44 カヤラ国
東国カヤラ国は、異様な空気に包まれていた。
動物や人影はおろか、虫の鳴き声一つ聞こえない。傭兵たちが移動する音だけが、風に攫われていく。
フォンシエたち傭兵は、国境を出たところで、隊長から指示が下された。
「これより、手筈どおりに隊を分ける。まずは手近な都市三つを奪還し、そこを拠点として後ろの守りを固める。この際、勇者が合流することになっているが、仮に合流に失敗したとしても、作戦に変更はない。魔王が出た際は、すぐさまそちらに勇者を向かわせるため、誰でもいいから応援を呼びに行くように」
あらかじめ聞いていたものと内容は変わらない。再確認のためのものだ。
それから三手に別れて、隊は別々の方向へと進んでいく。
(勇者が来るのか)
フォンシエはそう思うと、否応なしに緊張感が高まっていった。
この戦いは魔王モナクとの戦いよりもずっと、戦力が投入されている可能性が高い。それだけ、敵が強力だということだ。
南の魔王フォーザンや北の魔王モナクが侵攻してこないとは限らないため、王都にも戦力は残してきているが……。
なんにせよ、ここで敗北するわけにはいかない。重要な局面だった。
そう考えていたフォンシエは、傭兵たちを率いている者の中に、見知った顔を見つけた。
王都でこの戦いに参加するよう求めにいったとき、腕試しをした相手であるヴァレンだ。
彼は聖騎士ではないために、単独行動ではなく、こうして隊をまとめる役割を任されたのだろう。
ヴァレンが移動するよう告げると、傭兵たちも小走りで東へと向かっていく。担当するのは小さな都市だが、魔物の数が人口に比例するとは限らない。
慎重に進んでいくと、やがて向こうからやってくる人物が三人。勇者たちだ。
「これより我々勇者も都市の奪還に当たる」
「ご助力感謝いたします」
それだけのやりとりを済ませると、もう都市へと向かうばかり。
やがて市壁に囲まれた都市が見えてきた。上方には漂う死霊の魔物ども。
地上からは距離があるため、遠距離攻撃を持たない職業の者では、どうしようもない。
「狩人たちは聖職者および護衛の兵とともに都市を包囲しつつ、上にいるやつらを撃ち落とせ。残りで都市に攻め込む」
「では、私も彼らの援護をしましょう」
そう申し出たのは一人の勇者だ。
フォンシエは
(はて、勇者は遠距離攻撃ができただろうか?)
と思ってしまうのだが、それからふと、スキル「光の矢」があったことを思い出す。
とはいえどのようなものなのか見たことはないし、話も聞いていなかったため、具体的な印象は浮かばなかった。
ともかく、そうして隊が別れると、一気に門目がけて兵たちが駆けていく。
門番は慌てふためくが、彼らにできることなどありゃしない。
聖職者たちが杖を掲げて「清めの力」を用い、さらには「鎮魂の鐘」を発動する。それよりレベルの高い聖職者は「鎮魂の鐘」の上位スキル「天国の門」をも使用した
都市の上方に多くの鐘が生じると、一斉に音を奏でる。それらは重なり合って、小うるさいほどに響いていた。
さらにそのやや上方に、小さめな輪が生じると、辺りの死霊の魔物を吸い込み始めた。
「キィィィィイイイイイ!」
無数の金切り声が、都市の中から上がってくる。どれほど多くの者が叫んだのか、とても数えきれるものではない。
(……それほど多くの人が犠牲になったんだ。くそっ!)
フォンシエは剣の柄を握る手に力を込める。
城門を守る兵が打ち倒されると、開門するなり聖騎士たちが飛び込んでいった。
それに対し襲いかかってくるのは、この街の市民だ。
彼らは皆、戦闘の心得などありはしない。しかし、その中に潜む死霊の魔物が操っており、能力もそちらに合わされるため、とても油断できる相手じゃない。
鎮魂の鐘により動きは鈍っているが、それにしても……
「くそっやりづれえ!」
突出していた聖騎士は、繰り出される包丁を躱し、神聖剣術を用いた剣の柄で相手をぶん殴る。
一撃で昏倒した市民は、その衝撃で中からスピリットが出てきた。
素早く刃を突き入れると、それは一撃で霧散していく。
力量差があれば、そこまで手間取ることはない。しかし、明らかに首をはねてしまったほうが手っ取り早かった。
なんとも言えない苛立ちを抱え始めた瞬間、一筋の光が都市の上方に走った。
一度、二度、三度。それらが連続して放たれた次の瞬間には、あたかも雨雲が晴れ上がっていくように、都市を覆っていた死霊の魔物どもが消えていく。
降り注ぐ雨のような魔石が、家々の屋根に当たって、小気味いい音を奏でた。
(あれは……光の矢!)
フォンシエは初めて見たそのスキルの威力に、思わず息を呑んだ。
彼とて、魔術を使えばある程度弱い死霊の魔物ならば吹き飛ばすことができる。しかし、それには魔力が必要だ。
対して勇者はこれといった消耗もなく、あのスキルを使い続けることができる。
そちらにばかり気を取られていたフォンシエだったが、今度は地上で光が線を描いていた。
都市の奪還に加わった二人の勇者はそこらで拾った鉄の棒を振り回している。そこには光が纏わりついており、その一撃を食らった市民から死霊の魔物はあっさり飛び出して霧散していった。
勇者が持つ光のスキルは、死霊の魔物にも絶大な威力を誇るようだ。
ダメージを与える相手を厳選する技量といい、この勇者はフォンシエがこれまでに見た人物とは力がまるで違う。
(……だけど、俺は俺にできることをやらなければ!)
フォンシエは傭兵たちとともに、市民を捕らえては死霊の魔物を払って切っていく。
たいてい、身体能力で劣る聖職者は戦いの場から遠ざかるものだが、フォンシエは前線にて鎮魂の鐘を使っていた。ゆえに、魔物を狩るのもかなり素早く行えた。
と、そうしていたときのことだ。
頭上で散らされていたはずの大量の魔物が、一塊になって地上へと振ってくる。
それらの向かう先には、いつしか百を超える人の集団があった。そこに突っ込んだ死霊の魔物は、人をあたかもかき混ぜるかのように、ぐちゃぐちゃに潰して、一つの肉の塊を作り上げた。
「なんとおぞましい……」
一人の聖騎士が思わず呟いた。
あれは死者を食らうという死霊の魔物グールの上位種、グールロードだ。
肉の塊は常に食われ続けているのだろう。そして今もなお、あちこちからふらふらと引き寄せられた市民がその中に飛び込み、見るも無惨な姿へと変わっていく。
「俺たちが引き受ける!」
いち早く飛び出したのは、二人の勇者だ。
グールへ接近すると、肉片を浴びながらも果敢に攻めていく。
だが――
「くそ、きりがない!」
一人分のグールロードを切れば、また一人市民が供給される。それはすなわち、市民を切っているのと現実的には大差がない。
その責任感に、刃は鈍る。
(どうすれば……!)
近寄ってきた市民を殴り飛ばしながら、フォンシエはそちらに視線を向ける。途端、よく通る声が飛び込んできた。
「やむを得ない、家を破壊する! 魔術が使える者は、家の間を塞げ!」
しかし、魔術師は基本的に攻撃に晒されない後方にいる。そこからでは、狙って爆破することは難しかった。
だから、今こそ力を示すべきとき。自分ができることをやれる機会が回ってきたのだ!
たとえ勇者になれずとも。たとえその力が及ばずとも。
それでも、自分にしかできないことがある。今がそのときだった。
フォンシエは「中等魔術:炎」を同時に使用する。
規模は小さなものだが、的確に、相応しい場所で爆発が起きた。それにより、近づいてきた者たちが何人か下敷きになってしまう。
(……すまない!)
フォンシエは歯噛みしながらも、行動を止めることはしなかった。
ここで戸惑えば、その分だけ犠牲が多くなってしまう。
あとから魔術師たちがその手伝いをして、すぐに家々の間は塞がれることになった。
しかしここは大きな通りゆえに、兵士たちがいる反対側、すわなちグールロードの背後からは次々と市民が駆け寄ってくる。
そちらに行けば、グールロードと迫る市民に挟み撃ちにされる可能性があった。
「やつの背後を押さえる! 手の空いているものはついてこい!」
ヴァレンが叫び、動き出す。フォンシエは自然とそのあとに続いていた。
そして勇猛な傭兵たちがさらに雄叫びを上げる。
勇者がグールロードを翻弄する中、フォンシエは市民に取りついた死霊の魔物の相手を始めた。




