79 東の水域へ
フォンシエが見据える先では、湖の周りに数十体のダークウルフと、それを率いるアストラルウルフの姿があった。
そこまで強い魔物ではないが、統率力に長けており、無駄な動きをする個体もいない。
フォンシエは気づかれないように息を殺して成り行きを見守る。
アストラルウルフどもは湖の周りを移動しており、それに対して湖から飛び出したマーマンが襲いかかっていた。
次々と水中から現れるそれは、銛を構えて貫かんとする。一方でダークウルフはさっと回避して、その足に食らいつくと、見事な連携で引き倒し、あっという間に全身を噛み千切っていった。
その光景にはぞっとしてしまう。あそこにたった一人放り投げられたなら、力なきものは一瞬であのようなぼろぼろの姿に変わり果ててしまうのだから。
出てくるマーマンはときおり、「初等魔術:水」によって水球を放つも、それが当たることはない。
このまま一方的に戦いが終わるかと思いきや、突如湖面が盛り上がった。
「ギュッギュゥウウウ!」
奇っ怪な鳴き声を上げながら飛び出したのは、山のように大きな甲羅であった。
(まさか魔王か!?)
フォンシエが息を呑む中、水中から現れた巨大な亀の魔物は、柔軟性のある前足で一体のダークウルフを押さえていた。いや、もはや大きさの違いから、つぶしてしまったと言ったほうが近いか。
そして長い首を伸ばしてダークウルフを咥えると、バリバリと音を立てて噛み砕き、呑み込んでしまう。
一瞬の出来事であった。
水中から頭と前足だけを岸に乗せているあれは魔王ではないが、水棲の魔物の中では強力な上位種の魔物ヒュージタートルだ。
そこまで素早いわけではないが、甲羅は非常に硬く、かといって頭を切ろうとすれば柔軟に首を引っ込めてしまう。
背後に回って後ろ足を切るのが無難なところだが、水中にいる場合は水をかくことでくるりと向きを変えてしまうだろう。
(戦闘に向いた職業がいなければ、対応は難しいか)
フォンシエは敵を見つつそう判断する。
レベル40程度の狂戦士がいれば、力尽くで甲羅を叩き割ることもできるかもしれないが、それは下策だろう。
そしてフォンシエは多彩なスキルがあり、鬼神化によって膂力を上げることも、幻影剣術や光の剣で切断力を高めることもできるが、常時、重量のある武器を振り回せるわけではない。
フォンシエがこちらは放置して調査を続けるように合図を出した瞬間、ヒュージタートルが動き出した。
ズシンと一歩を踏み出すと、アストラルウルフどもは警戒を強め、距離を取る。
そうすると水が動き、中から亀の魔物が現れた。小柄で青い甲羅を持つ最下位の種であるブルーシェルと、それとヒュージタートルの間に存在する中間の種である赤い甲羅のレッドシェルだ。
三段階の大きさがあり、人の身長よりも高さのあるレッドシェルの合間を埋めるようにブルーシェルが動く。
陸上では動きの遅いそれらの魔物も、水を操ることでスムーズに活動することができている。
それらが迫ると、アストラルウルフはすぐに撤退を決め込んだ。この状況下では勝ち目がないから賢明な判断だろう。
フォンシエはすぐさま距離を取る。このままでは、あの狼どもの群れと接触してしまうから。
せっせと足を動かして、集団はさらに東へと向かっていく。すると、一人が尋ねてきた。
「フォンシエ様。あちらは放置していてよろしいのですか?」
「魔王セーランがいないなら、対処できるはずだ。できるだけ魔王の侵攻を食い止めたい。先により上流で流れを止めておき、下流はあとからつぶしていく」
彼らは斥候として出るときから覚悟していたとはいえ、主な役割は魔王セーランが近くまで来ていないかどうかを調べることだ。
かなり奥深く、できるところまで近づこうというフォンシエの提案には、息を呑まずにはいられない。
けれど、それでも彼らは頷いた。勇敢な者たちだ。
そうしてフォンシエはさらに水の流れを辿っていく。途中には、いくつもの中間地点と思しき場所があった。分岐しているところもある。
途中で魔獣どもを蹴散らしながら東に向かっていったフォンシエだが、いよいよ水棲の魔物ばかりになってきた。そこはもはや、川というレベルではない。
そこかしこに激しい流れが存在しており、枝分かれと合流がすさまじい頻度で繰り返されており、もはや迷路のようになっている。
「これ以上は進めないな」
陸地がないのだ。準備もせずに向かうのはあまりにも無謀。
だが、この先に魔王がいるのは明らかだ。となれば、ここよりも下流で、かつできるだけ上流に近いところをせき止めてしまえばいい。
「主な敵の拠点は覚えているか?」
「メモを取っております」
フォンシエはそれを眺めると、いくつかの点を指し示した。
「上流では音を立てないように、「初等魔術:土」で流れを変えていく。そして円を描くようにくっつけて、そこで流れを断ち切る」
自然にできた川ではなく、魔物によるスキルで生み出されたものゆえに、流れを変えることはそこまで難しくない。
しかし、男たちの顔にはまたしても疑問が浮かんでいた。
「……作戦は帰還後に考えられることになるかと存じますが」
「そうだろうね。だから、君たちはこの情報を持ち帰ってくれ。俺が帰る途中で、やっていくだけだから」
この勇者モドキは狩人や暗殺者、暗黒騎士のスキルを使ったのみならず、今度は魔術まで使うという。
しかし、これまで嘘をついてきたわけではない。斥候部隊の者たちは、とっくに彼の力を信頼していた。
だからあっけにとられつつも、出てくる言葉は呆れではない。
「ご武運をお祈りしております!」
「そっちこそ。早く情報を持ち帰ってやってくれ。首を長くして待っているはずだから。それこそ、ヒュージタートルのようにね。ああ、くれぐれも最後まで慎重にね」
探知のスキルを持たない彼らだから、フォンシエがいなければ危険性は高まる。
しかし、たとえ誰かが欠けようとも、最後の一人になるまで西へと駆け続ける。そんな覚悟が見て取れた。
フォンシエはたった一人になると、先ほどの地図を思い出しながら移動し始める。
細い川が見えてくると、フォンシエは「初等魔術:土」を用いて川の真ん中を盛り上げて、さらに「初等魔術:水」によって流れを強引に分けてしまう。
そうすると、川の中に潜んでいたマーマンが勢いよく水球を放ってくる。
彼はさっと回避すると、狙いを定めて光の矢を放った。それはマーマンが回避するどころか、放たれたことに気づくよりも早く頭部を飛散させる。
そして魔物どもを引き連れるような状態になりつつも、地形を変えて水を操り別の川のところまで水を引っ張っていく。
そうすると一緒に魔物があちこちから流れ込んでくる。
半透明なぶよぶよした球体状の水棲の魔物アクアスライムが水に乗って飛び出した。
これは低レベルの魔物で、職業を取って数日の者でも、いや、それ以前の子供でも倒せないこともない。
だが、生命力は強く、水のないところで再生不可能になるまで千切らねばならない。
くっつかれたところで振りほどけばいいだけだが、口元などを押さえられると窒息の可能性がある。
フォンシエは厄介だと思うと、魔力を高める。
そして「初等魔術:炎」を放った。火球は数体のアクアスライムを木っ端微塵に吹き飛ばす。そこまで飛散すれば、いかに水があるといえども、再生できるはずもない。
そうして魔物を仕留めたフォンシエは、片っ端から敵の作り上げた川の流れを変えていく。
魔力を消費し続ける作業ゆえに、時間をかけてゆっくり回復するスキルでも効果がある。
それゆえに魔力を用いて付与術師の「魔力回復強化」を用いたとしても、最終的な収支はプラスになるため有効だ。
「消費魔力減少」や「付与術増強」なども取っているため、このような作業では結構な影響がある。
しばらくそうして作業を続けていると、上流ですべきことはほとんど終わった。下流では、ヒュージタートルがいたような拠点となっている場所をつぶす予定である。
(よし、そろそろ仕掛けていくか)
途中で魔物がわんさかいる拠点があり、それが上流と下流を束ねる唯一の流れとなっている箇所があるのだ。
フォンシエはせっせと移動した後、木陰から隠れて様子を窺う。
上流に向かっていくときに見ておいたため、予定どおりの光景が広がっている。
大きな湖であるが、おそらくは土や岩を掘って作ったのだろう、湖の側には積み上げられた岩がある。
水中には数多の魔物がいるため、一体ずつ仕留めていくのは無理がある。まとめて吹き飛ばしたいところだが、水中では「高等魔術:炎」は利用できない。そして「高等魔術:土」も取っていないため、地形を思い切り変えることも難しかった。
だからフォンシエはしっかりと狙いを定めると、魔力を高め始める。その場所は、湖ではなく、近くに積み上げられた岩山である。
異変に気づいた水棲の魔物どもは慌てて彼の存在を探し始めるが、「隠密行動」や「気配遮断」のある彼を咄嗟に見つけることなんてできやしない。
「吹き飛ばせ!」
フォンシエの魔術が炸裂する。
轟音ともに爆発が起き、そして岩が崩れる音が聞こえる。
激しい水音が聞こえるが、岩の動きすべてをコントロールできるほど、高等魔術は繊細ではない。
土煙の中、フォンシエは探知のスキルを用いて様子を探る。
と、そこには宙に浮かぶ魔物の姿があった。




