39 奥へと進み
カラカラと音を立てながら動いているのは、まるで操り人形。
しかし、それを操っているのは、糸ではなくふわふわと浮かぶ影だ。本体はそちらであり、操り人形を叩いたところでダメージを与えられるわけではない。
マリオネットと呼ばれる死霊の魔物で、レベル一桁でも倒せるような弱い部類に属する。しかし、ここではゴブリンやコボルトでさえ尋常ならざる力を持っている。油断はできやしない。
聖職者や聖騎士など、死霊の魔物を叩くことができる職業であればそれでいいのだが、そうでない場合、人形を壊して逃げるほかない。
フォンシエは「清めの力」を使用してダメージを与えられるようにしておき、それから敵の動きを警戒する。
どうやら、あの魔物はなかなかにすばしっこいらしく、攻撃を回避して切るのは骨が折れそうだ。
(ならば、まずは動けなくしてやる)
フォンシエはマリオネットの近くで「中等魔術:炎」を使用する。魔力が高まると、その魔物は素早くその場を離脱しようとする。魔術を使える魔物らしく、かなり反応が早い。
だが、フォンシエは飛び出すとともに、スキル「鎮魂の鐘」を使用していた。
敵の上方で魔力が高まり、半透明の鐘が生じる。それが軽い音を奏でると、マリオネットが倒れ込んだ。
起き上がろうとするもぎこちなく、なかなか動けない。低級の死霊の魔物であるため、宿っている人形から追い払うことができればよかったのだが、そこまではいかなかったようだ。
しかし、効果は十分。
すでに、魔力の高まりは爆発寸前まで来ていた。
ドォン!
爆発音が響き、人形が吹き飛ぶ。
土煙が舞い上がる中、フォンシエは敵の姿を探す。
魔術で多少のダメージを与えることはできるが、倒すまでにはいかないはず。そして、相手も破損した人形を捨てて逃亡する可能性が高い。
果たして、そこにはゆらゆらと動く影があった。
フォンシエは飛び出し、剣を振るう。光を纏った剣はすっぱりと敵を切り裂き、あとには魔石が落ちる音だけを残した。
「よし。やはり、ゴブリンよりこっちのほうがやりやすいな」
剣を収め魔石を拾い、それから歩き出す。
いかに死霊がそのままでは弱いとはいえ、なにかに宿られたりして、よってたかって攻撃されてはひとたまりもない。
慎重に、あまり奥地に行かないように探っていく。
そうしていくと、向こうに人影が見えた。暗くてよく見えないから、と目を凝らしてみると、それはゆっくりと姿を明らかにする。
警戒するフォンシエを見ているのは、まるで鏡写しのようにそっくりな彼の顔だった。
姿形は衣服から手足の長さまですべて同じである。唯一違うのは、彼と左右が反対になっているということ。
相手の能力を用いる死霊の魔物、ドッペルゲンガーだ。
死霊の中でも中程度の強さを持つ魔物で、レベル20程度が数人で倒すような相手だ。能力が変化すると厄介なため、誰か一人を中心に相手をするのがいいとされている。
その最大の特徴は、対峙している相手の職業をトレースすることにある。つまり、勇者が向かっていけば相手も勇者の職業を得て能力が向上し、スキルを使えるようになってしまうのだ。
なかなかに厄介な相手だ。しかし……。
(これは、絶好の相手だ!)
ドッペルゲンガーがトレースできるのは、相手の職業とその職業に付随するスキルのみ。
つまり、フォンシエの場合、相手が使えるのは村人の初期スキルしかなくなる。しかもそれは、歩いているときの疲労を軽減するもので、健常人ならほとんど意味をなさないものだ。
ならば、これほど倒しやすい相手もいないはず。
(まさか、村人レベル5がこんなところで役に立つとは……!)
ドッペルゲンガーが剣を抜き、構える。相手をトレースしている状態では実体があるため、誰だって切ることができるようになる。
フォンシエは一つ息をつき、相手を見据える。
自分と同じ顔の相手と戦うのは、なんとも気が引ける。しかし、敵が切りかかってくると、もはやそのような事実は頭の隅に追いやられていった。
刃を受け流すと、そのまま返す刀で一気に首をはねる。
勝負は一瞬だった。
神聖剣術のスキルを使ったこともあって、ドッペルゲンガーには大ダメージが与えられたようだ。
首を失ってまだ動こうとしていたが、フォンシエが切っ先を突き刺すと、もう動かなくなった。
(レベル上昇に関してまで、村人レベル5に合わせられることもなかったはず。うまくこいつを利用すれば……)
そんなことを考えながら歩き回っていると、いつしか木々が生い茂る領域がすぐそこまで近づいていた。
これでは、死霊の魔物はあまり生息していないだろう。
引き返そうかとも思ったが、大量の死霊の魔物が徘徊して近づいてきているのを見ると、フォンシエは咄嗟に木の陰に隠れた。
息を殺して、敵が去っていくのを待つ。
それらは気づいた風でもなく、遠ざかっていくが、フォンシエに近づいてくる存在もあった。
羽音を響かせながら迫るのは、昆虫の魔物だ。尾から伸びる鋭い針が印象的な蜂の魔物ポイズンビーだ。
大きさは人の頭ほどと大きいが、そこまで強くはない。とはいえ、スキル「麻痺毒」があるのが厄介で、さらに巣の近くには集団でいるためなかなか倒しにくい。
(なんとかして逃げないと……)
こんなところで毒を食らえば、都市まで持つ保証はない。
なんせ、今は一人きりなのだから、意識を失えば誰も運んでなどくれないのだ。
フォンシエはなんとかゆっくりと距離を取っていく。
が、敵が勢いよく飛び込んできた。
咄嗟に体をひねって回避し、その体勢から剣を振るう。
剣はあっさりと敵を打ち砕き、針も刺さることなく落ちていく。
危なかった。息を吐くフォンシエだったが、視界の端に飛び込んでくる存在があった。
長くヒモのような胴体を持つそれは、赤い毒蛇レッドバイパーだ。
フォンシエは咄嗟に剣を切り返して敵の頭をはねようとするも、僅かに遅かった。
首を叩き切ったときには、牙が衣服の上から食い込んでいる。
「くっ……!?」
素早く引っこ抜き、すぐさま毒を吸い出し、全身に回らないように布で縛り付ける。
だが、すでに毒は入ってしまったらしく、腫れ上がっていた。量は多くないだろうが、このまま放置するわけにはいかない。
スキル「癒やしの力」を利用するが、気休めにしかならないだろう。
フォンシエはレッドバイパーが残した魔石に目もくれずに走り出す。魔物がいる危険なルートでも、多少であれば突っ切りながら。
処置が遅くなれば、腎臓などがやられてしまう。それだけならまだしも、最悪死に至るだろう。
間に合わなかったら、と思うとぞっとする。フォンシエはそのときのことを考えずに、これからしなければならないことだけで頭を埋め尽くす。
(呪術師のスキルに解毒があったはずだ。それさえ取れれば……!)
まさか毒を持つ魔物がいるとは思っていなかったのは、油断もあったかもしれない。心のどこかで、ほかの土地とさほど変わらないだろう、という気分があったのは間違いない。
しかし、今はそんなことを考えている暇などなかった。
走って、走って、走って。
コボルトが彼に気づいて襲いかかってくるのも無視して、ひたすらに足を動かし続けてようやく国境が見えてきた。
柵を跳び越えると、兵が声をかけるのも無視してひたすらに都市へと向かっていく。
息は切れ、足は悲鳴を上げる。けれど、彼は決して止まりはしなかった。
(こんなところで終われるか……!)
歯を食いしばり、ひたすらに都市へと向かっていく。王都までは距離があるが、一番近くの都市ならばもうすぐそこだった。
フォンシエは都市に転がり込むと、すぐさま礼拝堂を求めて人々に声をかける。
必死の彼に戸惑いつつも、教えてくれた先に向かうと、小さな礼拝堂があった。フォンシエは顔中に汗を浮かべながらも、最後の力を振り絞って駆け込む。
祈りを捧げると、
レベル 6.97 スキルポイント650
十分なだけのスキルポイントが揃ってることが明らかになる。
フォンシエは100ポイントで呪術師の初期スキル「怨嗟の声」を取得し、続けて100ポイントで「解毒」のスキルを取る。
すぐさまそのスキルを使用すると、魔力が消費され、痛みがすっと引いていく。
そのままスキルを使い続けて、毒の影響がなくなったときには、フォンシエは疲労の余り、意識を失いかけていた。
どこか休めるところを、と考えたときには、安心感のせいか、そのまま彼は倒れてしまっていた。
最悪、金を取られるくらいで命まで奪われることはないだろう。そんなことを考えてしまうのは、一人でいる時間があったせいか。
女神マリスカの像が見守る中、フォンシエは意識を失った。




