85 勇者は東へ村人は西へ
フィーリティアは東の都市にやってきていた。
避難民たちの話を聞きながら進んできたところ、なんでもこちらに勇者が来ているという。
(……こっちに来ている勇者なんていたかな?)
考えども、そのような人物など思い浮かばない。
そもそも、勇者たちが動かないからフィーリティアは不満を募らせていたのだ。国が東に力を入れているという話は聞いていないし、勇者たちの中に能動的に動く者がいたかといえば、あまり思いつかない。
勇者たちは基本的に、自分の考えを中心に動いているのだから。
平和のために戦う前に、まず自分自身が生き延びることが大事なのである。もちろん、それが悪いとも思わない。
死んでしまうよりは、できうる範囲で活動を続けたほうが長期的な目で見れば大きな利益になるのだから。
けれどフィーリティアは、それでも、魔物に荒らされる土地を放っておけなかった。きっと、フォンシエはそれを見て悲しげな顔をしてしまうから。
だからフィーリティアは東にやってきたのだが、途中の話とは状況がどうにも異なっている。攻められていると聞いていたのに、あまり魔物が見られないのだ。
しかし、最果ての都市を見ると、フィーリティアも表情を変えずにはいられない。
その都市は水浸しになっており、さらに逆行する滝のように水が昇っている。目を凝らせば、そこには魔物の姿が見える。
彼女は急ぎ、都市の中を駆けていき、一番立派な屋敷へと向かう。
こちらには勇者ギルドがないため、とりあえず偉い人がいそうな場所に見当をつけたのだ。それに、今は勇者として来ているわけでもない。
ただの一個人として、こちらの状況を知るためにやってきたのだから。
すぐさま屋敷に飛び込むと、誰何される。彼女が来ることを伝えていたわけではない。
「お名前を窺ってもよろしいでしょうか」
フィーリティアはその問いに胸を張って答えるのだ。
「勇者フィーリティア。こちらの状況を伺いたく参りました」
たった一言。それだけで衛兵の態度が変わった。
しかし、フィーリティアの身なりを見たときには、すでにそれなりに立派な兵と判断していただろうから、勇者と言われて驚いたというのも考えにくい。
その理由を考えていると、
「すぐさまご案内いたします」
詳しい話はそちらで聞かせてもらえるということで、フィーリティアは従った。
そうして責任者のところに辿り着くと、丁寧に対応される。
「フィーリティア様。ご足労いただきありがとうございます。お連れ様とはぐれたと伺っております。大変申し訳ございませんでした」
と、フィーリティアに連絡をしなかったことを謝罪されるのだが、フィーリティアとしては、
(お連れ様……?)
と、首を傾げることしかできない。
狐耳をぱたぱたと動かしながら考えてみるも、こちらで誰かと一緒にいた記憶がない。アルードと一度来たことがあるが、さすがに時間がたちすぎている。誰かと会ったこともない。まして、はぐれたというのも。
「連れに関して、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい。現在、我々がお目にかかったのは、勇者フォンシエ様だけです」
フィーリティアはますますあっけに取られる。
(フォンくんが勇者? こっちに来ている?)
彼は村人だし、魔王であるキングビートルとの戦いの後、眠っていた。
フィーリティアを追いかけようとしてこちらに来た可能性もあるが、彼が勇者と名乗るだろうか。
魔王との戦いで吹っ切れたようには見えたが、自身が勇者であると喧伝するようにも思えない。彼は名誉欲が強くはないから。
誰かがフォンシエの名前を語ったという可能性もある。
フィーリティアはとりあえず、話を順に聞くことにした。
「こちらでは、民の避難を手伝っていただきました。それから、魔物ヘルハウンドの討伐をたったお一人で行われました。その後、東の魔王セーランの調査および、攻めてこないように地形を変えることもしております」
詳しいことを尋ねると、「初等魔術:土」「初等魔術:水」などを利用したとのことである。さらには、普通の勇者では成し遂げられない、多種多彩なスキルを使っていたとも。
責任者はどうにもよくわからない話をしているときの顔であったが、フィーリティアは狐耳をピンと立てた。
(フォンくんだ。こっちに来ていたんだ)
規格ハズレの村人ならば、条件に合致する。それ以外に考えられない。
そして彼は今、東の都市の奪還作戦を敢行しているところであるという。ならば、フィーリティアがすべきことも決まっている。
「では、こうしてはいられません。詳しい話は直接彼から聞きましょう。すぐに魔物討伐に参加しなければ」
フィーリティアはそう言いながら席を立つ。
フォンシエが無事に起きていたことが嬉しい。彼が希望を失わずにいてくれたことに幸せを感じてしまう。
だから、少しでもその手伝いをするのだ。
(フォンくん。待っててね)
責任者は彼女の思いきりのよさに驚くばかり。
「フォンくんと一緒に帰ってきますから、おいしいご飯を用意してくれると嬉しいです」
「かしこまりました。どうかご無事で」
フィーリティアはこれまた不純な覚悟で、けれどなによりも純粋な思いで魔物のいる都市へと向かうのだった。
光の翼は彼女の背を押し、あっという間に戦場へ向かわせた。
◇
水棲の魔物が住まう東の拠点をつぶしたフォンシエは、そのまま西に向かってきていた。
こちらの都市は水没しており、門を開ければ、東に向かって水が流れ出す状況になっている。
先ほどまでの状態では、拠点となっているところの魔物がそれを妨害したであろうが、今となっては問題ない。
(やつらは水を失えば、戦う力もないはずだ)
フォンシエはこれからのことを考えながら、意識を切らさないようにする。勇者のスキル「光の翼」を使い続けてきているため、ぼーっとしていれば、墜落してしまうのだ。
そうしてやってきたフォンシエは、遠くで交戦状態になっているのを見て取る。
宙に浮かび上がった水は次々と撃ち出され、地上へと放たれる。それに対して、地上では盾を持った兵が防ぎ、魔術師たちや狩人たちが魔術や矢で反撃を試みていた。
そして、一筋の光が魔物を貫く。
(あれは、光の矢!)
勇者のスキルということは、誰かが来ている。しかし、フォンシエはそのような話など聞いてはいなかった。
しかも、立て続けに数度放たれるそれを見るに、かなりの熟練者と思われる。
そうすると、魔物のほうも都市にこもりながら、ときおり攻撃を仕掛ける形になる。膠着した状態のところにフォンシエは戻ってくると、そこに見慣れた顔を見つけた。
「フォンくん! もう動いて大丈夫なの!?」
フィーリティアは光の翼を用いて、一瞬で飛んでくる。その速さは、以前よりもずっと高まっている。
「ああ。それより、まずは魔物を倒さないと」
「うん。どうするの?」
「門を開ければ、東に水が流れ出す。俺がスキルを使って魔物をまとめるから、光の矢で撃ち抜いてくれるかな?」
「任せてフォンくん。一匹たりとも逃さないよ」
フィーリティアは尻尾をぱたぱたと振りながら、頼もしく答える。
元々、魔術師たちによって攻撃を加える予定であったが、彼女がいるならばそれだけでいい。
「フォンくん。準備はいい?」
「構わないよ。門はどうするんだ?」
「え? 撃ち抜くよ」
フィーリティアはあっけらかんと答える。
確かに、近くまで行って力でこじ開ければ、濁流に呑まれてしまうことだろう。しかし、フォンシエもどうかしていたので、その作戦でいくことにした。
「これから作戦を実行する! 呑まれないよう離れてくれ!」
兵たちが距離を取ると、フォンシエは「中等魔術:水」を用いるべく魔力を高めていく。そして隣のフィーリティアは光の海を発動させた。
輝かしい光に包まれた彼女を見て、フォンシエは場違いにも綺麗だと思ってしまった。けれど、すぐに意識を門に向ける。
次の瞬間、太い光の矢が放たれた。
それは一瞬にして門に到達し、閂をぶちこわす。
門が開放されると、水が勢いよく流れ出す。その水流に乗って、外に放り出された魔物どもは、流れに抗うように水を動かそうとする。
だが、フォンシエはスキルを用いてそうはさせない。
押し流される力と戻ろうとする力が拮抗し、敵が動けなくなると、フィーリティアは光の矢を放った。
集中して放たれたそれは、数十の魔物を一気に呑み込んで消し去る。
その威力には、味方であるはずの者たちですら息を呑む。
そして魔物が消えるとそれらが使っていたスキルも消えて、再び魔物が溢れ出す。今度は維持しようとはせずに、フィーリティアとフォンシエを敵と見定めて、水球を放ってくる。
「ティア、俺が――」
「大丈夫だよフォンくん。心配いらないよ」
前に出ようとしたフォンシエに微笑み、フィーリティアは光の盾を生じさせる。それは無数の水球を浴びてもびくともせず、その堅牢さを見せつけていた。
そのスキルを使いながら、フィーリティアは光の矢を放つ。
またしても数多の魔物を呑み込み、抵抗をも許さない。魔物どもはそうなると、もはや逃げ出すことを考え始める。
だが、バラバラに飛び出すと、それらは狩人の矢に撃ち抜かれて墜落していく。
そして都市の中にこもっていたとしても、水は次々と流れ出てしまうため、いずれは干上がるであろう。
もはやこれ以上は待っていられないとばかりに、空中に舞い上がる存在があった。
緑色の肉体を持つ馬、ケルピーである。こちらは水の中に潜って泳ぐことができる魔物だ。
そのケルピーは数頭いた。おそらく、アレが魔物どもを引き連れてきた存在なのだろう。後ろには数多の魔物がいる。
東へと逃げ出そうとするそれらに、フィーリティアは視線をくれる。
だが、フォンシエも彼女に任せているわけにもいかない。集団相手となれば、やはり光の矢は向いていない。
「都市の中にいないなら、遠慮はいらないな」
フォンシエは息を吐くと、意識を集中する。フィーリティアが守ってくれているのだ。心配はなにもない。
そして敵の集団のところで魔力を高め始めた。
どんどんと魔力が膨れ上がる。その間にも、魔物は逃げ出そうとするが、フィーリティアはそんな魔物を光の矢で撃ち抜いていった。そして反撃はことごとく彼女の光の盾に阻まれる。
そしてフォンシエのスキルが発動する。
ズゴォオオオン!
激しい振動が伝わってくると、兵たちは吹き飛ばされそうになる。
撒き散らされる水は、礫のようにぶつかってくる。
そんな中、フォンシエは光の盾越しにじっと魔物の姿を見ていた。ほとんどの魔物は吹き飛ばされて、粉みじんになったようだ。
普段であれば、なかなか時間がかかる「高等魔術:炎」は思ったよりもあっさりと用いることができた。
考えてみれば、誰かと一緒にいるときに、このスキルを使うのは久しぶりだった。
本来であれば、前衛である職業の者たちに守られながら、大魔術師はスキルを使うのだ。それほど集中を要するスキルである。
しかし、フォンシエはほかの前衛のスキルを取っているため、守られながら高等魔術を使うという考えがなかったのだ。
こうして分担ができるなら、もっとうまくやっていけるかもしれない。
そう思ったフォンシエであったが、フィーリティアが光の海を解除して、今度は細い光の矢でチマチマと魔物を撃ち抜き始めると、彼も一緒になってそのスキルを使用する。
「ティア。さっきのスキル。すごかったね」
「えへへ。『勇者の適性』が光の海にも影響することがわかったんだ。だから、使っている間だけだけど、立派な勇者になれるんだ」
嬉しそうに言うフィーリティア。
フォンシエはかつて、死霊の魔王を倒しに行った仲間であるヴァレンの言葉を思い出していた。
『勇者の本領は上位のスキルを取ってからだ。もう手がつけられねえ』
そのときに酔っ払いの勇者アルードが光の海を使っているところは見たことがある。確かに強力であったが、勇者の適性があるとこうも変わるとは。
しかし、そのスキルはフォンシエに取ってはなんの意味もない。なにしろ、勇者のスキルを高めるものなのだから。彼は勇者のスキルが使える村人なのである。
「そういえばフォンくん。どうして勇者って名乗ったの?」
フィーリティアが魔物をぶち抜きながら、笑顔で聞いてきた。
「俺は一度も名乗っていないよ。ティアたちとはぐれたって言っただけ。まあ、光の剣は使ってみせたけれど」
「名乗ってるようなものだね」
「勇者ギルドに怒られるかな?」
「どうなんだろう? 勇者のスキルを使う村人なんて、いまだかつていなかったからね」
フィーリティアはそう笑うと、フォンシエも「まったくだ。どうしてこんなことになったのやら」
などと言いながら光の矢で魔物を撃ち抜いた。
そうして、あっという間に魔物は片づいてしまう。都市の水が流れきると、兵たちが中に入っていく。逃げ切れなかった魔物が残っているだろうから、そちらを片づけなければならない。
けれど、これで都市の奪還は成ったようなものだ。
「フォンくん。あとでお話を聞かせてね?」
「もちろん。ティアにもいろいろ聞きたいことがあるんだ」
「でも、その前にまずは」
勇者たちは戦いを終えると平和な日常を求める。趣味に時間を使うのもいい。疲れたなら引っ込むのも道理だ。
けれど彼らは、都市の中に向かうのだ。
残った魔物を片っ端から切り倒す。それが二人にとっての日常になりつつあった。
フォンシエとフィーリティアは剣を抜き、勇ましく街中を駆ける。
その姿に者どもは感化され、奮い立たずにはいられなかった。
光の剣は勝利の象徴であった。




