42 ヴァレンとフォンシエ
ヴァレンは刃引きされた鉄剣をフォンシエへと投げ渡した。
フォンシエは受け取りつつ、軽く振ってみる。訓練用のものとはいえ安物ではないらしく、重心が使いやすい位置にある。
「勇者と肩を並べたいというのなら、まずは俺くらい倒して見せろよ」
ヴァレンは挑発交じりに言ってくる。
しかし、その反応はもっともなところなのかもしれない。
勇者を目指すなんて、よほど現実が見えていないか、あるいは勇者、ひいてはそれ以外の上位職業を舐めていると見られても仕方がない。
しかし、フォンシエとて勇者の力の一端を知っている。それでいて、目指そうとしているのだ。覚悟がないわけじゃない。
「さあ、どこからでも遠慮なくかかってくるがいい」
「では、お願いします!」
フォンシエは剣を構えると、幾度かフェイントを入れ、そして飛びかかる。
飛び込みと同時に振るわれる剣は、狙いどおりに相手へと向かっていく。今の彼が持てる技術では、これ以上ないくらいにうまくいった。
だが、金属音とともに剣は逸らされた。
「甘いな。お前、対人訓練は積んでいないだろう」
ヴァレンが軽く切り返すと、フォンシエは咄嗟に飛び退いた。胴体を切っ先がかすめていき、僅かながらも衝撃がやってくる。
相手は本気になってすらいない。その価値すらないと見なされているのだ。
確かに、相手との技量の差は余りにも大きい。
何十年も訓練を続けてきている者と、山で魔物を倒すことがあったとはいえ正式な訓練を受けていない新人。それらが対等に渡り合えるほうがどうかしている。
(魔物相手と同じようにはいかないか……)
そこまで高度な知能を持たない魔物は、こちらの意図した動きを誘導することができる。しかし、人を相手にするならそうはいかない。
フォンシエはかつて勇者デュシスを切っている。しかし、それはデュシスがまだ若手で、剣を握っている時間に関してはフォンシエのほうが長かったからだ。
果たしてこの男は、どれほど長く剣を手にしてきたのだろう。
(長引けば長引くほど、俺が不利になる。ほんの一瞬。虚を突くことができれば……)
フォンシエは大きく息を吐き出す。これから取るのは、賭けと言ってもいい行動だ。しかし、そうでもしなければ勝ち目はない。
彼はヴァレンとの距離を短く保ち、スキルを発動した。
途端、彼の近くで魔力が高まり、乾いた物寂しい声が上がった。
「くっ……!?」
怨嗟の声を聞かされたヴァレンが表情を変える。
まさか、このようなスキルを使ってくるとは思っていなかったのだろう。呪術師ならば、身体的な能力は高くなく、門番すら押し倒すのは難しいのだから。
その隙にフォンシエは鬼神化のスキルを使用し、一気に切りかかる。
急に動きが速くなった彼に、ヴァレンは驚きを隠せない。咄嗟に防ごうとする彼だったが、そのときにはフォンシエの剣先がぶれて見えた。
幻影剣術で切るわけにはいかない。しかし、それで相手の目を眩ませることくらいは問題ないだろう。
ほんの一瞬、その光景に気を取られたヴァレンに、今度はなんでもないただの剣が向かっていく。
(……いける!)
フォンシエが確信めいたものを抱きながら、剣を相手へと進ませていく。
キィン! 激しい金属音が鳴った。
だが、剣が叩いたのは相手の鎧ではない。逆に弾かれていた。
ヴァレンは手甲を利用して、剣を叩くように逸らしたのだ。
まずい――!
そう思ったときには、鋭い踏み込みとともに、フォンシエの腹に拳がめり込んでいた。
「ぐぅっ……!」
息が漏れる。思わず片膝をついてしまうが、それでもフォンシエは相手から目を離しはしなかった。
まだだ。まだやれる。
瞳に激しい闘志を宿しながら、フォンシエは剣を構える。
これが実戦であれば、満身創痍で逃げ出していただろう。しかし訓練なのだ。自分の力を示さねば、東国へと行くことはかなわない。
フォンシエはようやく立ち上がり、再び剣を構える。
勝てなくてもいい。ただ、それでも一撃をお見舞いしてやりたかった。
そんな彼に、ヴァレンは一気に飛びかかってくる。遠慮のない大上段からの一撃をフォンシエはなんとか受け止める。
しかし、そのときには蹴りが放たれていた。体が宙に浮くとヴァレンは一気にフォンシエを押し倒す。
フォンシエが叩きつけられる衝撃にうめいたときには、首元へと刃が突きつけられていた。
「残念だったな。これじゃあ、勇者どころかたかが剣聖にすら勝てねえぞ」
フォンシエは歯噛みする。
この勝負、魔術など攻撃のスキルは使っていない。単純な剣の切り合いがほとんどだった。だから彼は全力を出せたわけではない。
しかしそれでも……完膚なきまでに敗北したのだ。
歯噛みする彼の表情を見たヴァレンは、一つため息をついた。
「勇者に並ぼうなんてのは諦めろ。あいつらの強さは、レベルが低いうちから強いことじゃない。レベルが高くなったとき、どんどん遠くに行っちまうことだ」
そのことはフォンシエも実感している。各種スキルによる恩恵と、職業そのものによる恩恵。スキルはレベルが上がっても影響しないものだが、職業のレベルはどんどん上がって能力が増していく。
そして勇者は後者の影響が遙かに高いのだ。だから、レベルが上がれば上がるほど、ほかの職業との差は大きく開いていく。
「追ってばかりいると、いつか命を落とすぞ。そうでないなら、十分いい線がいっている」
「それでも……俺は諦めません」
「なにがお前をそこまで駆り立てるってんだ」
ヴァレンはフォンシエを見据える。
その真っ直ぐな視線は真剣なもので、だからフォンシエは話しておこうと思った。
「大切な人が、大切な約束を交わした人が勇者として戦っています。俺はその姿を見て、自分とは違う存在なのだと認めたくありません。変わらない関係であり続けたい。俺は村人です。わけあってスキルポイントが多く取れますが、一生勇者になることはできません。だけど……それでも、いつか限界が見えるときまで、諦めることなんてできやしないのです」
フォンシエが言い切ると、ヴァレンはぽかんとした表情になった。
それから彼は急に、くっくと笑い始めた。
「ギルドを介して来ないからおかしいと思ったら、村人か! 勇者に追いつこうとする村人! いいじゃないか、面白い。やってみろよ。ただし、限界が見えたとき、大きな差に絶望する可能性のほうが遙かに高いぞ」
「覚悟しています」
フォンシエの変わらない態度に、ヴァレンは楽しげな笑みを浮かべた。それはどこか子供染みている。
「そうだ。言っていなかったが、俺は剣聖でレベルは50だ。昔は勇者がなんぼのもんだと調子に乗っていた頃もあったが、今じゃもうすっかり枯れちまった。ま、これでも新人勇者くらいには勝てるだろうがな」
ヴァレンにも勇者を追った過去があったらしい。確かに新人の勇者はそこまで秀でているわけでもない。ほかの職業より常識的な範囲内で強いくらいなのだ。
レベルが上がるほどに差が開く、とヴァレンは言っていたから、そのことを言及しているのだとフォンシエは捉える。
しかし、ヴァレンはさらに追い打ちをかけてきた。
「だが、勇者の本領は上位のスキルを取ってからだ。もう手がつけられねえ」
「どういうことでしょうか?」
「勇者の中でも、スキルポイントボーナスが多い者だけが取れるスキルがあるんだよ。それを手にしたとき、あいつらは格が違う力を得るんだ。……まあいい。東国への参戦を認める。……お前にやる気があるなら、剣術の指南書を渡すが、どうだ?」
正式に剣術を習ったことがないフォンシエにとって、それはありがたい申し出だった。
「お願いします!」
「そうか。じゃあ手続きが終わったら持ってくるから、ちょっと待っていろよ」
ヴァレンが屋敷に戻っていくと、フォンシエは剣を振り始める。
これまでは女神の恩恵による剣術スキルを頼りになんとなく剣を磨いてきたが、今後は魔物との戦いだけでなく、こちらも鍛えていかねばならない。
勇者が単純な能力で優れているというのなら、剣技でまで劣るわけにはいかなかったから。
フォンシエはそうして、剣術を磨き続ける。
それから数日の後、東国カヤラ国へ出征することになった。




