64 たった二人でできること
眼前で生じるメタルビートルの羽音を聞きながらも、フォンシエの決断は早かった。
迷うことなく、相手へと向かっていくことにしたのだ。
すでに、ほかの個体も集まってきている。ここで判断を迷えば、もはや逃げる機会などあるはずがない。
なにより背後に上位の魔物がいる。魔王と呼ばれる存在がある。
たった一人では到底太刀打ちできないそれに追いつかれては一巻の終わりだ。そうなる前に、この場を離脱しなければならない。それができなければ、待っているのは……。
フォンシエは勢いよく飛び込んでいき、強大な角による一撃が放たれると、咄嗟に神聖剣術のスキルを用いて受け流し、そのまま通り過ぎようとする。
だが、メタルビートルは続けて前足による平手打ちを放ってきた。それは直撃すれば、首の骨をへし折るほどの威力がある。
先ほどの一撃を回避したせいで、フォンシエの態勢は崩れている。回避するにも難しかった。
彼は「神聖剣術」に「神速剣術」を併用して、その一撃を弾く。そして瞬間的に鬼神化のスキルを用いて一気に跳躍した。
これで敵の集団の包囲は抜けられるはず。
しかし、離れたところにいた一頭が、フォンシエへと向かってきていた。
とりわけ勇猛な性格だったのだろう、真っ直ぐに、角をぶち当てるように突っ込んでくる。
フォンシエは一つ息を呑む。そしてタイミングを合わせて、剣を軽く切り上げた。
光を纏ったその刃は、敵の角を一撃で切り落とす。半ばから落とされたその衝撃に、メタルビートルが恐れおののき動けなくなる。
フォンシエは一気にその場を離脱する。木々に紛れ、昆虫の魔物に見つかりながらも、ひたすらに距離を取っていく。
絶え間なく聞こえてくる羽音には怯えずにいられない。敵は無理に追ってこようとはしていなかったらしく、次第にそれも聞こえなくなってくる。
しかしフォンシエは、メタルビートルが見えなくなったというのに、まだ緊張感が拭えなかった。
(魔王メザリオが実在した。そして魔物を集めている。これが意味することは……)
人の領域への侵攻が行われようとしている。
それが一番妥当な答えだった。
(今から村に行ってそれを伝えたとして、どうなる?)
混乱に陥るだけだ。今ある戦力での警備は常に行っている。それ以上にできることはない。
ならば、都市に行くしかない。
フォンシエは南へと向かっていく。カヤラ領の主都に辿り着けば、魔王に対して戦いの準備を行ってくれるはずだ。
焦りが募る中、彼は魔物を蹴飛ばし、ぐんぐんと南へ進んでいく。時間の進みがやけに遅く感じられた。
そしてようやく森を抜けると、彼は泥だらけのまま、都市へと向かっていく。必死の彼を見て門番がぎょっとした。
「おい、お前……」
「魔王と思しき魔物がいた。至急、連絡が取りたい」
「なんだと!? わかった、すぐに取り次ぐ。おい! ここの警備は任せた!」
門番はほかの男にここを任せ、すぐにフォンシエを都市の中央へと連れていってくれる。そしてそこで、フォンシエは事情を話すことになった。
「開拓村の北東部に村を七つ分ほど進んでいったところに、メタルビートルが数十体。そしてとりわけ大きな、通常の何倍もある角を目撃しました。全貌は捉えられませんでしたが、あれは間違いなく上位個体。魔王に違いありません」
フォンシエは早口で一気にまくし立てる。すぐに兵を出してもらわねば、と焦りが募っていたのだ。
しかし、相手の反応は薄い。
「連絡、ご苦労であった。すでにこちらでも北への備えはしてある。多少持ちこたえれば、勇者を呼ぶ手筈も」
「それでは、開拓村を捨てると言うのですか!」
「魔王がそちらに向かうとは限らない。それに、元々魔王の領域を削るために行った策だ。魔王が攻めてくるならば、そこで食い止めればいい」
ようするに、あそこはまだ人の土地と見なされてすらいないということ。だから人の領域は荒れないということだ。それだけで、あの開拓村の価値は十二分にある。
仮にそこで食い止められなかった場合、ゼイル王国とカヤラ領の間を押さえられ、分断される可能性があったのだから。
そして、そこの人は小さな犠牲に過ぎないということだ。ここでもまた、命の重みがのしかかる。
(……もし、そこにいるのが勇者たちだったなら、反応は変わっていたのだろうか。そこが、上位職業の者たちの村になっていたら、違う結末を迎えていたのだろうか!)
フォンシエはぐっと歯噛みして、つかみかかりたくなるのを押さえて、努めて冷静に返す。
「つまり、見捨てても構わない命とおっしゃりたいのですか」
「多少、こちらから援軍は送ろう。しかし、カヤラ領は広い。北の備えのみならず、南の魔王フォーザンにも対応せねばならない。東は調査中、北東の魔王セーランにも動きがありそうだ。どこに余力がある?」
カヤラ領は疲弊しきった土地だ。魔王の支配が解けたからといって、急に元には戻らない。
ゼイル王国が派兵したり物資を送ることでなんとかなっているが、魔王に取り囲まれた土地なのだ。
どうしても兵は足りない。後手に回らずにはいられない。
それはつまり、人が殺されてから、敵の動きがわかってから攻め込むことしかできないということ。
「……どうにもならないのですか」
「残念だが。君のおかげで、こちらの調査もやりやすくなるだろう。確認が取れ次第、報酬を渡そう。また後ほど、訪ねてきてくれ」
そう言うと、彼は忙しそうに退室していった。
フォンシエは拳を握りながら、うつむきがちのまま、立ち上がった。
先に知ることができれば、先手を打てると思っていた。だけど、それは小さな個人の動きに過ぎない。大きな集団がそれほど迅速に動けるはずもなかった。
(……俺にできることはなんだ?)
ただ、見間違いだったことを、敵が来ないことを祈るだけ?
きっと、なにかある。できることがあるはず。
フォンシエは開拓村で死んでいった者たちの姿を思い浮かべる。彼らの多くは、ほとんど接点がなかった。
けれど、それでも同じ村で過ごした者が死ぬというのは堪えがたいものがある。
(まずは動こう。このままじゃいられない)
フォンシエは都市を飛び出すと、開拓村に向かっていく。
今日はずっと走りっぱなしだったから、体は悲鳴を上げそうだ。
しかし、それでも鍛えられた肉体は動いてくれる。どんどん、思った場所へと近づいてくれる。
やがて村に辿り着くと、そこでは晩飯の支度がされているところだった。
泥だらけのフォンシエを見て驚いたのはフィーリティア。
「フォンくん、なにがあったの……!?」
「ちょうどよかった。ティア。少し話があるんだ」
フォンシエに誘われ、フィーリティアは心配そうについてきてくれる。そして村の者に聞こえないところに来ると、フォンシエは話を切り出す。
「北東部に行ったところで、メタルビートルの集団がいた。そして、おそらく魔王も」
フィーリティアは声こそ上げなかったが、驚きに目を見開く。
「じゃあ、すぐに逃げる準備をしないと……」
「どこにそんな先がある?」
そもそも、移住者たちは行き場のない者たちだ。ここを離れたからといって、行き場はない。
なにかしらの技術があって、都市での生活を始められる者はいい。しかしそうでない者は……。
「それに、ここに来るかもしれないのは可能性の話だ。なにもないかもしれない」
「だけど、それを祈るのは……」
「ああ。都市も援軍も寄こしてくれるだろうが、当てにはならない。だから、ここでは少ない数のメタルビートルが目撃されたから、警戒態勢を取るように告げる。それが一番パニックにならず確実に防備を固められる方法だ」
フォンシエの言葉に、フィーリティアは不安を拭えない。
その程度では、魔王の襲撃に耐えられるはずがないから。
「そして、それを現実にする。メタルビートルが少数しかいなければいいんだ」
「そんなこと、二人でできるはずが……」
こんな状況だというのに、フォンシエは思わず口の端を緩めてしまった。フィーリティアの言葉には、当たり前のように、彼女自身も頭数に入っていたから。
その優しさに、頼もしさにフォンシエは心を打たれる。
「俺たちだけじゃ無理だろう。だから、人を雇おう。俺は今までの戦いで得た報酬が全部残っている。そしてカヤラ領の都市でも、報酬をもらう約束をしている。誰か、勇者の当てはないか?」
魔王を倒すとなれば、勇者はどうせ駆り出される。
だからそれより高い報酬で、魔王ではなくそれより弱い魔物を倒すとなれば、引き受けてくれる者もいるだろう。
「わかった。私も手をつけていない報酬があるから協力するよ。金額は……」
二人で計算した結果、数人ならば来てくれるだろうとフィーリティアは告げる。
普通の傭兵ならば何十人、何百人と雇えるだろうが、それでは意味がない。メタルビートルをあっさりと切り裂けるのは、光の剣だけなのだから。
「ティア、君まで俺の身勝手に巻き込んでしまってごめん」
「ううん。きっと、フォンくんが思っていることも、私が願うことも一緒だから。……さあ、頑張ろう。私はゼイル王国に行ってくるから」
「その間は、俺が持ちこたえる。必ず」
フィーリティアが西の王都へと向かい、フォンシエが傭兵たちに事情を説明し始める。開拓村は急に動き始めた事態に、騒々しさを増していった。




