8 それぞれの覚悟
刃引きされた鉄剣を手に向かい合っている者たちがいた。
一人は新米勇者である獣人の少女フィーリティア。そしてもう一人は勇者として活動し始めて数年の若手であるデュシスだ。
彼は優男に見えるが、剣は安定した軌跡を描いており、よく鍛えられていることが窺える。
勇者ギルドに加入した者は、新人の剣の練習として、ひとまず戦いに役に立つ程度に上達するまで誰かが教えることになっていたのだ。
といっても、ベテランたちはやりたがらず、そんなのは新人を卒業したばかりの者に押しつけられるの常だったが。
両者はしばらくそうしていたが、ほんの僅かフィーリティアが前に足を滑らせた瞬間、デュシスが踏み込んだ。
「でやぁ!」
大上段からの一撃が放たれると、フィーリティアは咄嗟に剣で受け止めるしかなかった。躱そうにも、すでに体は前に出ようとしていたのだ。
一撃が重い。防いだにもかかわらず、そのまま押し倒されてしまいそうになる。
しかもデュシスはそれにとどまらず、素早く切り返すと横薙ぎの一撃を放ってきた。
フィーリティアは剣で受け止めるも、体重の差があり、大きく吹き飛ばされることになる。
そしてなんとか着地したときには、飛び込みとともに剣を掲げたデュシスの姿が目の前にあった。
影に覆われる中、フィーリティアはデュシスの目を見た。
彼の瞳はやけにぎらぎらと輝いており、獣をも連想させる。
「うぉおおおおお!」
そちらにばかり気を取られていたが、デュシスが咆哮とともに、よりいっそう輝く刃を振り下ろすと、フィーリティアは慌てて防御せんとする。
しかし、剣は弾かれ、フィーリティアは地を転がった。
起き上がりデュシスを見ると、彼はいつもの穏やかな表情に戻っていた。
(さっきのは見間違いだった……?)
フィーリティアは瞬きし、デュシスを眺める。しかし、あのぎらぎらした光はどこにも見当たらない。
「フィーリティア。身が入らないようだな。今日はやめにしよう」
「その……すみません」
デュシスは答えずに、練習用の剣を立て掛けて、その場をあとにした。
元々口数が多い方ではなかったが、フィーリティアといるときはいつもに増して話さない。
フィーリティアはデュシスの姿が見えなくなると、ほっと一息ついた。
(あのとき……私が防御しなかったら、デュシスさんは剣を止めたのかな?)
冷静になると、疑問が湧いてくる。
もし、あのまま力任せに振り下ろされていれば、彼女は意識を失っていた可能性が高い。そう思うと、身震いせずにはいられなかった。
そんな暗い想像を振り払うようにフィーリティアはぶんぶんと頭を振り、それからしっかりと立ち上がった。
剣を片づけると、この練兵場を出る。ここは勇者たちに限定して解放されている場所だが、彼らの多くは利用しないため、たいていの場合、無人となっていた。
それから彼女は身嗜みを整える。先ほど転がったため、裾には汚れがついていた。
衣服は剣や防具とともに支給されたため、コナリア村を出発したときとはまるで異なっている。
しかし、ほかの者とも違うところもあった。
フィーリティアは尻尾をぱたぱたと軽く振って汚れを払ってから、付け根を確認する。そこには、尻尾を出すための穴が空いていた。
この衣服が制服というわけではないが、勇者に憧れる者からすれば、自ら切り裂くなどむげに扱っていると言われかねない。そうはいっても、こうするしかないのだが。
そんなことを考えていると、コナリア村での生活が懐かしくなった。あの村では、こんなことを気にする必要もなかった。
(……フォンくん、今頃なにしているかなあ)
あのような別れ方になったことを、フィーリティアはずっと気にしていた。
せめて、きちんと話をできればよかったのに。
けれど、悩んでいても仕方ない。彼女は顔を上げると、
(フォンくんの分も頑張らなくちゃ!)
拳をぐっと握るのだった。
◇
西の都市で十数日を過ごしたフォンシエは、この日も礼拝堂に来ていた。
彼の格好は、来たばかりのときと比べると、随分と変わっている。
手には血がついた外套を持っており、今しがた依頼をこなしてきたことが窺える。そして胴体には簡素な皮鎧を纏っていた。腰の辺りには小さな連弩もある。
どれも依頼をこなして得た金で購入したものであり、すっかり魔物との戦いも板についてきた頃だった。
彼が女神マリスカに祈りを捧げると、レベルが表示される。
レベル 2.25 スキルポイント600
あれからフォンシエは、狩人の敵の位置を探知するスキルと、その前提として必要な「弓術」スキルを取り、暗殺者のスキル「気配遮断」――魔力を消費し、移動に伴う風や音などを低減する――を取っていた。
つまるところ、敵に気づかれずにこちらから仕掛けられるようにスキルを選んでいたのだ。
一人で戦い続けているからこそ、そのようなスタイルになったと言えよう。
(だけど……それだけじゃ力が足りない)
勇者の職業を持つ者は、レベルが上がるだけでも魔力や身体能力がどんどん上がっていく。村人なんかじゃどれほどレベルを上げても到底追いつけないほどに。
だから、能力を底上げする必要がある。
そのために、長い間ポイントを貯めてきたのだ。
彼はスキルポイントを500用いて、剣士の上位の性能を持つ職業である剣聖のスキル「剣術」を取る。
これは剣士のスキルと重複するため、さらに剣技と身体能力が上がることになる。
勇者にこそ及ばないが、兵として前線に立つ上で、大軍を率いる将として期待されるほどの職業だ。
つまり、特別な存在である勇者を除けば、最もバランスよく能力を上げられることができる。
残りの100ポイントを用いて戦士のスキル「筋力増強」と「鋼の肉体」を取る。力強さと丈夫さを上げるものだ。
斧や大剣などを主に用い、力任せに振るう戦士の初期スキルである。
これらにより、フォンシエの能力は大きく向上することになった。
彼は祈りを済ませると、礼拝堂をあとにする。
体は軽く、力がみなぎってくる感覚があった。
(俺の力がどの程度のものなのか、試してみたい)
そんな気持ちがふつふつと湧き起こり、彼は今日の依頼を済ませたばかりだというのに、またしても市民ギルドに戻っていく。
そうして張り紙を眺めていると、受付嬢もすっかり慣れた様子で彼に頭を下げた。
彼女だけじゃなく、ここに何度か足を運んでいる者であれば、フォンシエのことはよく知っていた。
朝から晩まで依頼をこなす、しかしどこのギルドにも所属していないという奇妙な人物像も、謎として好奇心を刺激していたのだろう。
視線を気にもせずフォンシエは依頼を眺めていたが、どうにもめぼしいものがない。そもそも、元々魔物関連の依頼、それもただの村人が受けられるものは少なかったのだ。
この十数日間、ひたすら彼が消化し続ければなくなるのも当然である。
(どうしたものか。別の都市にでも行ってみるか)
そんなことを考えていると、受付嬢が連絡用掲示板に紙を貼り始めた。
市民ギルドからの連絡事項だけでなく、社会情勢などについても書かれているため、ギルドに所属していないフォンシエにとっては重要な情報源だ。
じっと眺めてみると、ゴブリンロード出現により、立ち入り禁止区域に設定されていた森が指定から解除されたとのことだ。
しかし、ゴブリンロードが討伐されたとはどこにも書いていない。
(……見つからないから、諦めたのか)
ゴブリンくらいしかいない森を探し続けたところで、都市にとって収益はほとんどない。
人員だってただではないのだ。
ゴブリンロードが都市を襲う計画を立てているのでもないなら、放っておいて、そのうち出てきた個体を倒せばいい、ということなのだろう。
(……けど、それは誰かが犠牲になるってことだ)
それはのんびりと街道を進んでいた商人かもしれないし、森に行った新人かもしれない。
少なくとも、最初に接触した人物は無事では済まないだろう。
(どうせこの辺りの魔物もいなくなったんだ。丁度いい。……あいつを倒す!)
フォンシエは覚悟を決める。
勇者となったフィーリティアは大々的な活躍をしていることだろうが、自分とて小さなところから積み上げていき、いずれは彼女と立ち並ぶつもりなのだ。
いつまでも、あんな魔物一体に怯えてなどいられない。過去に囚われてなどいられない!
フォンシエはすぐさま市民ギルドを出て宿に戻って荷物を取ると、門を出て東の都市に向かって走り始めた。
体は軽く、どこまでも行けそうだ。
道中の魔物を蹴散らし、来たときの半分の時間で東の都市についてしまう。剣聖のスキルによる恩恵は随分大きいようだ。
フォンシエが門のところに行くと、門番は彼を上から下まで眺める。
「少し見ないうちに、立派になったじゃないか」
「ええ。少し、向こうで稼いできまして」
「いい面構えだ。もう一人前だな」
肩をぽんと叩かれる。
彼と親しいわけでもないが、ずっと一人で黙々と戦いを続けてきたフォンシエは、なんとなく誇らしい気分になった。
それから彼は荷物を宿に置き、すぐに森へと向かっていく。
この都市には市民ギルドもないため、これといって情報を仕入れる場所がなかったのだ。
(俺はあいつを乗り越え、もっと強くなる。もっともっと、どこまでも!)
覚悟を決めたフォンシエは、森の中へと足を踏み入れた。
もう、前のときのような緊張もなければ、不安もない。
ゆっくりと日が傾いていく中、彼は木々の生い茂る薄暗い場所へと向かっていった。