31 魔獣の異変
ダークウルフが勢いよく飛びかかると、前衛にいた傭兵が盾で防ぐ。
跳ね返すことでなんとか距離を保とうとするが、そのときには左右から別の個体が迫っていた。
「くそ! このぉ!」
振り回した剣は当たらず、いよいよ牙が迫る。
傭兵が死をも覚悟した瞬間、
「ギャン!」
ダークウルフが小さな火球を受けて吹き飛んでいった。
フォンシエは魔術がうまくいったことを確認しながら、別のダークウルフへと飛びかかる。
狼の牙が向く前に、刃が煌めいた。首を叩き切られたダークウルフは動かなくなると、フォンシエは次の敵へと狙いを定める。
が、近くの個体をフィーリティアも仕留め終わったところだった。
ここまで戦力差をつければ逃げるだろうと思ったが、敵はいまだその場に残り、うなりを上げていた。
(おや……? 退けない理由でもあるのか?)
フォンシエは先ほどの違和感の正体を突き詰める。
魔物の目的はたいてい、人間を殺すことではなく生き延びることだ。その延長線上に人を倒したり、生き物を食らうことがある。
だというのに、このダークウルフは絶望的な戦力差でも飛びかかってきた。
フォンシエは剣を一振りすると、敵をあっさりと仕留める。それですべてが片づいたが、彼はしばらく、倒れた魔物の遺体を眺めていた。
それらが消えて魔石と毛皮や牙が残った頃、傭兵たちが大きく息をつくのが聞こえて視線を向けると、彼らのところにフィーリティアがすぐに駆け寄っていくところだった。
「ご無事ですか?」
「ああ、すまない。助かった……」
傭兵はそれから怪我をした者に、慌てて包帯を巻いたり処理をしようとする。
そこでフォンシエはふと、けが人のところに行き、聖職者のスキル「癒やしの力」を使用。
ないよりはマシという程度のものだが、彼らは頭を下げた。
「なにからなにまですまない。恩に着る」
「いえ。それよりも、ダークウルフの様子が違って見えましたが、なにか怒らせるようなことをしたのですか?」
「いや。なにもしてはいない。どうにもここらの魔物は皆、あんな調子でな。昔はこんなんじゃなかったんだが、最近はまるでここらを縄張りと思っている節があって、俺たちが行くと必死にかみついてくるんだ」
傭兵が言うには、どうやらこの地域の問題らしい。
フォンシエはそれから、頭の中で地図を思い浮かべる。ここはゼイル王国の南東よりの国境近くだ。そこから東や南にいけば、魔王フォーザンが支配する領域がある。
だから土地を奪い合っているという状況はおかしなものではなかった。しかし、そうだというなら、もっと魔物をまとめて一気に攻めてくるはず。
もう少し話を聞いてみたいところだったが、彼らはすぐに都市へと戻っていったため、二人で下見を続ける。
それからダークウルフなどの魔物を倒していくと、傭兵たちの言わんとしていたことがわかってくる。
やつらにとっては本来、人の領域のここは敵地のはずなのに、縄張りとして守っているのだ。
「これは……魔王フォーザンの領域でなにかあったと見てよさそうだ」
「今なら時間があるけれど……もう少しだけ、行ってみる?」
「そうしようか。本格的な調査の前に、魔物くらいは把握しておきたい」
そういうことになると、二人は国境ともなっている川を飛び越えた。その向こうには、魔物の領域が広がっている。
こちらに来ると、ほとんど人の姿はなくなる。たまに高い報酬を求めて入る者もいるが、完全に敵地なのだから、いつ襲われるかもわからない。
フォンシエは探知のスキルを使いながら、敵を探っていく。すると、すぐになにものかの気配があった。
フィーリティアに合図を出しつつ、そちらに近づいていく。
すると、魚を食らっている猫の姿がいくつかあった。二足歩行もできる黒猫の魔獣、ケット・シーだ。
強い魔物ではないが、衣服を纏っていることなど、知能がそれなりに高いことが厄介だ。腰には人から奪ったと思しき剣が下がっている。
草陰から窺っていると、音もなく彼らの食事会に飛び入るものがあった。
全身を緑の毛で包み込んだ、丸まった長い尾を持つ犬どもだ。こちらもさほど強くはない魔獣でクー・シーと言う。
それらは取っ組み合いにこそ至らないが、なにやら揉めているようだ。
(縄張り争いか……?)
となれば、弱い魔物が端に追いやられるような状況ということか。どこかで新たな魔王が発生した可能性もある。
フォンシエは考えていたが、いつまでも魔物同士のやりとりを見ていても仕方がない。
フィーリティアに合図を出すと、彼女が頷く。
そしてフォンシエは「中等魔術:炎」を発動すべく、敵の集団で魔力を高める。
「ウォワオ!?」
戸惑いその場で飛び上がるクー・シー。ケット・シーは二足で立ちながら、あたふたと剣を抜いた。それから敵を探そうと動き始めるが、もう遅い。
魔力が膨れ上がり、一気に爆発する。
ドォン! 轟音とともに、魔物が吹き飛んでいった。生き残った魔物はいないかと確認するも、まとまっていたため一撃で仕留めることができたようだ。
鳥がばさばさと音を立てながら飛び立っていくのを耳にしながら、フォンシエは近くにあった剣を引っこ抜く。衝撃で飛ばされて突き刺さったものだ。
錆びつつあるが、使えないことはない。売ればそこそこ金になりそうだった。
これらの魔獣の素材は使えないらしく、魔石くらいしか役に立たないそうだが、それを回収しようにもどこに飛んでいったかもわからない。
先の音で魔物が気づき、近づいてくる可能性もある。
フォンシエは魔石を諦め、その場から移動することにした。そうして近くの魔物を倒していくも、状況はどこも似たようなものだった。
かなり快適に敵を倒し続けた彼らは、日が傾き始めると、都市に戻っていく。
どうにも都市の近くでも魔物が出るため、あまり長くは外にいられそうもなかった。暗くなっては、夜目が利く魔物のほうが有利になってしまうから。
「フォンくん、今日はたくさん稼げたね!」
フィーリティアはフォンシエの腰にひっさげられている剣などを見て嬉しそうに言う。これならば、都市からの依頼などなくても、生活費には十分すぎる。
「今日はちょっと奮発してみようか。まだ、君と帰ってきた祝いを一度もしていないから」
あれから随分日数がたって落ち着いてきたからこそ、祝うための余裕もできてきた。
フィーリティアも異論はなく、そういうことになった。
都市に入ると、フォンシエは適当な店で剣を売り払う。競売にかけるなどすればいい値で売れることもあるが、面倒なので安く買いたたかれてもその場で処分したほうがマシだった。
そうして得た小遣いを手に、フォンシエは少し高い個室の取れる店に入り、食事を頼むことにした。
「高いお店だと、なんだか緊張しちゃうね」
「こんなところに入るなんて、コナリア村で生活していたときには夢にも思わなかったな」
そんなことを言っていたが、やがて料理が運ばれてくる。
「君と俺がこうして生きていることに。そしてこれからの栄達を願って」
フォンシエもフィーリティアもささやかな祝杯をあげる。
グラスには注がれたワインがゆらゆらと揺れていた。
フォンシエはそれに口をつけると、傭兵団の者と一緒に呑んだ酒を思い出した。もっと自分に力があれば、あのような事態にもならずに済んだのだろうか。
妙にしんみりしてしまったが、フォンシエはすぐに気を取り直した。目の前には、美味しそうにパンにかじりつくフィーリティアがいる。それだけで十分だから。
二人がしばらく料理に舌鼓を打っていると、通りのほうが騒がしくなってきた。
「なにかあったんだろうか?」
「馬蹄の音が聞こえるね。非常事態かもしれない」
フィーリティアが狐耳を立てて音を拾いながら、その可能性を示唆する。
もし魔物が攻めてきたとなれば、のんびり食事をしてもいられない。フォンシエはさっと通りに出ると、そこらにいる兵に状況を確認する。
「なにかあったのですか?」
「マンティコア・ヒジュラールに襲われる者が出ました。都市の近くに潜伏しているかもしれないため、都市からの外出は控えてください」
マンティコアは、赤い虎の胴体にサソリの尾を持つ強力な魔獣だ。レッドオーガに匹敵する強さがある。しかし、ヒジュラールというのには聞き覚えがない。
どういうことかと尋ねてみると、
「ヒジュラールはこの辺り一帯に出る人食いマンティコアなのです。やつの強者への嗅覚は鋭く、何年もの間、仕留めることができずにいました」
マンティコアは魔王ではないが、便宜上名前をつけたということなのだろう。そのような個体がレベルを上げて魔王になる可能性も少なくない。
とりわけ、無鉄砲に戦わず、不利と見るや否や逃げる個体ほど生き延びやすい。
しかし今ならば、この近くにいるため、都市からの兵を送り込めばによって仕留めることもできるかもしれない。
あまり大人数にせずにしなければ、ヒジュラールもそこまで警戒しないはず。
そんな期待とともに兵は熱を込めて語るのだ。
とはいえ、名前がつけられるほど長く生きている場合、他の個体よりもずっとレベルが高い可能性がある。
通常はレベル30程度の上位職業が数人で倒せるくらいだが、この場合はどうか。
「ティア。俺たちも混ぜてもらおう」
「放っておけないよね。こういうときこそ、勇者の名を使わなきゃ」
勇者ともなれば、もはやレベルの枠組みに囚われぬ力がある。そしてフォンシエもまた、同様だった。
二人は討伐隊のところに赴くと、
「勇者フィーリティアと申します。此度の戦い、どうか手伝わせていただきたく思います」
「勇者ではありませんが、右に同じく」
それぞれの思いを述べる。
討伐隊の者は勇者という言葉を聞くと、目を輝かせた。
「おお、これは頼もしい! よろしく頼みます!」
彼らとともに都市を出ると、夕暮れの平野を移動する。草の丈が大きいため、どこから魔物が出てくるかわからない。
隊をいくつかに分けて調べていくこと、しばらく。
フォンシエは遠方から兵の悲鳴を聞いた。




