84 ヒュージタートル
魔物がいる湖は、やけに静かだった。
なにも知らずに通りかかった者がいれば、美しい湖面を覗き込んでしまうそうなくらいに。
けれど、その下には数多の魔物が潜んでいる。水棲の魔物どもが、獲物を今か今かと待ち構えているのだ。顔を見せれば、あっという間に食らいつかれてしまうだろう。
そんな水棲の魔物どもがいるというのがフォンシエは気にくわなかった。
(……ここはお前たちの土地かもしれない。我が物顔で振る舞うのは構わない。だが、攻めてくるというのなら、俺は一体残らず仕留めてやる)
フォンシエは息を吐き、探知のスキルを働かせる。
精神を集中させると、湖の中で動く存在に勘づく。まだヒュージタートルどもはここを離れていない。そして以前より魔物が増えているということもないようだ。
ほとんど変化が見られないことから、上流で魔物を仕留めたことにも気づいていないだろう。増援が来ないうちに、さっさと仕留めてしまえばいい。
「これからヒュージタートルを討つ。俺が引きつけるから、その間に陸に上げてくれ」
「かしこまりました」
少しの間ならば息を止めていられるが、水中ではどうしても不利になる。
つい先日、ヴォジャノーイとの戦いで水に呑まれて、うまく立ち回れなかったのだから、その反省を生かしてある程度は安全策を採るべきだろう。今は援護してくれる者たちもいる。
だからフォンシエがすべきことは、そこにいる者たちの力を借りて、全力で敵を討つことだ。彼らが倒せない強大な相手を完膚なきまでに叩きのめすこと。それが勇者ならざる英雄に求められていることに違いない。
フォンシエは後ろに視線を向ける。すでに準備は整っていたようだ。誰もが彼の行動を待っていた。
彼は一人、木々の合間を抜けて湖の前に出る。堂々たる態度であるが、彼には隠密行動のスキルがあり、その上「気配遮断」のスキルまで使用しているため、魔物が気づくことはなかった。
まだなにも動きがないうちに、フォンシエは光の矢を生み出し、探知のスキルを頼りに鏃を向ける。
そして感覚任せに、大きな存在が感じられるところへと矢を放った。
光は水中へと侵入するも、狙ったところからズレる。侵入するときに屈折したのだ。
(……外したか! だが!)
フォンシエはもう一度光の矢を生じさせ、先ほどの誤差を頭に入れて撃ち込んだ。
が、今度は湖面が盛り上がってきて、先ほどいた位置から目標のほうが動いてしまう。
二発の矢は魔物を仕留めることはなかった。だが、もとより期待はしていない。水中に向かって光の矢を正確に放てるほど、勇者のスキルに関して熟達しているわけでもない。
「ギュッギュゥウウウ!」
奇っ怪な声を上げながらヒュージタートルが出現すると、その甲羅の一部分と前足がえぐれている。光の矢が当たったのだろう。
端から、陸で叩く予定だったのだ。多少なりともダメージが与えられただけで儲けもの。
そしてフォンシエが三度目の光の矢を放つと、水中から頭と前足だけを岸に乗せていたヒュージタートルは頭を引っ込めて甲羅で防いでしまう。
光の矢は甲羅に穴を開けるも、中までは到達しなかったようで、再びヒュージタートルが動きし始める。
同時に、湖から大量のマーマンが飛び出し、「初等魔術:水」で水球を放ってくる。無数のそれらが放たれると、フォンシエは光の盾を発動させる。
躱せるものは躱し、そうでないものは彼の前面に生じた光で勢いを削ぎ落とし、あとは鎧に当てて流す。メタルビートルの外骨格で作られたそれは傷をつけられることもなかった。
さらに水中からは小柄なブルーシェルとやや大柄なレッドシェルがのそのそと進み出てくる。それらは硬い甲羅に守られながら、重装歩兵のようにじっくりと距離を詰めていた。だが、水を操り陸上を滑るように動き始めると、なかなかの速さになる。
(邪魔される前に、やるか)
あれらの魔物に群がられると、倒せないこともないが面倒ではある。
「雑魚どもを牽制しろ!」
フォンシエが声を上げると、待機していた魔術師たちが護衛の兵とともにさっと現れて、邪魔なマーマンやブルーシェル目がけて火球を放っていく。
着弾とともに爆発音が生じる。
その中をフォンシエは駆けていた。ヒュージタートルは近づけば近づくほどに大きく見える。そうして至近距離から光の矢をぶち込むと、相手はそれを嫌がって甲羅で防ぐも、フォンシエは何度も続ける。
そのたびにヒュージタートルは彼を踏み潰そうとするが、届かない。湖から出ないようにしていたため、適度に距離を取ったところでとどまっていた彼まで到達しないのだ。
時間がたてばたつほどに、甲羅には穴が空いていく。だが、フォンシエのところにも魔物の群れが迫ってくる。
「さあ、根比べといこうじゃないか!」
彼は高揚感に突き動かされ、勇者のスキルを用いて攻めていく。
と、銛を持ったマーマンが勢いよく迫ってきたのを、神速剣術を利用して素早く切り飛ばした瞬間、ヒュージタートルが動き出した。
「ギュッギュゥウウウ!」
すでに甲羅に数個の穴が空いており、このままやられてはいられないと判断したのだろう、巨躯が動き出した。
そしてその大きさからは考えられないほど早く、亀の頭が伸びてくる。彼を食らわんとしているのだ。
咄嗟に光の翼を用いて回避すると、今度は前足が踏み潰そうとしてくる。圧倒的なサイズの差を前にして、フォンシエは光の翼を解除。回避するのではなく、光の盾を生じさせる。
前足が光に包まれると、あたかもネットの上に足を乗せたかのように、彼を潰そうとしていた勢いが和らいでいく。
フォンシエは鬼神化のスキルを使用して膂力を上げつつ、さらに神聖剣術を用いてヒュージタートルの前足を弾き飛ばした。
勇者のスキルに、通常のスキル二つ。
それらを同時に使ってなお、フォンシエは集中力を切らすことなく後退している。
できるだけ早くなく、自然に。ヒュージタートルの視界に映るように。
そうすると、魔物は湖から身を乗り出して、フォンシエを追ってくる。
(よし、そのままだ!)
やがて体のほとんどが湖から抜け出る。あとは後ろ足だけになったが、そこでその亀も陸上では動きにくいと思い出したかのように、攻めるのを中断した。
その途端、一斉に向かってくる存在がある。
木々の中に隠れていた男たちが、槍を持って突撃してくるのだ。そしてそれらをヒュージタートルの前足や頭目がけて投擲する。
次々とそれらは突き刺さるも、致命傷には至らない。だが、目的は刺すだけではない。
「よし、引っ張れ!」
狂戦士は鬼神化のスキルを用いて全力で引っ張り上げる。そして力自慢の戦士たちもありったけの力を込めた。
だが、あと少しというところで、ヒュージタートルも粘りを見せる。水を操ることで、反対側に自分の体を押そうとするのだ。
このままでは、陸上に上げることもできずに槍が抜けてしまう。
しかしフォンシエは、これで十分だと思っていた。彼はすでに、ヒュージタートルの背後でスキルが発動するよう、魔力を高めていたのだから。
湖が盛り上がる。水の支配者である魔物たちではなく、ただの村人に操られながら。
「中規模魔術:水」によって動く水はヒュージタートルを尻から突き上げるようにして、体を浮かせた。瞬間、踏ん張りがきかなくなった亀の体が動き出す。
けれど、そうして陸に打ち上げることができたのはわずかな時間だろう。絶えきれなくなった槍が抜けていく。
だが、それで十分。
光の翼に背を押されて加速したフォンシエは背後に回っていた。
それまでの勢いを乗せて跳躍すると、剣に暗黒を纏わせる。あたかもぶれて見える暗黒騎士のスキル「幻影剣術」だ。
切断力は勇者の光に劣る。けれど、この勢いが乗れば、亀の後ろ足を切り裂くには十分。
フォンシエはさらに光の翼に意識を集中し、ヒュージタートルの後ろ足を一文字に切り裂いていった。
一直線に彼が飛び去ったあとには、ほとんど千切れそうになっている後ろ足が二つ。
フォンシエはターンするようにそちらに視線を向けると、光の矢をぶち込む。それでもはや使い物にはならなくなるはず。
と、フォンシエは光の翼の調節が乱れて、わずかに姿勢が崩れる。勇者のスキル二つはなかなか難しい。そんなところに、レッドシェルが迫り、フォンシエの頭を丸かじりしようとする。
勢いよく口が閉じられようとするも、締まりきる前にそれは受け止められていた。大人すらも丸呑みできそうな大きさのレッドシェルでさえも、鬼神化のスキルを用いてしまえば力任せに防ぐことができた。
彼は着地すると逆にレッドシェルをぶん投げて、今度はヒュージタートルに飛び乗る。そちらは痛みのせいか、それとも槍を引き抜いたままの姿勢で動けないのか、足による移動を諦めて水を操ることだけで動こうとしていた。だからすっかり頭を引っ込めている。
それゆえに、頭を切ってしまおうという策は使えない。
だが、閉じこもっているというのなら、強引なやり方がある。
フォンシエはこれまでに開けた甲羅の穴に手をかざすと、光の矢をぶち込む。どっと血が噴き出すも、何度も、何度も同じところから、体のあちこちを貫くように向きを変えて撃ち込む。
ヒュージタートルは鳴き声を上げていたが、やがて静かになった。
そして肉体がゆっくりと消え始める。
フォンシエはじっとそちらを眺めていたが、兵たちの歓声が聞こえてくると、わずかばかり表情を変えた。
「ヒュージタートルを倒した! さあ、残りの雑魚どもを蹴散らし、下流のやつらを孤立させてしまえ!」
彼の言葉に、兵たちは湧く。
だからフォンシエは剣を掲げて見せた。光に包まれた勇者の剣を。勝利の象徴たる輝きを。
レッドシェルやブルーシェルはボスを失って困惑しているようで、兵たちが切り込むと脆く崩れていく。
そしてフォンシエがスキルを用いて上流からの流れをせき止めてしまうと、逃げるに逃げられず、片っ端から切り倒されていくばかり。
(よし、こちらでの役割は済んだな。あとは都市に向かうか)
今頃はきっと、都市への攻撃が仕掛けられていることだろう。
「こちらの残党を頼む! 俺は都市に向かう!」
「お任せください!」
フォンシエは残りの作業を彼らに任せ、光の翼を用いて一気に西へと向かう。
きっと、勇者はあちこちに首を突っ込むものではないのだろう。一つの仕事を成し遂げ、あとはゆっくりと休息を取る。無茶をしないのが生き延びるコツだ。
けれど、フォンシエはそれでは不十分だった。
そこらの勇者たちの上を行く。魔物を打ち倒し、その手で平穏を取り戻すのだから。
次なる魔物を求め、彼は闘志を燃え上がらせた。




