」に使用して、敵が接触する前に地形を変えていく。


 なによりも重視するのは強度でも規模でもなく、速度だ。大がかりな壁を作ったところで些細な影響しか与えられない。


 それゆえに、拠点の前面に緩やかな丘を作り上げていった。

 だが、このままでは敵はまっすぐに乗り上げてしまう。そうなると、拠点へと飛び込むための足場を作ってしまったことになる。


 幾人かの兵は丘に侵入しようとした敵を見て、地面に伏せ始める。しかし、フォンシエはしかと敵を見据えていた。


(よし、今だ!)


 素早く光の証を切り替えて、「中等魔術:水」を使用すべく魔力を高めていく。ヒュージタートルとの距離が近くなって、ようやく用いられる範囲に入ったのだ。


「曲がれええええええ!」


 魔物を乗せた水流が丘に侵入した瞬間、向きが急に変えられた。まっすぐに侵入することができなくなったそれは、斜面を滑るように動いていく。


 水流は丘を登り切ることはできず、拠点を迂回するように流されていく。

 だが――。


「フォンくん、ヒュージタートルが!」


 水の中から飛び出したその個体が、フォンシエたちがいるほうへと飛び込んできたのだ。


「衝撃に備えろ!」


 フォンシエは兵たちに指示を出しながら、ヒュージタートルを見据える。あのような巨体を受け止める膂力など、ありはしない。


 いや、光の証を「鬼神化」に用いれば多少はなんとかなるかもしれないし、「中等魔術:炎」に用いて吹き飛ばすことだってできるだろう。


 けれど、それでは「中等魔術:水」が解除されて、自由を取り戻した残りの魔物すべてがこの開拓村に飛び込むことになる。そうなれば、被害は甚大なものになってしまうだろう。


(させるものか!)


 フォンシエは歯を食いしばり、意識を巨大な亀に向ける。

 ほんの少しでも気を抜けば、光の証は切れてしまいそうになるし、水の制御を忘れそうになる。


 けれど、そのような状況で彼はフィーリティアとともに光の盾を使用した。


 勇者のスキル二つを用いるなんて、無茶だと思ってきた。けれど、やり遂げなければならないときがある。諦めてしまったら、開拓村を取り戻すことなんてできやしない。


 この機会を逃したら、もう二度とその未来は来ないのだ。


「ぅおおおおおおお!」


 フォンシエが形成した光の壁に向かってヒュージタートルが飛び込んでくると、それはなんとか敵を受け止めようとする。


 だが、意識の半分は光の証に向いている。強度は不十分だった。


「ギュッギュィ!」


 ヒュージタートルは振り払うように頭を動かすと、光の盾が打ち消される。そして開拓村に接近するが、今度は二枚目の盾に阻まれた。


 今は勢いが落ちている。これを突き破って突入してこようとしたヒュージタートルであったが、食い破ることはできず、弾かれていった。


 直後、ズシンと大きな衝撃がやってくる。拠点の壁をかするように、敵がぶつかったのだ。


「ティア! 今のうちに追撃を!」


 探知のスキルによって得られる情報からは、敵が壁に埋め込まれているような状況になっているはず。


 フォンシエはヒュージタートルが水流に戻らないようにスキルを使用しながら、そちらに視線を向ける。


 フィーリティアは光の翼によって素早く敵の上空に躍り出ていた。

 敵の前面は、かするようにぶつかった部分はすっかり埋まっている。けれど、反対側は露出していた。そこには先ほどつけた穴が空いていた。


「これならいける!」


 フィーリティアはしかと狙いを定めると、光の矢を放つ。それは穴目がけて飛び込んでいった。


「ギュゥィイイイイイ!」


 拠点の壁を伝わって、ヒュージタートルの悲鳴が兵たちの体を震わす。

 だが、それも間もなくやんだ。そして今度はゆっくりと崩れていく音が聞こえ始める。


 ヒュージタートルは絶命し、魔石を残して消えていくのだ。その甲羅が壁に埋まっていた部分がぽっかりとなくなってしまったため、その上部分――開拓村の端のほうは自重に耐えきれず、傾いていく。


 フォンシエはそれを見つつも、スキルで修復する余裕もなかった。そこだけ脆くはなるが、端から防御機能など当てにはしていない。水浸しにさえならなければいい。


 なにより、彼は大まかな水の流れを変えているだけで、細かい制御まで行っているわけではない。それゆえにわずかな水を噴き出しながら、飛び出してくる魔物がいくつもあるのだ。


 開拓村にボトボトと落ちたそれらは、村内を水浸しにすることはなかったが、そこらにいる兵たち目がけて突き進んでいく。半魚人の魔物マーマンなど、陸上でも活動できる魔物がいるのだ。


「かかれ! やつらは地上ではたいした相手ではない!」


 兵が声を上げて、勢いよく飛びかかっていく。彼らは水に呑まれては戦えやしないが、地上で槍を手に向かってくる相手に臆することはなかった。


 フォンシエは兵たちを横目で見つつ、すでに水の流れはやり過ごしたため、そちらを制御するためのスキルの使用を中止する。


(思った以上に魔力を使ってしまったな)


 同時に勇者のスキルを使った疲労感もある。

 けれど、のんびりしてもいられない。空からは水棲の魔物が次々と降ってくるのだから。


 フィーリティアとともに光の矢でそれらを貫くと、赤い雨が降る。

 あとは雑魚だけだ。このまま倒していけばいい。


 ここ以外の開拓村においても、同様に戦闘は行われているようだが、重大な被害が出ている様子はない。となれば、ここが一番戦力が集まっていた場所なのかもしれない。


(それも、ヒュージタートルを倒した今、いつまでも攻勢が続くことはないだろう)


 いずれ勝ち目がないと見なして、水棲の魔物も逃げていくはず。

 そう思っていたのだが、一向に敵が引く気配はない。妙に思ったフォンシエの近くにやってきたフィーリティアは、狐耳を動かして音を拾っていた。


 そして一方向に耳が向けられると、彼女は息を呑んだ。


「フォンくん、あれって……」


 彼女の視線の先には、先ほど倒したヒュージタートルが小さく見えるほどの巨体があった。それはさながら動く山のよう。


「あれは……魔王セーランか!」


 フォンシエはじっと敵を見据える。

 一見すると巨大な塊に見えるが、長い胴体が絡まるようになっていることが明らかになる。あれはウミヘビの魔王リヴァイアサンだ。


 彼は大きく息を吸い込み、手を強く握って震えを押さえ込んだ。そして激しい闘志を燃やす。


 けれど、誰もが彼のように勇敢ではいられない。


「ひぃ! な、なんだあの化け物!」


 多くの兵はすっかり腰を抜かしてしまっている。

 あんな敵には、剣や槍を使ったところで、痛くもかゆくもないだろう。


 動作は緩慢であるが、昆虫の魔物が徐々にテリトリーを奪われたのも無理もない。


 フォンシエは敵を見据え、倒すための方法を考え始める。フィーリティアはそんな彼に尋ねてきた。


「どうするの、フォンくん?」


 無論、逃げるのかどうか、という話ではない。いかにしてこの危機を乗り越えるのかと尋ねてきたのだ。


「あの大きさは予想外だった。でも、ここで引くわけにはいかない」


 ほかの開拓村では、すでに逃げ出している兵もいるだろう。たとえ最後の二人になったとしても、背を向けるわけにはいかない。


 体制を立て直してから挑む方法はある。けれど、それではゼイル王国の国土は踏み荒らされてしまうだろう。


 そうなる前に、倒すまではいかずとも、足止めくらいはしなければならない。


「これより魔王セーランに挑む! 勇気ある者は、有象無象がここを越えていかぬよう、踏みとどまってくれ。やつは俺たちが止めてみせる!」


 誰しも、できることには限界がある。魔王に挑んだって、犬死にする者がほとんどだ。

 けれど、雑魚を仕留めることに必要なのは勇気だけ。フォンシエの威勢のいい声は、兵たちからその力を引き出していく。


 そんな二人のところに、別の村にいた勇者が向かってくる。


「おい、どうするんだよ。あんなのが来るなんて!」

「……俺たちがやる。なにかあったとき、兵たちが生き延びられるよう、助けてやってくれ」


 今回ばかりは、確実に倒せる自信なんてない。そのときのことを任せると、その勇者は頷いた。


 けれど、フォンシエだって負けてやる気はない。


「行こう、ティア。この村を、平和を取り戻すために」


 頷く彼女は誰よりも心強い。


 勇者たちが防衛拠点を搾って集まり、そこを堅牢にしておき、いつでも逃げられる準備をする中、二人は魔王を見据え、光の翼で飛び出すのだった。


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