82 魔王メザリオ
土煙が上がる中、フリートは狙いを定めることもせずに、光の矢を放ち始める。
幾筋もの光が流れ込む中、反対に向かってくる存在がある。黄金色の魔王だ。
光の矢を回避しながら、すさまじい勢いで迫ってくるそれは、そこらの魔王とは一線を画す力強さがあった。
「ギュギュィイイイイ!」
その声を聞いた勇者の中には、腰を抜かしそうになる者もいる。
だが、それでも勇者としての矜恃が、その一線を越えさせず、歯を食いしばってその場に押しとどめる。
「さあ! お出ましだ!」
楽しげに叫ぶフリートは光の翼を用いて急加速し、一気に魔王メザリオに接近して剣を振るう。だが、魔王は咄嗟に浮かび上がると、わずかに表面に傷をつけられただけで回避してみせた。
そしてフリートの横を通過した魔王は、勇者の一行へ突っ込んでくる。
瞬間、フィーリティアは退避行動が頭を過ぎったが、それよりも早く光が一帯を覆い始めた。
勇者の能力を底上げし、入ってきた魔物にダメージを与えるスキルだ。誰かが咄嗟に用いたのだ。
それによりフィーリティアの能力もまた向上する。
思った以上の効果だった。かつて死霊の魔王との戦いでは、力がなかった――いや、ほかの勇者たちのほうがレベルが高かったから強まっても気にならなかったのだが、今は違う。
その影響を受けた今、キングビートルはほかの勇者たちがうろたえるほどの強敵には思われなかったのだ。
(これは……『勇者の適性』が影響している?)
勇者としての基本的な能力やスキルの使用が底上げされるのみならず、スキル「光の海」により受けた影響も強まっているのだろう。
フィーリティアは剣を構え、敵を見据える。
戦える。そして打ち倒すこともできるはず。
(奪われたものを、取り戻す。フォンくんが笑ってくれるように。もう一度、望んだ日々が戻ってくるように)
ゆったりと動いたつもりなのに、体は軽やかに構えを取っていた。
敵が遅くなったと錯覚するほどに、彼女の集中力は高まっている。今ならば、勇者のスキルも効率よく使えそうだった。
フィーリティアは魔王メザリオに意識を集中すると、光の矢を生じさせる。一瞬だ。ほんのわずかな時間で十数本の矢が同時に生み出される。
いや、正確には同時ではない。あまりにも早く撃ち出しているから、同時に見えただけだ。
突如放たれたそれに、魔王メザリオは回避することもできず、いくつかを避けた残りにはぶつかることしかできなかった。
外骨格に穴が空くと、羽ばたきが終わり、滑り込むように勇者のところへと転がってくる。
フィーリティアは光の翼を用いてさっと離れるが、巻き込まれた勇者たちはキングビートルに叩かれて飛ばされたり、潰されたりしながら逃げ回っていた。
フィーリティアはその様子を見ながら、自身の底上げされた力を実感していた。
勇者のスキルは魔力を消費する「光の海」以外、集中力さえ欠かさなければ、いくつでも放つことができる。そして勇者の能力すべてを底上げする「光の海」の効果が「勇者の適性」で増強された結果、ほかのスキルもこれまで以上の威力で用いることができていた。
これまで「勇者の適性」を持つ勇者はほとんどいなかった。いたとしても、フィーリティアのようにレベルを上げていく者が存在しなかったのだろう。そこまで「勇者の適性」は重要視されていなかった。
だが、今になってフィーリティアはその力を実感する。
勇者の能力を上げるだけの固有スキルではなかったのだ。スキルによる恩恵をも向上させることで真価を発揮する。
ならば、勇者の適性を持つフィーリティアが光の海を用いれば、そのスキルの効果が上がり、さらに彼女自身が受ける影響をも上がることになる。二重に影響を受ければ、どれほどになることか。
けれど彼女は驕りはしない。
強力な勇者ユーリウスとフリートがいるのみならず、今はまだ、「光の海」は彼女自身のスキルではないから。誰かが解除すれば、ただの少し強い勇者に戻ってしまう。そのテリトリーから出るわけにはいかないのだ。
勇者たちが突然の光の矢にあっけに取られながらも魔王から離れる中、唯一飛び込んだユーリウスは魔王メザリオの足の一本を切り飛ばした。
そしてフリートはそちらに向かおうとするが、水棲の魔物とメタルビートル、合わせて十数の魔物が彼を完全に包囲し尽くしていた。
「せっかく面白いところなんだ! 邪魔するんじゃねえ!」
フリートが振るう剣が勢いを増した。
光を撒き散らす刃は、「光の証」が用いられている証拠だ。
だが、剣の能力を上げるスキルには「光の剣」がある。ならば、あれはいったい、なんのために――。
フィーリティアは次の瞬間、その正体を目にする。
一瞬にしてすべての魔物が切り伏せられたのだ。
(あれは……光の証の対象スキルを「剣術」から、「神速剣術」と「神剣一閃」に切り替えた!?)
勇者のスキルで魔力を消費するのは「光の海」だけ。それゆえに、ほかのスキルで魔力を消費するのは理にかなっている。それを勇者のスキルで強化することも。
だが、勇者のスキルすべてを取っていながらにして、それらのスキルを取れるというのか。全部で1100ポイントになるというのに。
規格外のスキルポイントの多さに驚くフィーリティアであったが、すぐに冷静さを取り戻した。彼女はそれ以上に多くの、信じられないほど膨大なスキルを持つ少年を知っていたから。
そして魔王メザリオは激しい怒りを露わにしながら、再び飛び上がった。
「魔王のスキルです! 強化されているので、気をつけてください!」
以前フォンシエとともに、昆虫の魔王と戦ったフィーリティアは、あのときの状況を思い出した。一定以上のダメージを受けると、能力が上がるスキルがあったと。
魔王メザリオも同様のスキルを持っているらしく、その速さはさらに上がっている。
勇者たちは光の矢を放つが、躱されるもののほうが圧倒的に多い。そして、生き残ったメタルビートルが彼らを襲う。
敵味方が入り乱れる状況の中、三人は魔王メザリオを見据えていた。
ユーリウスとフリート、そしてフィーリティアだ。
勇者たちはメタルビートルにダメージを与える効果をも狙って、光の海の範囲を広げる。それゆえに、フィーリティアもその中にいて恩恵を受けるのは難しくなかった。
邪魔な魔物を切り殺したフリートは、そんな彼女の隣を通り過ぎる際、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「やるじゃねえか、フィーシエ。謝罪し訂正しよう。あと1年もありゃ、殺しがいのある勇者に育つはずだ」
「フィーリティアです」
彼女もこの男の扱いに慣れてきていた。それゆえに、返答は訂正だけにとどめておいた。なにしろ、まともな会話など期待できないことなどとうにわかっていたから。
そしてフリートも会話を楽しむ気などない。
彼は魔王メザリオが向かってくると、自身がいる場所だけに光の海を展開する。先ほどまではこれを使用していなかったのだ。まだ本気ではなかったということ。実力のほとんどを出していなかったのだ。
けれど、そんなことはフィーリティアには関係なかった。
今の彼女が思うことはただ一つ。
(この魔王を倒そう。それでフォンくんの願いは叶えられるはず)
それはきっとあまりにも不純で、そして純粋な動機だった。勝利を疑わない、決して揺らぎはしない意志がある。勇者に相応しくない、けれどなによりも勇者らしい芯の強さだ。
黄金の巨躯が勇者を倒すべく迫ってくると、ユーリウスとフリートは誰よりも早く、敵に対して突っ込んでいく。
「先に機動力を削ぐぞ」
「みみっちいやり方だな」
「だが、確実に殺せる」
「違いねえな」
そんな会話をしていた二人だが、角が繰り出されると、それを回避してさらに前肢による叩きつけをいなし、別の足を切り裂く。
一瞬で前肢を除く足はすべて叩き切られ、だるま状態になる。もはやこれで勝負は決まったようなものだった。
バランスが崩れ、動きが不安定になった魔王メザリオは、浮かび上がろうとする。とても勝ち目がないと踏んだのだ。
けれどその瞬間、フィーリティアはすでに光の矢を放っていた。
決して二人の行動を予測していたわけではない。だが、実力が高い者同士で通じ合うことがある。そして今はそのときだった。
偶然かはたまた必然か。
魔王の進行先にいたフィーリティアの放った光の矢は、ことごとく魔王メザリオの正面からぶち当たり、外骨格を貫いていく。
光の矢は何十本と、脳を守っている鎧の一カ所に正確にぶち当たり続けた。そしていよいよ頭部に穴を開け、そこに幾本と入り込んだ矢が内部をかき乱していく。
やがて光の矢は魔王の頭を貫通した。
その巨体が向かってくると、フィーリティアは光を剣に纏わせ、勢いよく切り上げる。綺麗な弧を描いた軌跡だった。
キングビートルの頭が切り裂かれ、真っ二つに割れる。
体液が撒き散らされる中、フィーリティアは凜として佇んでいた。その姿にほかの勇者たちは息を呑んだ。
フィーリティアは勇者として未熟だったわけではない。年数はまだたっていないが、魔王討伐をすでに三度経験しており、レベルも高くなっている。
そしてなにより、彼女の勇者の光はここにきて一際強くなっていた。
魔王を倒すために、磨き上げられた意志が生み出す輝きだ。
けれど勇者たちは、なかなか信じられずにいた。どんな人間だって、普通は勝利が信じられず、戸惑いくらいするものなのだ。
だというのにこの新米勇者は変わらない表情でやってのけた。
「……魔王が死んだのか?」
勇者の誰かが呟いた。そしてメタルビートルの生き残っていた個体が逃げるべく飛んでいく。
しかしそれらはことごとく光の矢に貫かれていた。やったのはユーリウスとフリートだ。
「……おい、ユーリウス。お前があんな策を提案するから、もう終わっちまったじゃねえか。どうするんだよ」
「魔王を倒す役割は果たした。我々の正義は完遂された。なにが問題なのか、私にはわかりかねる」
「ったく……まあいい。今回はつまんねえ魔王だったってことだ。帰って飯にするか」
二人はいまいちかみ合わない会話をしていた。
フィーリティアはふと冷静になると、自分が倒した魔王メザリオの死体を眺める。こちらは肉体が消え始めていた。
(……さっきのは、なんだったんだろう?)
あれほどの集中力を発揮したのは初めてだった。もしかすると、勇者の適性は人の精神性にも影響を及ぼすのかもしれない。
そうだとすれば、ただ勝利を疑わずに戦い続ける者こそが勇者ということになるのだろうか。ユーリウスやフリートを見ていると、そうした性格に矯正されていたのではないかと感じるのも無理はなかった。
そのようなことを考えたフィーリティアだったが、フォンシエの姿を思い浮かべると、柔らかな笑みを浮かべた。
勇者らしくなく、少女らしい笑顔だ。
(フォンくん、喜んでくれるかな。もう一度、一緒に開拓村を作ってくれるかな?)
そんなことを思いながら笑うフィーリティアは、端から見ると魔王を倒して笑っているようにしか見えない。
勇者たちは、やはりユーリウスとフリートと一緒にいる彼女もどこか変わっているのだと実感せずにはいられなかった。
けれどともかく、これで戦いは終わったのだ。
魔王討伐が成ったとひとまずは喜び、撤収を始めるのだった。




