32 マンティコア・ヒジュラール
「ヒジュラールが出た!」
その声の元へと駆けていくと、そこにいたのは巨大な化け物、マンティコア。胴体は血にまみれ、ますます赤くてかりを帯びており、サソリの尻尾がゆらゆらと動いていた。
獰猛な口には人の臓腑がぶら下がっており、今もくちゃくちゃと音を立てながら咀嚼している。
そしてマンティコアの前で兵たちを襲っているのは、鋭い牙を持つ魔獣サーベルタイガーだ。刀剣のような牙は人を鎧ごと貫き、あたかも血をすするかのように赤く染まっていた。
その数、およそ二十。
魔物がこれまで集団で動いていたという話は特に聞いていない。だが、マンティコア・ヒジュラールは、おそらくやつが率いることのできる最大数の魔物を用いてここにやってきたのだ。
(……なぜだ? 散発的に人を襲うなら、少数のほうが都合はいいはずだ)
フォンシエは疑問を抱くも、すぐに頭の隅に追いやった。
今すべきことは、この敵を打ち倒すこと。人を貪り食らう魔獣を切ることのみ。
「ティア、まずは兵たちを助ける!」
「わかった!」
フォンシエはすらりと剣を抜くと、気配遮断のスキルを使用し、兵へと牙をむいていたサーベルタイガーへと切りかかる。
敵に気づかれることもなく、夕闇に紛れて飛び込んだ彼は、幻影剣術のスキルを用いて剣を振るう。
黒い闇が刃に纏わりつき、あたかもぶれるかのように錯覚させる。その暗い光がサーベルタイガーの首へと触れると、一瞬にして血を噴き出させた。
音もなく、ごろりと虎の頭が落ちる。
(まずは一匹!)
視界の端では、まばゆい光の剣が真っ向から敵を叩き切っているのが見える。これで二体。
そうして数を減らしたときになると、フォンシエのいた隊の者も援護に入ってくる。
「勇者殿! どうかここは我々に任せ、ヒジュラールを!」
彼らはいくつかの集団となって、サーベルタイガーを包囲し、マンティコアと連携させないようにする。
ここまでお膳立てされたのだ。応えないわけにはいかない。
「フォンくん! マンティコアを倒そう!」
「おう! 挟撃する」
フォンシエは兵たちが作った道を進み、フィーリティアと反対側に位置する。
マンティコアは素早く飛びしさると、サソリの尻尾をぶん回して威嚇してくる。その先には毒があるため、刺された場合、すぐに手当しなければならない。
フォンシエは慎重に、敵との距離を掴んでいく。
フィーリティアが踏み込み剣を振るうが、マンティコアは前足を振るい鋭い爪を放ってくる。そして同時にサソリの尾により上空からも攻め立てていた。
そうなれば、フィーリティアも後退するしかない。
彼女は勇者とはいえ、その職業のスキルしか取っていない。だから彼女ができることは、その剣に全身全霊の魂を込めて放つのみ。
ならば――。
「ティア、ここは俺が引きつける!」
フォンシエは宣言とともにマンティコアへと踏み込むと、敵の動きに目を見張る。
狙いどおり、まだ距離があることもあって、尾による攻撃が行われた。
フォンシエはさっと飛び退くと同時に、「初等魔術:炎」を使用する。火球は生じると、すぐさま撃ち出されてサソリの尾にぶち当たった。
ドン! 小さな爆発音とともに、マンティコアが飛び退いた。サソリの尾は焼け焦げているが、まだ毒針が折れたわけではない。
「これで尽きたと思うなよ!」
フォンシエは魔力を用いて、火球を幾度となく放つ。
マンティコアは必死に回避するも、そのうちの一つを浴びて、衝撃で転がった。
瞬間、飛び出す者がある。
フィーリティアは掲げた剣を、踏み込みと同時に振り下ろしていた。その光が断つのはサソリの尾。マンティコアの背後に回っていた彼女は、根元からそれを切り落としていた。
「グォオオオオオオ!」
マンティコアの叫びが轟く中、フォンシエは一気に距離を詰める。サソリの尾がなければ、なにも恐れるものはない。
彼の接近に気がついたマンティコアは、飛びかかり強烈な一撃を見舞いせんとする。
人の肉などあっさり突き破ってしまう爪が迫ってくる。しかし、フォンシエは冷静であった。
ぎりぎりまで近づけてから、鬼神化のスキルを用いて一気に跳躍。
宙に躍り出ると、素早く相手の頭を掴んでくるりと姿勢を立て直す。そのときには、すでに片手で掲げた剣がきらめいていた。
そこに纏うは、至上の光。勇者にしか扱えないはずの輝きだ。
「これで終わりだ!」
フォンシエは剣を振り下ろす。切っ先がマンティコアの首を背後から貫いていった。
衝撃に仰け反るその魔物から投げ出されそうになりつつも、フォンシエは剣を引き抜く。
剣は血を撒き散らしながら、敵の傷口を広げてとどめを刺した。
ずしん、と音を立てて倒れる魔物。それを見たサーベルタイガーたちは、ほうけてしまった。
敵の隙を見逃す兵たちではなく、その好機からあっという間に崩し、次々と打ち倒していった。
僅かに残ったサーベルタイガーは逃げていく。もはやどうにもならないと感じたのだろう。
(しかし……もう少し早く撤退するという手もあったんじゃないか)
増援が来た時点で引くことだってできたはず。
フォンシエはやはり腑に落ちないものを覚えつつも、マンティコアの死体が消えていくと、魔石を拾い上げた。なかなか大きな代物だ。
「フォンくん、やったね!」
ぱたぱたと駆けてくるフィーリティア。彼女は嬉しげに勝利を祝ってくれる。それも彼女の力あってのものだ。
「なんとか、光の剣も使えるようになってきたよ。まがい物、だけどね」
「そんなことないよ! たとえフォンくんが村人でも、私にとっては、本物の勇者だから」
フィーリティアは真剣な瞳でフォンシエを見つめる。
この非常に愛らしい少女にそうされると、フォンシエはつい気恥ずかしくなって視線を逸らした。
すると、どう対応していいのか困っている兵たちの姿が見えたので、一つ咳払いしてから、討伐の旨を告げた。
「これでマンティコアを打ち倒しました。もう被害は出ないでしょう」
フォンシエの言葉に、兵たちが歓声を上げる。残ったマンティコアの頭を担いでいる兵たちもいた。
すでに犠牲になってしまった者もいる。けれど、彼らもこれで浮かばれることだろう。
と、そこでフォンシエは思い出すことがあって、辺りを見回した。しかし、そこにはなんにもありゃしない。
(……心配しすぎか)
死霊の魔物がいるかもしれない、と思ったのだが、そのようなことはない。そもそも、そのような魔物がいるならば、もっと爆発的に増えているだろう。
「どうしたの、フォンくん」
「いや……なんでもないよ。それより、魔王フォーザンの領地で、多くの魔物が縄張りを追い出されるようなことがあった、と考えてよさそうだ」
「マンティコアもその影響を受けたってこと?」
「おそらく。だから戻る場所もなく、こうして魔物を引き連れてきたんだろう」
やはり、その土地に行かねばなにが起きているのかはわからない。
フォンシエは今後の予定を変更することなく、明日には調査に向かうことにした。
そうして兵たちとともに、都市へと戻っていく。もう日も暮れて時間も遅いから、静かに夜を過ごすことになるとばかり思っていたフォンシエだったが、兵たちはこの状況を喧伝するのだ。
「ヒジュラールを討ち取ったぞ!」
「勇者がやってくれた!」
そんな言葉が放たれると、家々から人々が現れて、口々に声を上げていく。
どうやら、マンティコア・ヒジュラールはこの都市では相当に厄介な相手だったらしい。
人々は寝ていた者すら起きてきて、酒を飲み始める有様だ。
「なんだか、こんなに噂されると恥ずかしいね」
フィーリティアがなんともむずがゆそうに言う。
「ティアこそ、本当の勇者だから。女神から与えられた役割とかじゃなくて、ここにいる皆がそう思っている」
「フォンくんも?」
「もちろん。誰よりも」
フィーリティアはぱたぱたと尻尾を振る。そんな嬉しげな姿を見ていると、彼女も年相応の少女に過ぎないと感じさせられる。
けれど、それでいい。
彼女が勇者である手伝いを続けられたなら、この上なく村人は嬉しく思うのだ。
人々の歓声に包まれながら、フォンシエとフィーリティアは都市の中心へと案内される。そして、武勲を称えて恩賞を与えられることになった。




