68 進化
空へと舞い上がった甲虫は、羽音を激しく鳴らしていたが、次の瞬間、大きく膨れ上がった。
銀の甲羅が割れて中から出てきたのは、黄金の外骨格。みるみるうちに大きくなっていったその魔物は、興奮のあまり、ギィギィと音を立てる。
あれはもはや、ただの個体ではない。
メタルビートルの最上位種であるキングビートル。魔王であった。
「進化しやがった……!」
ティモが思わず呟いた。
魔王メザリオが率いてきたはずの軍勢だ。となれば、あの個体と合わせて二体の魔王がいることになる。
「なんてこった……」
ヴェリエが呆然とする。
たった一体でも相手をするのが難しい魔王が、さらにもう一体。生まれたばかりの弱い個体とはいえ、魔王であることに変わりはなく、その最上位の種に恥じない力を持っている。
それが同時に二体存在しているとなれば、並大抵の戦力で相手をできるはずもない。多くのメタルビートルがいる以上に、難しい状況となった。
勇者たちが息を呑む中、フォンシエはその魔物をじっと眺めていた。
(あいつは……俺が切った個体だ!)
よく見れば、角が欠けている。進化の時に多少はマシになったようだが、その前のメタルビートルのときには完全に切り落とされた状態だった。
以前たった一人で調査に向かったフォンシエは、魔王メザリオを見つけたとき、帰りに襲われて角を切り飛ばした覚えがある。通常、損傷した個体は戦力で劣るため、自然と淘汰されていくものだが……。
その新たな魔王は激しく音を鳴らし続けていると、もう一体の金色の昆虫が舞い上がってきた。こちらは太く大きな角がしっかりある。そして先の個体よりもずっと大きい。
おそらく、数多の外敵を殺してきたのだろう。
あれが魔王メザリオ。
メタルビートルを率いてこの都市を滅ぼした魔王!
フォンシエのこぶしを握る力が強くなる。
どうにもできない無力さにうちひしがれることしかできないというのか。ここで見ていることしかできないというのか!
だが、その二匹は予想外の行動に出た。
新米魔王が魔王メザリオに向かって音を立てると、メタルビートルが数体、浮かんでくる。そして幾度となく、両者の間で音が鳴らされていた。
(仲間割れか?)
新たな魔王が独立することは珍しくない。魔王ランザッパのように、魔王の下についているほうがどちらかといえばレアケースだ。
だが、そういうわけではなかったらしい。
新米魔王はくるりと向きを変えると、フォンシエたちがいるほうへと飛んでくる。
咄嗟に隠れた彼らだったが、気づかれていたのではないかと気が気でない。もし、都市に潜んでいる大群に襲われたなら。
逃げようもなく、蹂躙される可能性が高い。
なにしろ、北に逃げても開拓村には戦力が乏しく、かといって都市のほうに向かうには、あれらの横を通り過ぎていかねばならないのだから。
そうならないことを祈りながら、彼らはじっと息を潜める。
冷や汗がどっと流れ出す中、羽音が近づいてくる。やがてそれは頭上まで到達すると――すっと通り過ぎていった。
勇者たちが安堵の息をついたが、フォンシエは北へと動き出そうとしていた。
「あの魔王は、俺を探しているんだ。俺が仕留め損なった個体だから」
「果たして魔物に復讐を考えるだけの知能があるでしょうか?」
ヨージャが返答する。
「わからないけれど、あいつが開拓村に向かっているのは事実。だから、俺はあいつを止めにいかなきゃならない」
「……魔王とやろうって言うのか?」
今度はティモが嫌そうな顔をした。魔王と戦うのは、契約の範囲外だ。そもそも、魔王と出くわせば逃げると話している。
だけど、フォンシエは頷いた。たとえここで彼らが離脱しても。自分だけは背を向けるわけにはいかなかった。
「降りたければ、ここで降りてもらっても構わない。無理を言って悪かった。でも、俺は行くよ」
フォンシエが動き出すと、フィーリティアがすぐ側にやってくる。そして軽く小突いてみせた。
「フォンくんだけに任せなんてしないよ。一緒に、倒そう。今度こそ、奪わせない」
「ありがとうティア」
たった二人で魔王に挑むなんて、正気ではない。
けれど、この二人には、それさえもやり遂げてしまうと感じさせる風格が伴っていた。
経験も浅く、力も未熟。だというのに、人を引きつけるものがある。なぜかは誰もわからない。けれど、英雄というものは得てしてそうなのかもしれない。自ずとほかを巻き込んで動かしていく。
それに影響されたのか、それともギャンブラーの血が騒いだのか、堅実なヨージャがすっと彼らに加わった。
「魔王討伐には加わりませんが、メタルビートルなら引き受けましょう」
「ヨージャさん! ありがとうございます!」
フィーリティアが大きく頭を下げる。
そんな状況になると、ティモはため息をつきながら頭をかき、ヴェリエもヨージャのところにやってきた。
「はあ……なんかあったら、特別手当をくれよな」
「もちろん、奮発しますよ。魔王は私たちが引きつけますので、それ以外の個体をお願いします」
フィーリティアは告げると、駆け出す。
あの魔王はかなりの勢いで移動していた。それゆえに、もう結構距離が開いている。このままでは開拓村に接近してしまうだろう。
しかし、ここですぐにおびき寄せるわけにはいかない。せめて、魔王メザリオの目が届かないところまで行かなければ。そうでなければ、あの魔王を孤立させることができない。
大移動の跡が残る森を北へと戻っていく。
黄金色の甲虫は、空をずっと進んでいた。どうやら、途中にある村々には興味がないようだ。
フォンシエは手に汗握る状況で、興奮の最中にあった。
(もう、お前たちに奪わせてなるものか!)
二度とあんな思いはしたくない。
魔王ランザッパに、初めて仲間と呼んでもいいと思った傭兵たちを殺されたとき。指をくわえて見ていることしかできなかった。
だけど、今は違う。
このために力をつけてきたのだ。今、あいつの暴威を止めるためにこれまで戦ってきたのだ!
フォンシエは大きく息を吐き、集中力を高めていく。
やがてキングビートルは、魔王メザリオが以前いた場所の近くを旋回するように飛んだ後、近くの緑のない場所へと移動を始めようとした。
そこにあるのは開拓村だ。
メタルビートルに備えて準備しているとはいえ、魔王の襲撃を食らえば、あっという間に瓦解するだろう。
フィーリティアはすぐさま狙いを定める。その表情に怯えや戸惑いはなく、極限の集中力が浮き世離れした美しささえ醸し出していた。
そして狙いどおりに光の矢が放たれる。
突如放たれた光の矢に、キングビートルは反応が遅れた。胴体の中心を狙っていたゆえに回避は間に合わず、光は黄金色に向かって飛び込んでいった。
羽の一部と胴体の端をえぐり取っていった光の矢に、魔王が姿勢を崩す。そしてそこ目がけて、次の矢が放たれていた。
こちらの狙いはかなり荒い。
だが、姿勢を崩した相手に対してはそれでもさほど問題はなかった。
放たれた村人の光の矢は、魔王の胴体にもう一つの穴を空ける。強固な外骨格のせいか、小さなものに過ぎないが、確かに効果はある。
そしてキングビートルの視線が、村人に向けられた途端――
「ギュギュギュギギギギイイイイ!」
激しい音を奏でながら、魔王は村人へと迫ってくる。
その勢いたるや、メタルビートルどもを置いてけぼりにするほど。
「生きて帰れよ。報酬の手続きが面倒になっちまうからな!」
ティモがそんなことを言いながら、その場を離脱する。
そしてフォンシエはフィーリティアと二人で魔王を迎え撃つことになる。
後ろのメタルビートルは、勇者たちがなんとかしてくれるだろう。幸いにも、魔王が突っ込んできたためそちらとの距離は開いている。引きはがすにはこの上なく都合がいい。
(あとは、俺たちがこいつを仕留めればいい!)
フィーリティアが光の矢で迎撃しようとするも、キングビートルは躱して迫ってくる。
フォンシエはすらりと剣を抜き、覚悟を決めた。




