50 あのときの約束を、もう一度
フィーリティアは、額に汗を浮かべていた。
アルードが魔王を引き離してやりやすくしてくれたとはいえ、この魔王はかなりレベルが高いらしく、レベル30かそこらの勇者には荷が重かった。
その上、相手は勇者の死体を利用している。勇者の数は少なく肉体を普通は得られないものだが、それが現実となって、死霊の魔王として抜きん出てしまっていた。
ここで仕留めなければ、やがてこの相手は国家規模の脅威となり得る。
「慌てるな! 必ず勝機はある!」
ヨージャが確実に敵を追い詰めながら、激励する。
確かに、このまま続けば敵を弱らせることも可能だった。死霊の魔物ゆえに、いかに勇者の肉体を得たとしても、そのスキルを長くは使えない。
一人の勇者が背後から切りつけると、魔王は僅かに剣を浴びながらも、フィーリティアへと切りかかった。
鋭い一撃が放たれると、フィーリティアは光の剣と光の盾を同時に使用して、なんとか攻撃を受け流す。
連続して剣が放たれると、ヨージャがすぐさま援護に入った。
一撃が重い。フィーリティアは緊張感のあまり、気分が悪くなるほどだ。
これが魔王。彼女がこれまで戦った魔王ランザッパなどとは比べものにならない。
ターゲットが切り替わると、フィーリティアはほっとしてしまう。これではいけない、と思いつつも、どうしても気持ちまでは制御できなかった。
彼女がベテランの勇者ならば、幾度となく修羅場をくぐり抜けてきたならば、自分を抑えるすべもあったのかもしれない。
しかし、彼女は若かった。
いや、フィーリティアだけじゃない。数年の経験がある勇者だって、青ざめている者もいる。
敵の猛攻はすさまじく、人数差による有利などまったく感じられなかった。
「くそっ! この!」
勇者の一人が切りかかる。だが、魔王はそれを受け流すと、思い切り蹴飛ばした。
地面に転がりつつもなんとか立ち上がるが、陣形は崩れてしまう。
魔王はそれを好機と見て切りかかった。
「させるかあああああああああ!」
飛び出したのはグロウだ。ここで勇者を一人でも失ってしまえば、魔王はますます調子づくことが見えていた。
だが、魔王は表情一つ変えずに、そちらに指を向けた。
途端、そこから光が放たれる。
「ガッ……」
空気の漏れる音。そして大量の血がどっと流れ出した。
グロウの胸部には穴が空いており、もはや助からないことは誰の目にも明らかだった。
勇者たちの足が止まった。自分もああなるのではないか。その恐怖を少なからず抱かずにはいられなかったから。
「迷うな! 動け! あいつを自由にさせてはならない!」
ヨージャがぐっと堪えて叫び続ける。
なんとか勇者たちも動き出すが、すでに疲労も溜まってきていた。
魔王はいくつかの傷跡があり、肉体的にはかなり破損してきている。しかし、本体である死霊の部分にはダメージがほとんど通っていないらしく、決定打を与えるまで止まりそうもなかった。
それだけじゃない。相手は光の矢を使えたように勇者のスキルに慣れてきている。
このままでは――。
互いに剣を振り合い、傷跡が増えていく。
戦いは苛烈さを増して、もはや他の者の入り込む余地などなかった。
やがて魔王はぐっと腰を落とすと、光の翼を利用して一気に動き出した。スキルの使用はできるだけ控えてきた魔王のことだ、ここを勝負所と見たのだろう。
その先にいるのはフィーリティア。一番若い勇者だった。
どうすればいい。フィーリティアは自問する。
一瞬、グロウの姿が頭を過ぎった。失敗すれば、自分もああなるのだ。
そう思うと、僅かばかり体がこわばった。
うまく受け流して、もっと経験豊富な勇者に任せてしまえばいい。そんなことすら頭には浮かんでしまう。
だけど……。
「ティア!」
声が聞こえた。聞き慣れた声がすっと頭に馴染んでいく。いつしか、緊張感は薄れていた。そして一つの思いが、約束が浮かび上がる。
(この魔物を倒そう)
そうすれば魔物がいない国になる。
フィーリティアが剣を構え、敵を見据える。もう迷いはない。極限まで高まった集中力は、時間の進みが遅くなったと感じられるほどだ。
魔王がフィーリティアへと狙いを定める。
そして魔王のすぐ近くで魔力が高まると――その体がこわばった。
(これは死霊術!)
一呼吸にも満たないほどのほんの短い時間。けれど、それだけで十分だった。
「やぁぁああ!」
フィーリティアは光の翼を使用して自ら飛び込み、剣を振るった。美しい光の軌跡が弧を描く。
それを邪魔するものはなかった。
魔王が宿っていた肉体が両断される。もはやこうなっては戦うことなどできやしない。
ふわり、と慌てて飛び出したもやのような死霊の魔物には、もはや魔王の威厳などありはしなかった。
フィーリティアはそこへと一突き。
光の剣は、魔王を打ち砕いた。
勇者たちが、ゆっくりと状況を把握する。
確かに、これで魔王は倒した。けれど、そこに残っているのは二つの勇者の死体だ。
そしてアルードのほうに視線を向けると、彼は勇者の死体を滅多打ちにしているところだった。
かなり荒っぽいやり方だが、すでに光の海の効果が切れており、そちらに力を使いすぎたせいか、あまり光の剣が使えていなかったのだ。だから数で補ったのだろう。
これで魔王は死した。
その事実に、傭兵たちは歓喜の声を上げた。それはあたかも波のように伝播して、都市中を振るわせる。
彼らの声を聞きながらフィーリティアは、じっと勇者の死体を眺める。自分が切ったのだ。いかに魔王に操られていたとはいえ、同胞だった者を。
そこで彼女は、フォンシエのことを思い出した。彼もまた、勇者を切っていた。
あのとき、彼はどう思ったのだろう。困っていれば駆けつけると言ってくれた。その言葉に嘘はないだろう。
けれど、それでも辛い思いをしてしまったのではないか。
あのときの自分は、フォンシエとともに生き残ることができたことばかりで頭がいっぱいになっていて、そのことを忘れてしまっていたのではないか。
そう思うと、どうしようもなく胸が締めつけられる。
「ティア、大丈夫か!」
そう思っていたフィーリティアのところに、フォンシエが駆け寄ってくる。
「私は大丈夫。それよりさっきの……フォンくんがやったの?」
「ああ。あまり大きな声では言えないけれど……このために、死霊術を取っていたんだ。役に立ってよかったよ」
「……また助けられちゃった。ごめんね、フォンくん」
フィーリティアの狐耳がぺたんと倒れる。申し訳なさでいっぱいだった。
思えば、彼女が勇者になったからこそ、フォンシエはこんなところにいるのだ。自分が戦場に引きずり出したとすら言えるかもしれない。
もし、自分が圧倒的に強かったなら。あるいは、勇者になどならなかったなら。
そう思ってしまう。
けれど、フォンシエは微笑んだ。
「俺はティアの力になれて嬉しいよ。それに、とても誇らしいんだ。こんなにも勇敢で、綺麗な幼なじみがいることに。だから、胸を張ってよ」
フォンシエは屈託のない笑みを浮かべた。
だからフィーリティアは、自分の感情をまったく抑えられなくなる。
今の自分は、どれほど赤くなっていることだろう。それを押し隠すように、フォンシエに体を預けた。
「あ……傷」
「大丈夫だよ。癒やしの力を使ったから」
フォンシエは戸惑うフィーリティアを抱き寄せた。
とても戦場には相応しくないやりとりだったかもしれない。だけど、ゆっくりと戦いの緊張感が解けていくのが心地よくて、しばらくはこうしていたかった。
「ありがとう、フォンくん」
フィーリティアは落ち着くと、ぐるりと見回して宣言する。
「魔王を討ち取った!」
その言葉に、歓声が一際大きくなった。
やがてフィーリティアや勇者たちのところへ、ヴァレンがやってきた。
「魔王の討伐、お疲れ様でした。あとは私たちがやりますので、どうか休んでください」
その言葉に甘えて、どっかと腰を下ろす勇者がいる。勇者の死体に死霊の魔物が宿らないよう、見張りも兼ねているのだ。
「それじゃあ、ティア。俺は魔物を倒しに行かないと」
「待って、私も一緒に行く」
二人とも、功労者ゆえに休んだところで誰も文句は言わないだろう。
けれど、街中にはまだ魔物がいる。
だから、あのときの約束をここで果たすのだ。今度は二人で。
「さあ、都市を取り戻すぞ。人々の都市を!」
フォンシエはフィーリティアとともに、剣を構えた。そして魔王がいなくなって混乱する死霊の魔物を片っ端から仕留めていく。
勇者になれない村人は、それゆえに今日一番の活躍を見せたのだった。




